最終話
『……おい』
ケトラミさんが何とも言えない顔でこっちに来ていた。
『ま、舞戸……置いて、いかれちゃった、なの?』
ハントルが心配そうに私の足元にやってくる。
『やあだ、アンタ、おいてかれちゃったのお?ホントにどんくさいわねー』
グライダがあらあら、とやってきた。その声は優しい。
『……これは、舞戸様にとってまずいことでは?』
『では?』
『では?』
うるせえ。一斉に首をかしげるな。エビフライぶつけんぞ。
……そして、テラさんとシューラさんまでもが、気づかわしげに私の所に寄ってくる。
メイドさん人形達も『あれ?』みたいな顔して私を見ている。
うん。持つべきものは良き仲間モンスターと仲間人形。
……うん、まあ、解決策は、分かってるんだけどね?
……ずっと前から、置いて行かれる気はしていた。いや、こういう意味じゃなくて。
私が彼らに抱いていたものは、友情よりも尊敬だった。
だから、追いつけないなあ、とか、多分私はこのままなんだろうなあ、とか、思ってたわけである。
……けれどまさか、こういう置いて行かれ方をするたあ、思ってなかったんだよね。
ましてや、やっと『置いて行かれる気がしなくなった』のに、である。
……私は多分、この世界に来るとき、置いて行かれないように、って望んだような気がする。
そして、きっと、その手段として私は『メイド』としての能力をこの世界に貰った。
待っている役だった。
皆と一緒に進んでいける役じゃなかった。
でも結局、置いて行かれはしなかったんだ。
……今なら言える。
私は多分、元の世界に戻っても、もう置いて行かれない。
あと1年ちょっとで、私たちは離れ離れになる。……いや、だってさあ、学力に差が……うん、これは考えない事にしよう。
だから、多分、進む方向は違うと思う。
けれど、そのスピードは。ベクトルでいう所の、向きじゃなくて、大きさは。
……きっと、彼らと肩を並べる事が出来ると思うんだ。
置いて行かれるんだったら置いて行っちまえ、っていうのも、もうやめておこう。
どうせ人間だから、いつかは別れる事になるだろうけれど、それが今である必要はない。
もうちょっと楽しんだって、罰は当たらないだろう。
「女神さん、魔王さん」
奈落の水晶宮にお邪魔すると、そこでは魔王さんと女神さんが、チェス盤を挟んで2人で座っていた。
「元の世界に帰る、第三の方法を教えてください」
「……成程、な。それで、帰り損ねた、と」
女神さんと魔王さんに説明した所、何とも言えない顔をされた。
そして、魔王さんがお茶を淹れてくれて、女神さんが矢鱈と美味しい果物をお茶菓子代わりに出してくれた。
なにこれ超うまい。
花のような香りと、瑞々しくてそれでいて滑らかな食感。強い割にすっきりした甘みと、それを引き立てるやや強めの酸味。
桃か洋梨に似てるけれど、もっと滑らかで濃厚なかんじだ。
これ持って帰りたい。
「1つ、確認したいことがあります。私は元凶と一体化してるんでしょうか」
お茶と果物をしっかり頂きつつ、心配な点を聞いてみる。
「なっているとしたら、この世界に舞戸が落とされた時に、であろうな。『共有』は『虚空の玉』の魔力の行き先を少々舞戸自身へと変えるだけであったはずだ。ただ……最早、それは『虚空の玉』では無い。……その形は完全に失われ、魔力を吸って、汝らの世界に運ぶ、という機能だけになっておるのだろうな」
ふーむ、それじゃあ、私は元凶カウントに入ってない、って考えても、良いんだろうか?
……いや、コンパスが私を指したことを考えると、神殿のカウントも私混みなんだろうなあ。
「そのせいで魔力が高くても、使える魔力が少なかったのであろうな。魔力が湧き出る側から吸われていたのでは、使い物にならぬだろうて。……そのせいで負荷をかけてしまったな、舞戸には。本当にすまなかった」
あー、私の戦闘力0はそういう理屈だったのか。へー。
なんだか、ちょっとすっきり。
「さて。……元の世界に帰る、第三の方法、であったな」
女神さんは立ち上がって、こう言った。
「世界の果てを超えて行け。どこまでも信じて進め」
そして、少し迷うように黙ってから、こう言った。
「世界の果てを超えるための鍵は、ここにある」
女神さんの手の上に、綺麗な青い鍵が現れた。
「そして……これが欲しくば、余に勝て!」
……そうきたか。
女神さんは厳しいながらも、辛そうな顔をしている。
魔王さんも唇を引き結んでいる。
まあ、そういう事なんだろう。
決まりだけれど、本当はやりたくない。そういう事なんだろうなあ。
それに文句を言うつもりは無いし、むしろやる気満々である。
「じゃあ、勝負は大富豪で決めましょうか」
だって、女神と魔王とトランプゲームできる機会なんて、そうそう滅多にないよ?
