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金の夜に狼が吼える  作者: 星河雷雨
それから

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第七話



 獣のごとき所業、か……。


 だから、姫に獣になる呪いをかけようとしたのかな? 


 人の姿ではなくなった姫に、自分の娘に、もし殺してくれと頼まれたら、お前等ならどうする?


 そう、バルダザルは問いかけようとしたのだろう。


 そりゃ両親にとっては、どちらを選ぼうと辛いよね。


 父親であるバルダザルだって、辛かっただろうよ。


 でもさ、娘さんの気持ちもわかるよ。姫が今二十歳前後だとして、今から六年前ってことは、ちょうど多感な時期じゃない? 思春期じゃない? バルダザルって人も辛いだろうけど、そりゃ娘さんだって辛いよ。


「その時……姫に向けられた呪いを、ダンカンが代わりに受けたんです」


 なるほどねー。いや、思っていたよりも重い話だったな……。


 でもさ……姫に呪いをかけるという目的を達することのできなかったバルダザルは、それで諦めたのかな? いや、諦めてないから毒入りグラス事件に繋がるわけか……。


 いやいや……。人間を獣に変えられるような魔術師が、復讐相手を毒殺しようとするか? しかも他国で? おかしくない?


 私がそう言えば、マティアスもブラッドさんも同意してくれた。


「ですが……わたくしにはバルダザル以外に身に覚えが……」


 でもさ、姫はそう言うけど、ダンカンが呪いを受けてからすでに五年経っているんでしょ? それまで何してたの? 五年放っておいて、今更毒殺?


 ねえ。姫を狙ったの、別の奴じゃない? あるいは無差別に毒を入れられたとか? たまたま姫だったとか?


 うーん、でもこのタイミングでたまたま姫ってのも、考え辛いんだよね。あるいは、姫が悪い方向に引きが強いだけか?


「アリーセの言う通り、そのバルダザルという奴だけに絞らない方が賢明だろう」


 ブラッドさんの言葉に、マティアスも頷いている。


「そうですね。とにかく、我が国において貴女の身を危険に晒したことについては、お詫びいたします」


 そう言ってマティアスが姫の目の前で胸に手を当て、軽く上半身を折った。これは宣言通り、お詫びの動作。しかし、こうやって見ていると、マティアス普通に王子様だな。我が国とか言っちゃってさ。あ、そういやブラッドさんも言ってたな。私も言ってみたいわ。


「そんな……わたくしたちの方こそ、とんでもないことを……」


 ああ、姫がまた泣いちゃった……。


 まあ、まったく悪くないとは言えないから、表立って庇えないんだよね……。


 でも姫だって、これまで辛い想いをして来たことは確かだ。間接的とはいえ友人の死に関与して、同じく自分の代わりに友人が呪いを受けて……。思い余って今回犯罪に手を染めちゃった気持ちも、考慮できなくもない。


「……マティアス。ブラッドさん。今回のこと、秘密にすることはできませんか?」

「アリーセ⁉ 何を言っている! 自分が何をされたか忘れたのか⁉」


 忘れてないよ。てか忘れられないよ。誘拐なんて初めてされたからね、下手すりゃトラウマもんだ。


 でもすぐにマティアスとブラッドさんたちが助けに来てくれたし、サイラスさんは紳士的だったし、そりゃ狼に目の前で唸られたのは怖かったけど、結局あの狼もダンカンだったし……。


 甘いのはわかってるよ。贔屓しているのもわかってる。


 でもさ、国に来て欲しいっていう姫の願い、私はきくつもりだったんだよ? 断ったのはマティアスとブラッドさん。ダンカンのことだって、呪いを解けるかどうかは別として、会うくらいは会ったよ。


 ……まあ、強硬手段に出ちゃったことについては、ちゃんと反省してもらわなきゃだけど。国としてもさー、できるだけお隣さんとは、ことを構えたくないんじゃない?


「私は最初から姫の願いを聞くつもりでした。姫が誘拐なんて真似をしなくても。ダンカンに会いに行って欲しいと請われれば、あの小屋へも出向くつもりでした。姫は……私に伝えることを忘れていただけです」


 ……ちょっと厳しいかなあ。いや、屁理屈だってことはわかってるよ? 結果オーライで済ませて良いことじゃないってのも、わかってるよ? 


 でもお願い! 聖女に免じて、今回だけは許してあげて?


