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ユーガリア戦記  作者: さくも
第5章 王国の猛攻
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5-19「現世に楽しみは酒くらいしかないんじゃないか」

 機構都市パペイパピルの占拠は、至って目立たたないように行われた。ゼリウス率いる帝国軍七千に加え、海賊たちが入港していている。領主のルーク伯爵も死んだ。町の中では兵士たちの死体がまだ転がっているような状況であったが、城壁の外にほとんどその情報は漏れていない。


 電撃的にパペイパピルを陥落させたゼリウスは、自分たちが潜伏しているという情報を秘匿させた。ルノア大平原にある諸都市は、それぞれ独立の精神が強い。密な連絡を取り合っているというわけではないのだ。モンスターやドルク族が襲撃してきたなどの情報は、襲撃を受けた都市から逃げ出した者たちが広めていく。本来は帝国軍の襲撃も、逃げ出した者たちが近隣の都市へ伝えるはずだった。ところが、ゼリウスたちはあっという間に都市を陥落させると、城門を閉ざして情報の伝達を遮断してしまった。


 ゼリウス麾下の三百騎は本当にすごい、とディスフィーアは改めて思った。装備を灰色に統一したゼリウスの麾下は小隊ごとに分かれて各所で指示を出している。

 意思をくみ取るとかそういうレベルを超越している。ゼリウスがどうするつもりかを読み取って、必要なことを粛々とこなしている。まるで最初から全員が自分のやるべきことを把握していたようだった。二小隊ずつ城門の閉鎖に向かい、都市内の有力家の制圧に一小隊ずつ、戦死者の後処理に三小隊、残った者たちは兵を率いて市街地と採掘場を制圧した。遅れてゼリウスが上陸してきたときには、既にパペイパピルの占拠は終わっていて、情報の制限まで完了していた。商人たちも数日間は都市から出さないようだ。あらかじめ決まっていたかのように徹底してそれらは行われた。


「すげえ……」


 ゼリウスと共に上陸したアッシカが言った。ディスフィーアは鼻を高くして「どんなもんよ」という顔をしていたのだが、ルーイックに「あ、親分! 一番の手柄はおれだから!」と割り込まれてしまった。


「何言ってるのよ。あんたがルーク伯爵を殺しちゃったせいで仕事が増えたんでしょ」

「なんでだよー!」

「生きていたら、もっと自然に『何事もなかった』って風を装えるでしょ」


 ディスフィーアの言葉に「ぶーぶー、姉ちゃんの方が活躍してないくせにー」とルーイックが文句を言った。ユニコが面白げに獅子の尻尾を振る。ディスフィーアはユニコに跨ると、街中をひと駆けした。つい数刻前まで戦闘が行われていたとは思えないほどに、町は静まり返っている。制圧は順調のようだ。ゼリウスの率いる帝国軍は略奪を働かない。そういう素振りを見せた者たちも、各所で眼を光らせる灰色の騎馬隊の姿を見るとどうにも強気に出られないようだ。統率の取れた軍だ、とディスフィーアは思った。


「あ、そうだ。人参酒探してみよっか。ゼリウス様も二、三日はルノア大平原の情報収集に当てるつもりみたいだし」


 ディスフィーアはユニコに話しかけた。久々に陸地を走り回れて、ユニコも嬉しそうだ。ディスフィーアは町中の酒場を巡った。町が占拠されたということもあって、閉めている店がほとんどだった。ディスフィーアは閉まっている戸を遠慮なく叩きつけ、店主を呼び出した。だが、どの店にも人参酒は売っていなかった。


「一度だけ入れてみたことはあるんだけど、さっぱり売れなくてさ」


 呼び出された店主の一人は、申し訳なさそうに言った。確かに、ディスフィーアは自分で飲みたいと思う味ではなかった。売れなくて然るべきだ。


「どこでなら飲めるとか、知らない?」

「教会都市ミズリスでなら飲めるとは思うよ。あそこはお酒の種類が豊富に揃ってるから」

「へー。教会都市っていう割に、お酒は色々置いてるのね」

「聖職者の楽しみはそれくらいしかないんだよ。女はダメ、食事も節制しろ……。現世に楽しみは酒くらいしかないんじゃないか」


 そういうものか。そういうものかもしれない、とディスフィーアは思った。


「それで、ミズリスってここからどのくらいなの?」

「北東に向けて街道沿いに走れば、馬の足なら一日半ってところじゃないかな」

「あら、案外近いのね。ありがと」


 ディスフィーアは礼を言って酒場を出た。「どうだった?」と訊きたいかのようにじっと見つめてくるユニコに「なかった」と答える。うなだれたユニコの首筋をポンポンと叩く。ディスフィーアはユニコに再度跨ると、ゼリウスを探した。