そう言った時の、女神さんと魔王さんの顔の「ほっ」具合は素晴らしかった。
うん、だって殴り合ったら魔王さんですら一瞬でお亡くなりになるっていうのに、私なんかが勝てるわけが無い。
「しかし、ドミトリアスまで参加するのか?」
「……フィアナ、2人で対戦すると、自分の手札に無いカードが全部相手のカードになる。勝負にならないだろう」
うん。そういう事だ。
「だから、私が女神さんよりも先に上がったら私の勝ち、っていう事で」
「成程な。よかろう。では始めるぞ」
魔王さんのお宅にあったトランプに似たカードをお借りして、ゲームスタートだ。
……このカード、魔王さんお手製らしい。
薄く薄く削った宝石と金属細工でできたカードで、なんというか……工芸品の域。
そして、流石魔王さんというか、カード1枚1枚に不正防止の魔法が掛けてあるんだそうだ。だから、不正の心配も無い。
「では、ドミトリアスからだな」
ちなみに、順番は魔王さん→女神さん→私。
「久しぶりだな」
魔王さんはクラブの5を場に出す。
「ふむ、ではこれだな」
女神さんはダイアの6。刻むなあ。
「じゃあ、私はこれで」
私はハートの2を出す。
ゲームは着々と進んでいく。
ちなみに、全く緊張していない。
女神さんは『余に勝て』って言った。『余に負けるな』とは言ってない。
だから、何回でも再戦を申し込めばいつかは勝てるでしょう、多分。
「じゃあ8で切って、革命」
「革命返し」
……なんというか、3人という少人数で、しかも対戦相手が女神と魔王、っていう時点で想像はしてたけど、非常に荒れた局面になっております。
なんだよ、革命返しって!
「9のダブルです。いませんか?じゃあ9、10、Jのシークエンスです。いませんね?じゃあ8で切って5で上がりです」
結果、勝てた。
大富豪なら散々皆さんとやってたからなあ。誰がどの札出したかを覚えてるのはもうすっかり得意だ。
だから、運以外の部分は、完全に女神さんと魔王さんと、対等に立てた。
……そして、まあ、運が絡むゲームだったからね。
これ、完全に頭勝負のチェスとかだったら、絶対勝てなかっただろうなあ。
「ふむ、これはやられたな」
女神さんはそう言いながら、ちょっと嬉しそうだった。
「では、約束の鍵だ。世界の果てに当たったら、これを使って扉を開け」
鍵に付いた鎖を私の首にかけながら、女神さんは瞑目した。
「辛く長い旅路になるぞ。心して進め。……恨んでくれても、よい。どうか」
「恨みます。凄く恨みます。だからその分、この世界の事、よろしくお願いします」
女神さんの言葉を遮って言って、開いた青い瞳をまっすぐ見つめ返すと、空の色が、ふるりと揺れる。
「約束しよう。この世界は、もう二度と、このような事にはせぬと」
魔力の無い今、女神さんにできる事は少ないはずだ。
けれど、やりようは幾らでもあるだろう。
そして、きっとこの女神さんなら、なんとかやってくれるはずだと思う。
「これを持っていくといい。君の支えになるだろう」
魔王さんが、赤い石と金属細工でできたヘッドフォンみたいなものをくれた。
「旅に疲れたら、これを耳に当てるといい。……心の弱い者には麻薬になるが、君ならきっと大丈夫だろう」
試しに装着してみる。
……声が聞こえた。
それは、何気ない雑談だったり、作戦会議だったり。
私の名を呼ぶ声だったり。
「ありがとう。頑張れそうです」
この声が懐かしくなって、忘れてしまう程、道程は遠く長いものになるのだろう。
それでも、私は帰る。帰って、今度は。これからは。