 私がじっとマティアスとブラッドさんを見つめれば、二人ともに大きく溜息を吐いた。やっぱ似てるな、溜息の吐き方。


「……今回だけだよ」


 やった! 王子様のお許し出た! ブラッドさんには、もう一度溜息吐かれちゃったけどね。


 姫とサイラスさんの表情も、驚きつつも、さっきよりは明るくなっている。


 良かった~。せっかくダンカンの呪いが解けても、二人が罪に問われちゃったら、ダンカンだって気にしちゃうよ。


 あ、そう言えば。ダンカンて、今どうしてるんだろう? 治療を受けているのは知ってるけど、目覚ましたかな? ちょっと聞きたいことがあるんだけど……。


「ダンカンと話せますか?」


 私が聞くと、ブラッドさんは私に「待っていろ」と言って立ち上がり、扉の向こう側にいるだろう衛兵さんに、何か命令を出した。きっと、ダンカンが面会できる状態かどうかを、調べてくるように頼んだのだろう。


「今使いを頼んだ。戻って来るまで待っていろ」


 はい。大人しく待ってます。


 それから――衛兵さんが戻って来るまでの間、皆で少しだけこれからのことを話し合った。


 私の誘拐は結局、聖女である私が偶然出会った狼を、呪われた元人間だと見破って、実は優秀な魔術師だったサイラスさんを連れ、狼を探しにあの小屋付近まで遠征していた――てな感じで処理しようと言うことに決まった。けっこう無理くりな理由だな。


 ま、私前科があるからな。マティアスを連れて勝手に森に行って、そこで邪竜と遭遇したしな。


 あと、サイラスさんはなんで、魔術師じゃなく文官になったのかと言うことも聞いた。普通にお父さんが文官で、小さい頃から文官になりたいって思っていたからなんだって。


 ちなみに、お母さんが魔術師。サイラスさんとダンカンの才能は、お母さん譲りだね。


 そうそう。いつかウェルムに行きたいと言った私に対し、姫は嬉しそうに、けれど少しだけ悲しそうに微笑んでくれたんだよね。何が悲しかったのかな? 

 





 話し合いを始めてからほどなくして、衛兵さんが戻って来た。ダンカンはすでに、目覚めていたみたい。そこで私たちは、サイラスさんと姫とマティアスとブラッドさん――ようするに皆でダンカンに会いに行くことにした。


 で、会いに行ったんだけど……。


 部屋の扉の前に来た段階で、ダンカンと私、二人きりにして欲しいと頼んでみたんだよね。


 そりゃもう、マティアスにもブラッドさんにも反対されましたよ。いやもう、本当、相当に渋られたんだけどさ。何かあったら悲鳴あげるからとか何とか言って、最終的にはどうにか押し切ることができました。


 人間に戻ったダンカンがフラフラだったことも、二人きりの面会を許された理由だったよね。


 さて、ドキドキしながら部屋に入った私だったけど、ダンカンと目が合った瞬間、開口一番、謝られた。


「……驚かしてしまい、すまなかった」


 うん。まあ確かに、だいぶ驚いたよね。銀色のでっかい狼に唸られるって、かなり貴重な体験をしたよ。


「気にしていません」


 本当だよ? 怖かったのも本当だけどさ、こっちが勝手に怖がってただけだもん。ダンカンは、呪いで狼にされていただけだもんね。


 でも、小屋で一人でいた時もそうだけど、最後の時なんて明らかに私とマティアスを狙ってたよね? っていうか、視線はばっちり私を捕らえていたよね? あれなんで? それが聞きたかったんだよね。


 私、ダンカンに何かしたかな〜って。


 皆の前で聞いても良かったんだけどさ、もしかしたら言いづらいかと思って、二人きりにしてもらったんだ。


「……あんたから姫の血の匂いがしたから、あんたが姫に何かしたかと思ったんだ。だから、あの時もサイラスが捕らわれている姿を見て、あんたが何かしたのかと……」

 

 え⁉ あれ姫の血だったの? え? 姫、怪我したの?


 私が二人に何かしたと疑われていたのもびっくりだけど、あれが姫の血だったことの方が驚いたよ。


「だが、姫は無事だった。どうして姫の血があんたについたのかは知らないが、あんたが姫に何かをしたというのは、俺の勘違いだった」


 ダンカンがもう一度、すまなかったと言って私に頭を下げたんだけど、おかげで私の頭の中はごちゃごちゃ。


 サイラスさんは血のことを、誰かを傷付けてついた血じゃないって言ってたし、あまり詳細を語りたくないような雰囲気だったから、濁してたけどさ。


 姫の血って言われちゃったら、そうとも言ってはいられないよ。 


 ……でも。ダンカンの言うように、姫に怪我は見当たらなかったんだよね。


 まあ、怪我しているのがドレスの下だったら、確認しようがないけどさ。でもそうすると、なんでその血が私の服に着いてたのかってことになるよね? 


