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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
113/163

5-23「可能性は二つ。彼らが裏切ったか、裏切っていないか、です」

 ジャハーラ率いるクイダーナ帝国東方軍は、王国軍との会戦後はひたすら西へと逃げ続けていた。王国軍に追われる格好ではあったが、士気は明らかに帝国軍の方が高い。


(これが長きにわたって魔族の支配を支えた、炎熱の大熊公というわけですか……)


 スッラリクスは心中で感心せざるを得なかった。ジャハーラの実力は、伝え聞いていた以上である。

 魔都クシャイズを前にしてジャハーラと戦った際には、ジャハーラをいかに戦場から引き離すかが課題だった。それをディスフィーアに任せたのはルイドで、ディスフィーアは見事にそれに応えてみせた。


(まったく、何という人たちですか)


 スッラリクスは、確かにそう思った。これだけの将がいるのだ、王国打倒も夢ではない。


 ――勝てる。

 そう思えるだけの力が、確かにある。それだけの駒は、揃っている。


(後は、指し方を間違えずに、駒を進める事……ですね)


 スッラリクスは、気持ちを改めて引き締めた。たった一度、王国軍に一泡を吹かせただけである。これから先が本番と言っても過言ではない。

 ゾゾドギアに撤収し、救援が来るのを待つ。エリザ・ルイドの率いる北軍か、ゼリウスの率いる南軍が救援に来るまで気は抜けないのだ。それに、援軍がたどり着いたとしても兵力ではあちらに分がある。それをいかに覆すかを考えていくのが、スッラリクスの仕事である。


 リズール川が、見えてきた。


「敵の追撃も落ち着いています。今のうちに川を渡ってしまいましょう」


 寄ってきて言ったのは、ナーランだった。ジャハーラの息子たちの中で、もっとも若い。しかし、数千の兵を率いるには十分な器量を持つ将だった。判断にも迷いがない。スッラリクスが指示を出す前に動くこともしばしばある。そういうところを、スッラリクスは高く評価していた。こう動いて欲しいと思うよりも前に、彼は行動に移していることがあるのだ。


 スッラリクスは「ええ、ゾゾドギアに早急に退きましょう」と答えた。


 前方から動揺が伝わってきたのは、それからしばらくした時だった。兵たちの間を駆け抜けるようにして、その動揺はスッラリクスの元にまで届く。


「何事です?」


 スッラリクスが訊ねると、ちょうど軍の先頭から、馬に乗った伝令がやってくるところだった。伝令は情報の秘匿よりも、早急にスッラリクスに情報を伝えるように命じられていたようだ。まだ距離はあるのに、風の精霊を通して声を届けてくる。


「船が……船がありません!」


 風の精霊の扱いに慣れていないのだろう。妙な強弱があったものの、スッラリクスには確かにそう聞こえた。

 隣で、ナーランが息を飲んだ。スッラリクスの方をまじまじと見る。


「軍師殿……どうされますか」


 スッラリクスは、ずれかけた片眼鏡を直すと、リズール川の方をじっと見つめた。


「まずは、情報を精査しなければなりません。何らかの理由で、場所を動かして待機しているのかも……。ジャハーラ殿へ伝令を。急ぎ、対策を考えます。それから川の上流と下流、王国軍の動きに対しても偵察隊を派遣してください」


 スッラリクスは周囲の兵たちに指示を飛ばした。

 ジャハーラと合流するまでの僅かな間に、スッラリクスは現状の確認と最低限の手配を終えた。斥候隊が戻れば状況はよりはっきりするだろうが、その前に可能性を整理しておく必要がある。


「これは、どういうことだ、軍師殿」


 ジャハーラは合流するなり、挨拶もなしにそう訊ねた。傍らにカートを連れてきている。


「わかりません。わかりませんが……可能性は多くないでしょう」

「言ってみろ」

「可能性は、大きく分ければ二つ。船団が……つまり、船を擁していたジーラゴンが裏切ったか、裏切っていないか、です」


 だろうな、とジャハーラは口元を歪ませた。


「裏切ったのが、ジーラゴンの船団だけなのかを確認するのが急務だ。川の向こう、ゾゾドギアに向けて帝国旗を掲げさせろ。ゾゾドギアに帝国兵が残っているなら、必ず反応を寄越すはずだ」


 ジャハーラは、傍にいたナーランに「動け」と命じた。ナーランは肩をびくりと震わせると、兵たちに指示を出しに動き始める。

 改めて、ジャハーラがスッラリクスを見た。


「ジーラゴンの船団が裏切ってないとすれば?」

「何らかの事情で、船を動かしたということでしょう。たとえばモンスターの襲撃や、我々の気づかぬうちに王国軍の迂回部隊が攻めよってきたために退避した……」


 スッラリクスは可能性を挙げながら、顎に手をあてた。どちらも、考えられない事ではない。しかし考えにくいことではある。


「裏切ったとすれば?」

「その場合、彼らの目的は単純です。私たちに、リズール川を渡らせない。そうなれば、我らは川を背にして戦わざるを得ません。逃げ場を失った我らを、王国軍が包囲すれば……私たちの命運はここまでになるでしょう」