……この意志は私がこの世界で手に入れられたものの1つだ。
この世界に来れた事は、不幸な事では無かったと思う。
地上に帰ったら、荷造りを始めた。
『転移』が効かなくなるかもしれないから、食料と水を持つ。
それから、感傷的だけれど、この世界の思い出になるような物も。
どれぐらい長い旅路になるのか、まるで分からない。
結局は、『なるようになるさ』の方針で行く事にした。
『転移』できないようならその時また考えよう。
『おい』
その時、ケトラミさんの声が聞こえた。
『行くんだろ。乗せてってやるよ』
……見れば、皆、居る。ハントルもグライダもマルベロも、ドラゴンズも。メイドさん人形達も。
「長くて辛いらしいよ。それでも来るの?」
長い旅路になると、女神さんは言った。
……だから、きっと、連れて行くべきじゃないんだろうなあ、とは思うんだ。
けど、彼らは分かっていて、退かないでいてくれるのだから。
「うん。じゃあ、お願いしようかな」
ケトラミさんの尻尾がもふ、と私を撫でる。肯定と見ていいだろう。
「よーし、じゃあ『転移』!」
まずは、世界の果てに移動した。
前来た時と、同じだった。
波が砂浜に描くレース模様も。遠い水平線も。そして奇しくも、茜色の空も。
海に向かって歩くと、やはり前と同じように、壁のようなものに触れた。
「ここだよね」
そこに、女神さんから貰った鍵を差して、ゆっくりと、鍵を回す。
……かちゃり、と、音が聞こえた気がした。
世界の果てを超えて進む。
ここでは波の上でも歩けるらしかった。まるで、水の上にガラスが張ってあるみたいだ。
沈んでいく太陽を見ながら、ケトラミさんに乗せてもらって進んでいく。
やがて空には月が登る。
……そういえば、この世界の空の星について、鈴本に聞くのを忘れた。
聞いたら面白かっただろうな。
……どうせ長い旅になるんだ。この世界の星を一つ残らず覚えてから帰るのもいいかもしれない。
暫く進んで気づいた事がある。
ここでは、食事も睡眠も必要ないらしい。
疲れもしなければ、お腹も空かなかった。
ケトラミさん達も同じらしい。
うん、食料とか、要らなかったかもしれない。
多分1月ぐらい経った。
いや、途中で数えるのやめちゃったけど。案外私は堪え性が無い模様。
ケトラミさん達と話しながら進んで、時々ケトラミさんからグライダやマルベロに乗り換えて(なんとテラさんとシューラさん他、ドラゴンズも乗っけてくれた)、ほんの時々、魔王さんから貰ったヘッドフォンのお世話になる。
ただひたすら進む。
どこまでも進む。
延々と進む。
景色は変わらない。ずっと空と海があるだけで、そこに大きな変化は無い。
太陽も月も、一向に近くならないし、岸はとっくに見えなくなっている。
昼夜は分かるから、時間の感覚が狂わない。
それは幸せな事なのか、不幸な事なのか。
……まあ、時間の感覚がおかしくなるよりはいいか。
どのぐらい経ったかマジで忘れた。
いい加減ケトラミさん達との会話の種も尽きた気がする。
いや、最初の頃に話した内容を忘れて、もう一回ループしてるのか、新しい話題なのか分からん、っちゅーことなんだけども。
いや、結構覚悟してたんだけど、流石に長い。
あとどれぐらい続くのかなー。
そろそろ自分が正気なのか怪しくなってきた。
ケトラミさん達と会話はできてるし、多分大丈夫だろう。多分。
……ちょっと嫌な予感がして食料の干し肉をちょっと齧ってみたら、衝撃的だった。
『味』っていうのは素晴らしいね!