 私の誘拐を計画したのが姫だったことはわかったけど、実行したのはサイラスさんだしな~……って。もしかしてあの二人、そういう関係? ドレスの下を見せ合っちゃう関係? そういや、ダンカン含めて、三人とも仲良いもんな……。姫の傷の手当をしたサイラスさんの手に着いた血が、私のドレスに着いたの?


 うーん、でもな。姫が身体の何処かを庇っていたような様子は、なかったよね? それに、私のドレスに着いていた血って、結構な量だったよ? あれだけの血流して平然としてるなんて、姫我慢強すぎだって。


「ダンカン。ダンカンは、あれが姫の血だと思ったんですよね」

「そうだ」


 じゃ、なんでそんなに平然としているの?


 姫がどこか、怪我しているかもしれないんだよ?


 私がそう聞けば、ダンカンが私から目を逸らし、言いにくそうに口を開いた。


「姫は、昔からよく鼻血を出してたから……」


 ……やっぱ鼻血か。うん。そりゃ言いにくいな。


 いや、でも良かった。鼻血か。いくら美女だって、鼻血くらい出すだろうしな。姫があの外見だから、ものすごく違和感はあるけどね。


 そりゃ、サイラスさんも慌てるか……。


 …………。


 …………いや。あの時のサイラスさんは、あれが姫の鼻血だってこと、多分認識してなかったよね? 


 というか、あれは鼻血の慌て具合じゃなかった気がするんだけど。私もあの時は鼻血かなって思っちゃったけど、鼻血なら鼻血って言えば良くない? 姫の名誉を守ったにしたって、誰かを傷付けたって疑われるよりは、鼻血の方が数段マシじゃない?


 あ……そっか……。


 あの時点では、まだ姫が誘拐に関与していたってことは、明らかにされていないんだった。姫の鼻血って言っちゃえば、姫が関与していることが私にバレちゃうから、だから誤魔化したのかな?


 ……いやいや。だったら、自分の出した鼻血って言えばいいだけじゃん? プライドが許さないってタイプでもなさそうだしな、サイラスさんは。


 もしかして……そんな機転も利かせられない程、動揺していたってこと?


 でもダンカンが言うには、姫は昔からよく鼻血を出してたって話だし、そもそもの話、そこまで動揺するかな。


 う~ん。今更だけど、なんか気になるな。これは追及した方が良い話なんじゃない?


 ええと。サイラスさんに襲撃(?)されるまで、もちろん私のドレスに血なんてついていなかった。となると、そこからあの小屋に行くまでの間に、サイラスさんは一度、姫に会っていたということになる。ま、共犯なんだから会っていたこと自体はおかしくないけどさ。


 んで。そこで姫が興奮のあまり(?)鼻血を出してしまったとして……。


 それがいつものことなら、別に動揺しないよね? やっちゃったーとは思うかもしれないけど、サイラスさんならそこで、私の鼻血と言って誤魔化しておきます、くらいは言いそうなんだけど……。


 それとも……もしやウェルムでは、鼻血を出すって物凄く恥ずかしいことだったりする?


 鼻血出したことを知られるくらいなら、誰かを傷付けたと疑われる方が数段マシってくらいの、大事だったりする?


 ……いや、そんなん聞いたことないわ!


 じゃあ、やっぱり鼻血じゃないってこと?


 でも鼻血だったら、外傷がないことの理由にもなるし、あとの処理も顔拭くだけだしな。私みたいに、服についたら替えなきゃだけど……。

 

 そこまで考えた時、とっても嫌な予感が私を支配した。


 この血がもし、怪我でもなく鼻血でもないとしたら……? 同じ様に、外傷がなくて、後の処理も比較的簡単な……そう。


 例えば、吐血とか――。


 ……いやいや、考えすぎ。考えすぎだって。


 多分、吐血じゃなくて鼻血だって。


 それに、万が一吐血だったからといって、すぐにバルダザルの娘さんと同じ病を疑うのは、早計過ぎる。


 ……でも。でもそう考えると、なんで姫が、あんなに向こう見ずな行動をしたかの理由にもなるんだよ。


 もし姫が、バルダザルの娘さんと同じ病だったとしたら……。私だったら、どうにか自分の生きているうちに、自分の身代わりになってくれたダンカンを助けたいって思う。生きているうちに、元の姿の友人に会いたいって思う。


 いや……勝手に一人で結論を出すのはやめよう。姫に聞けばいいじゃん。鼻血出しましたかって聞いて、もし鼻血だったら、それで良いじゃん。


 でも……。でももし、鼻血じゃなかったら……?