 スッラリクスは既に、その可能性が高いと踏んでいた。訊ねているジャハーラもそうだろう。


「しかし、裏切ったのだとすると、腑に落ちないことが二つあります」

「言ってみろ」

「まず一つ目は、王国軍とどうやって連絡を取ったのか、という点です。御覧の通り、リズール川に遮られていて連絡を取り合うのは非常に難しいはず。我らが追われてきてゾゾドギアで防備を固めるつもりだというのは、王国軍には予想がつかないはずなのです」

「それは大した問題ではない。ジーラゴンの船団を動かす者が、独自に動けばいいだけの話だ」

「……たしかに、その通りです。しかしそこで、二点目の話が引っかかってきます。ジーラゴンの領主、ラールゴールは我らの味方ではなかったのですか?」


 彼は嘘をついていない、と言ったのはジャハーラ自身のはずだ。そういう思いを込めて、スッラリクスは言った。


「嘘は、ついていなかった。だが……あいつは、おれたちを招き入れる時に、何と言ったのだった?」

「歓迎します……と」

「……そうだったな」


 二人の間に、沈黙の時が流れた。風が吹き、リズール川の上を波紋が走る。その風は、川のそばで待機する帝国軍の中にも、すうと入ってきた。スッラリクスは身体の内側にまで冷気が入り込んだような感覚になった。


 歓迎する、という言葉に嘘がなかった。だがそれは……


(王国軍の立場にいたとしても、歓迎する内容、ということですよね……。わざわざ罠の中に飛び込んできてくれた格好になるのですから)


 考えると、背筋に冷たいものが走る。ラールゴールは、愛人を連れてさえいた。ここから先は完全に邪推だったが――もし、彼が魔都に送った人質たちになんの価値も見出していないとしたら? 王国軍に降る最高の機会を得たということには、ならないか。


「ジャハーラ様、ゾゾドギアから旗が」


 兵が寄ってきて、言った。ゾゾドギアに上がった旗は、帝国の物だった。二匹の蛇が絡み合ったデザインの旗が、風に靡いている。


「どうやら、ゾゾドギアは味方のようだな」


 ジャハーラが嘆息交じりに言った。スッラリクスは、苦い顔をして頷く。


「報告します、上流、下流ともに船影は発見できていません」

「報告します、王国軍は今もなお、西へ向けて進軍中の模様です。二刻もたたぬうちに、目視できる範囲に入りましょう」


 次々に、斥候隊からの報告が入った。


「二刻か。軍師殿、どうする? 時間はそうないぞ。敵が迫る前に渡河するか、南北のいずれかに逃れるか」

「逃げるのは、無謀でしょう。退路は西にしかありません」

「南部のてきとうな都市を落として、そこで籠城を決め込むというのはどうだ? 非道に徹すれば、持久はできるはずだ」

「それは、不可能ではありません。しかし、その場合にはゾゾドギアを失うことになる。ゾゾドギアに残してきた一万の兵を失うことになり、またクイダーナ地方への敵の侵入を防ぐことができません。兵を見捨て、民を見捨て、それで果たして国軍と言えますか」


「ふっ、言うではないか。確かに、その通りだ。それにゾゾドギアの一万は新兵ばかり。ろくな将も残してきていない。いくら要害の地といえど、おれたちが戻らねば烏合の衆にしかならん。なら、話は簡単ではないか。さっさと川を渡ってしまおう」

「……ワニがいます。いくら魔族といえど、力ずくで突破を試みれば犠牲は免れません。それに、渡河の途中で王国軍が追いついてくれば、背中から矢雨を降らされることになります。身動きのとりにくい川の中で、すべての矢を薙ぎ払いながら、ワニと戦って向こう岸まで泳げますか?」

「難しいだろうな。さすがに、ここまでの撤退戦で我々も消耗している。……では、どうする? 考えているだけでは戦況は悪くなる一方だぞ。こちらが動かぬとも、敵は動きを止めぬのだからな」


 ジャハーラの言う通りだった。こうしている間にも、王国軍はじりじりと距離を狭めているはずだ。


 スッラリクスは唇を噛んだ。後悔しても、したりない。ラールゴールのほくそ笑む顔が、目に浮かぶようだった。口の中に、血の味が滲む。


「一つだけ、案があります」


 考えた末、スッラリクスが言った。冷静な声だった。


      ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


※現在の戦場はこのあたりです。

挿絵(By みてみん)


※詳細を図にするとこんな感じです。

挿絵(By みてみん)


※矢印の大きさなどには突っ込まないでください……。

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