なんか星が変わってきてる気がする。
いや、私の目か頭がおかしくなってる可能性も否定できないんだけども。
それにしても、魔王さんから貰ったヘッドフォン。これ、凄く有難い。
これが無かったら、色々忘れちゃってたかもしれない。
テープと違って、何度聞いても擦り切れる心配も無い。
多分、いや絶対、テープだったらとっくに擦り切れてるな、これ。
ある所まで来たら、扉が1つと門が1つ、ぽん、とある所に出くわした。
余りに久しぶりにケトラミさん達と空と海以外の物を見たんで、ちょっと現実感なさ過ぎて、多分丸一日位そこで『うわー何これ何これ』ってやってた。
門の向こうには、空でも海でも無く、森がある。門の反対側に回って見てみても、やっぱり森がある。
……ああ。『お帰りはこちらから』の門らしい。
『……ここでお別れ、って奴か』
ケトラミさん達が帰れるタイミングが、ここなんだろう。
それは私達全員、分かった。
『……舞戸、元気でね』
ハントルが私の腰に巻き付いて、お別れの挨拶をした。
『はー、アタシ、もしかしたら人生の半分ぐらいの時間、アンタと過ごしちゃったかも』
グライダの言う通りかもしれない。もううん十年経ってる、って言われても納得する。
『ま、元気でやんなさいよ』
グライダはそう言って、さっさと門を潜って行った。あっさりしてて、グライダらしい。
『舞戸様。長いんだか短いんだか分からない時間でしたが、お世話になりました!』
『舞戸様の事は私マルベロ、決して忘れません!』
『というか忘れられません!お元気で!』
マルベロもそう言って門を潜っていく。
『舞戸さん、角三様にもよろしくお伝えください』
『羽ヶ崎にもよろしく言っておいて』
テラさんとシューラさんも(流石にこの長い間でパス繋いだ。じゃないと話せないんだもん)挨拶もそこそこに門を潜っていく。
ドラゴンズも、それぞれご主人様の名前を出しながら(よく覚えてたな。……あ、モンスターの寿命って人間のそれじゃないのか。じゃあ当然っちゃ当然なのか?)去って行った。
メイドさん人形達がふわふわと空中に整列し、敬礼したので、私も敬礼し返す。
じっ、と私を1秒ぐらい見つめてから、メイドさん人形達は門に消えていった。
最後にハントルとケトラミが残る。
『……俺はよ。お前が死ぬと思ってたぜ』
「奇遇だね。私も死ぬと思ってた」
それが自分に相応しい気がしていたし、それしか想像できてなかった気がする。
置いて行かれるなら、置いて行ってしまえと。死ぬなら最初がいいと。そう。
『ったく、とんだ期待外れだったな』
ケトラミさんは悪態をついて、尻尾でもふり、と私を一撫でした。
『……達者でな』
『達者でな、なの』
「うん。……ケトラミも、ハントルも。……元気でね」
そして、ケトラミは尻尾を振って応えて、ハントルはケトラミの上に乗って、私を見ながら、門を潜っていく。
そして、見えなくなった。
……私も、いかなくちゃ。
もう1つの方、扉には、鍵も掛かっておらず、難無く開く。
……どこかの建物の中らしい。
円形の部屋で、高く高く上へ伸びている。
その壁に沿うように、螺旋階段がずっと続いている。
うん、先が見えるから苦でも何でも無いね。
上まで登ったら、扉が付いていた。
扉を開けると、一気に光が雪崩れ込んでくる。
目を開けると、そこは時計塔のてっぺんだった。
眼下に広がっていたのは、初めて見たような、良く知っているような、奇妙な世界。
宙で巨大な歯車が幾つも噛み合い、回っている。
装飾的な金色の歯車の列の向こうでは、銀色の現実的なつくりの歯車。
きっちり計算されたように動く歯車も、その歯車で動いているらしいこの大きな時計塔も、機械仕掛けの世界で、それでいてどこかが破綻していて、それでも動く、そんな世界。
振り返ると、後ろに広がっていたのは花畑。
……奈落に咲く、あの青い花畑みたいだった。
360度、どこを見ても私好みの世界だった。
ここはどこなんだろう、って、考えたことがある。
随分前……グライダと戦った時。死にかけたんだか、なんだか、よく分からない状態で、鏡とガラスでできたグライダの世界の後に、私はここに来た。
……なんとなく、感覚で分かる。ここは多分、私の世界、なんだろう。
私の内側にある世界。前方には綺麗な歯車が大空に回っていて、空はどこまでも綺麗で、後ろにはずっと、奈落の青い花畑みたいな花畑が広がっている。
私は、この世界を好きになれたことを、心から嬉しく思う。
ふと気づいたら、いつの間に来たのか……居た。
腕は4対、足は無くて宙に浮いてる。白くて、そして、のっぺらぼうだった顔の一部にガラス片がはめ込まれ、そこから目が見える。
その目は笑っているようだった。
それが私の後ろを示す。そこにはまた扉があった。
私はそれに手を振って、その扉を開く。
ここも、鍵なんて要らない。触れれば開く。
……ふと、随分前の事になるけれど、あの世界の果ての壁も、本当は鍵なんて必要なかったような気がした。いや、気のせいかもしれないけれど。
扉の先は、また、あんまり何も無いような所だった。
ただ、凄く懐かしい気配がする。
呼ばれているような気がして、堪らず私は走り出す。
只々進む。どこまでも進む。
それは会うためで、会って話すためで、ただいま、って言って、お帰り、って言ってもらう為で。
つまりは、帰るために。
私はどこまでも進む。