「ゼリウス様ーっ!」


 町の巡回に出ていたゼリウスを見つけると、ディスフィーアは大きく手を振った。髪に顔は隠れているが、たぶんこっちに気づいた、とディスフィーアは思った。


「ちょっと周辺都市で情報集めてきまーす!」


 近づいて言ったら止められてしまいそうな気がして、声が届くぎりぎりの範囲でディスフィーアは言った。しかし止められたところで、そもそもディスフィーアがパペイパピルにいてもできることは何もない。パペイパピルの占領にあたるあれこれは、軍と海賊たちで上手くやるはずだ。ゼリウスは少しの間動かなかったが、指を三本立ててくるっと回して見せた。三日以内には帰ってこい、という意味だろう。


「じゃ、行ってきます!」


 ディスフィーアは町を抜け、城門をくぐった。教会都市ミズリスは、北東へ一日半の距離と聞いた。ユニコは速度を上げていく。このペースなら今日中に着きそうだ、とディスフィーアは思った。ユニコはよっぽど人参酒を飲みたいようだ。


 予想通り、教会都市ミズリスに到着したのはその日のうちだった。陽は落ち切ってずいぶん時間がたっていたが、それでも酒場はまだ営業をしていた。樽いっぱいの人参酒を買い求めると、さすがに店内がざわついた。

 あまり目立ちすぎてしまうと、王国軍に情報が入りかねない。王国軍がどこまで帝国内部の情報を掴んでいるのかわからないが、自分のせいでゼリウスの足を引っ張るような真似はしたくない。ディスフィーアは荷台を借りてユニコにくくりつけると、そそくさと町を出た。平原に野営の準備をした。火を起こし、手持ちの携帯肉を焼く。樽に入った人参酒を、厩から拝借してきた桶に注ぎ、ユニコが飲めるようにする。ディスフィーアが自分の酒瓶を取り出したところで、ユニコも酒に口をつけ始めた。


 噂が広がって、それを王国軍が拾うだろうか。ディスフィーアは少し考えたが、まあ大丈夫だろうと結論付けた。

 ルノア大平原は広い。それに、もう深夜だ。一角獣の姿を見たと言い張る者たちがいても、ほとんど酔っ払いだ。幻でも見たんだろ、と掻き消える程度の噂にしかならないだろう。


 久々に、朝までユニコと語り明かした。海賊たちの話。デメーテの話。デメーテとゼリウスの間にいたはずの子どもの話。それから、戦争の話。北で戦うエリザたちの話や、この大平原のどこかで戦っている父ジャハーラの話。やはり父親が気になるか、とユニコが訊ねてきたような気がした。


「そんなわけないじゃない」


 ディスフィーアは、自分が酔っていることに気づいた。呂律が回っていない。感情を制御しきれない。視界が回る。揺れているようだ、とディスフィーアは思った。船の上で寝そべっていた時と同じような感覚だ。ディスフィーアは意識を失った。


 何かが近づいてくる物音を聞いて、ディスフィーアは目を覚ました。魔物か、と思って飛び起き、風の精霊を集める。陽はもう高い。魔物に気配が察知されないように、精霊たちに臭いを掻き消してもらっていたはずなのに!


「わ、わ、わ……ごめん! ごめんなさい!」


 近づいてきていたのは、馬に乗った青年だった。くるくるっと巻いた茶色の髪。美形と言っても差し支えない端正な顔立ち。あと十年……いや、五年もすればディスフィーア好みの男に育ちそうだ。陽光の下で鎧が輝いている。情けない表情を浮かべる主人とは違って、馬は堂々としていた。


「なあに、泥棒さん?」


 そうは見えないな、と思いながらディスフィーアは訊ねる。身に着けている鎧はまだ新品のようだし、乗っている馬はずいぶんと良さげな馬だ。腰に下げた剣も、鞘と柄だけでかなりのお値打ち物だとわかる。青年は口をパクパクと動かして何かを伝えようとするのだが、一向に言葉は出てこない。

 ディスフィーアは隣で眠る一角獣に目をやった。ユニコは半眼を開けて状況を確認すると、静かに目を閉じた。危険はないと判断したようだ。


 間抜けな音が響いた。

 要領を得ない青年の代わりに、お腹の音が答えたようだ。馬上の青年が顔を真っ赤にする。その様を見て、ディスフィーアは大声で笑った。


「お腹が空いたって言いなさいよ! ほら、昨日の残りあるから。はいどうぞ」


 干し肉を投げてよこす。青年はそれを受取ろうとして態勢を崩し、落馬した。鎧を着たまま落ちたが、大丈夫だろうか。

 心配は一瞬の杞憂に終わった。

 いてててて……と、青年が起き上がる。


 青年の間抜けな姿を見て、ディスフィーアはまた声を出して笑った。

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