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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
114/163

5-24「面白い。後世に残るような決死の戦を、披露しようではないか」

「一、二刻で敵が追いつくと、そうおっしゃいましたね?」

「ああ」

「すると、陽が落ちる前にこちらに追いつくということになります。我々は川を背にし、背水の陣を敷いたように、見せかけます」

「ここに布陣するのか?」

「ええ。敵が追いついてきたときには、すでに陽は傾いているはず。私たちの背水の陣を見れば、敵も無理に攻めてくるより、陣を組んで我々を包囲する構えを取るはずです」

「……わざと包囲させる、というのか?」

「私たちの目的は、あくまで渡河です。しかし、私たちが川を渡ろうとすれば敵はその背を攻撃できます。攻撃をさせないためには『我々が川を渡ろうと思っていない』と思わせる必要があるのです。川を渡ろうと思っていない。ここで死ぬつもりだ。決死の兵なれば、無理に攻撃を仕掛けずに包囲してじわじわと攻めよう。敵にそう思わせ、そのすきに、夜の闇に紛れて渡河します」


 ジャハーラは、少し考えたようだった。瞼を閉じ、赤い髭をなでた。怒っている様子はない、静かに考えている。

 数秒の沈黙の後、ジャハーラは口を開いた。


「うまく、いくだろうか? もし、王国軍が我々の置かれている状況を知っているのならば、撤退の機を伺っていることなど、容易に想像がつきそうなものだが」

「おっしゃる通りです。ですから、この作戦の肝は、我々が撤退しないと敵に思い込ませることが、最重要です」

「決死の覚悟で、この地に布陣したと思わせるわけだな。しかし、どうやって?」


 ジャハーラはまた、顎鬚を撫でた。


「――まさか、このおれに、死地へ残って演技をしろと言うのでは、あるまいな?」

「その通りです」


 間髪を入れずに、スッラリクスは答えた。

 傍らで控えていたカートが「貴様!」とスッラリクスに向かって吠える。


 スッラリクスは、激昂のままカートに斬られる覚悟をした。いくらスッラリクスがエリザに重用されているとはいっても、ここはジャハーラの軍である。その大将に、死地へ向かえと言ったのだ。斬られても何の文句も言えはしない。


 手元にある情報から、考え得る最良策を導き出す。それを伝えることが、スッラリクスの仕事だった。今、もっとも大切なことは帝国軍を勝利に導くことだ。自分自身の命より、それは大切なことだ。

 そう決めてしまうとスッラリクスの心は軽くなった。たとえカートに斬られても構わないと思える。


 しかし、ジャハーラは驚くほどに静かに、そっと手でカートを制した。それを見届けて、スッラリクスは言葉を重ねる。


「陽が落ちる目前まで、帝国軍は徹底抗戦の構えを見せます。そして、夜闇に紛れてジャハーラ殿が突撃する。まさに、決死の戦です。ここを死に場所と定めた――と、そう相手に思わせることができれば、渡河の時間が稼げます」

「渡河する者はいい。だが、最後まで残る父上はどうなるのだ!」


 カートが問う。


 スッラリクスは答えなかった。答えるまでもないことだった。敵が怯めば、ジャハーラも逃げることができるだろう。だが、可能性は極めて低い。いくら純血種といえど、精霊術は無限に使えるわけではない。


 文字通り、決死の戦となるだろう。ジャハーラを囮として、その間に他の将兵を逃がす。スッラリクスはそう言っているのだ。


 こんな戦で、ジャハーラを失うことは避けたい。しかし、この作戦を委ねられるのはジャハーラだけだった。

 アーサーやカート、それにスッラリクスがたとえ残ったところで、敵の眼には「決死の戦」とは映らないだろう。ジャハーラが自ら飛び込んでこそ、敵を納得させることができるのだ。


 ジャハーラはスッラリクスの眼をじっと見つめた。赤い瞳だ。同じ赤色でも、エリザとは似ていない瞳だ。瞳の中で炎が上がっているかのような、灼熱の色。エリザの瞳は、その対極のように深い河を思わせる。同じ赤い瞳だというのに、二人の瞳の色はまったく違って映る。


「フン」


 ジャハーラは、口元を歪めた。


「……面白い。炎熱の大熊公ジャハーラ、後世に残るような決死の戦を、披露しようではないか」


 それは、その場にいた誰もが寒気を感じる程に威圧的な独り言だった。


「私も……残ります」


 ジャハーラの気配に押されていたスッラリクスだったが、何とか声を絞り出して言った。


「バカを言うな。足手まといだ」

「しかし」

「聞こえなかったのか? 足手まといだ、とおれは言ったのだ。ここまでの戦とは違う。決死の戦に、戦力にならん男など連れてゆけるか」


 ジャハーラは吐き捨てるように言った。

 スッラリクスは、それでも引き下がろうとしなかった。誰かに死地へ行けと命じておきながら、自分は逃げる。そういうことが許されないと、スッラリクスは思っていたのだ。


「軍師殿の戦略には、従う。おれが頭をひねるよりも、どうやら正しい解答を導き出せそうだ。しかし、おれの戦場には口を挟まないでもらおうか。……ここから先は、おれの戦場なのだ」


 ジャハーラはスッラリクスの眼を、もう見ようとはしなかった。

 さっきまでスッラリクスの言葉を聞いてくれていたような雰囲気はもはやなく、ぴりぴりと肌を焼くような空気が、辺りを支配している。


 スッラリクスは口をつぐんだ。魔都攻略の際、ルイドにも似たようなことを言われた。戦のことは武将に任せておけ。そのあたりの分別を、いまだにスッラリクスは持てていない。それは恥じるべきことだ、とスッラリクスは感覚で理解した。

 もう、自分が口を挟む段階は過ぎたのだ。ここから先は、男の戦いである。


「一千だ」


 しばらくの沈黙の後、ジャハーラがそう言った。


「一千だけ、残す。残す者は、おれが選ぶ」


 スッラリクスは絞り出すようにして、「わかりました」と答えた。


「アーサー、カート、ナーランの三人はゾゾドギアへ連れて行け。まだ未熟な部分は残るが、籠城の指揮くらいは十分に執れるはずだ」


「父上、待ってください!」


 カートが、口を挟んだ。


「父上が何とおっしゃられようと、私は残ります。兄上がいればゾゾドギアの指揮は十分です。それに、敵をかく乱するのに、私は足手まといにはならないはずです。若輩者であることは自覚しておりますが、父の背に隠れていられるほどに子どもでもありません」

「フン、おれに盾つくか」

「今回ばかりは、お許しください。決死の戦と聞いて、私の身体に流れる血が騒いでいるのですよ」

「英魔戦争の際には、逃げてばかりだったお前が?」

「ええ。今回のような撤退戦には最適な人材でしょう。今回も、必ず生き延びてみせます」


 ジャハーラは再度「フン」と笑った。


「その言葉、嘘はないだろうな」

「嘘かどうかは、精霊で見抜いていただけるはずです」

「……いいだろう。カート、お前には死地へ付き合ってもらおう」

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