 そこで話を終わりにするわけには、いかないよね?


 じゃ、結局何の血だったの? ってことになるよね。

 

 それに、聞いてもし私の推測が当たっていたら、そっちの方がどうするの? 医者はおろか、優秀な魔術師をもってしてもバルダザルの娘さんに死を選ばせるしかできなかった病だよ? どんな顔で何を言うの?


 ……聞かないほうが、いいのかな。鼻血だって思っていた方が、平和じゃない?


 でもな……あっ!


 ていうか……これうつる病だったりしない?


 だって相当珍しそうな病に娘さんと姫、狭い範囲で二人もかかるなんて、天文学的な確率じゃない?


 ――そう思い至った瞬間、ザッと音を立てて、私の身体中の血の気が引いた。


 ……落ち着け。


 落ち着け、私。


 姫とバルダザルの娘さんが、同じ病と決まったわけじゃないんだって。鼻血説が濃厚なんだって。


 それにもし、同じ病だったとしても――。


 バルダザルの娘さんの病が、人へと感染するものだとしたら……ウェルムでは、もっと大勢病に倒れる人たちが出ていたはずだ。もっと国を上げて治療に取り組んでいるはずだし、対策を取った筈だ。


 でも、そんな話はこの国へは伝わってきていない。考えてもみれば、もしこれがうつる病だとしたら、今姫がこの場にいるわけもない。


 知らない、という可能性もわずかにあるけれど、それでも姫たちはバルダザルの娘さんの症例を知っているのだから、そこに考えが及ばない筈がない。

  

 だとしたら、あと考えることができるのは――。


「……ダンカン。もしかしてバルダザルの娘さんと姫は、血が繋がっていますか?」


 どうして一介の城仕えの魔術師の娘の願いを、王家が叶えたのか。もしそれが、血縁故のことだったとしたらどうだろう。


 そこで私は、バルダザルのことを思い出した。


 バルダザルが何故、失敗した復讐をそのままにしておいたのか。


 ――王家への復讐とは、すなわち姫への復讐だ。


 自分の娘と、同じ年ごろの姫。けれど、娘と違い健康な姫。その姫を害することによって、姫自身にも、そして姫の両親には大切な人を奪われた悲しみと絶望を味わわせることができる。


 だから、バルダザルは姫に呪いをかけようとしたんだ。


 でもその企みは、ダンカンによって阻止されてしまった。普通だったら、もう一度姫を狙うよね? だって、そうしないと復讐にならないもん。王家の人間だから警護は手厚いだろうけど、そこは優秀な魔術師。いくらでもやりようはあった筈だ。


 そんなバルダザルが、何故五年も姫を放っておいたのか。


 知っていたからだとしたら? 姫も、自分の娘と同じ病で死んでいくって。


 その兆候を、早い段階でバルダザルが気付いていたとしたら、このまま放っておく選択をしたことも頷ける。だってそうすれば、自分の娘と同じ苦しみを姫に与えることができるのだから。


「どうしてそれを……?」


 ああ、やっぱり……。なら、これは多分、遺伝性の病だ。うつるものじゃない。発症するまでに時間を要する可能性は無きにしも非ずだけど、それなら姫の他にも兆候の出ている人がいるはずだ。それを、姫やサイラスさんが見逃すわけはない。


 それに――たとえウェルムが隠そうとしても、そういった話は何らかの形をとって、外には漏れ伝わっていくものだ。というか、もし流行り病を隠そうとしたことが後でバレたら、ウェルムは世界中から総スカンを喰らうことになる。となると、やっぱり隠蔽は考えられないな。


「……姫とバルタザルの娘――シェイラは、母親同士が姉妹なんだ。姫とシェイラは……とても、仲が良かった」


 サイラスさんは気付いてるのかな? ……多分気付いてるんだろうな。だから、今回のことに手を貸したんだ。


 もう鼻血説は通用しないだろ、これ……。色んな辻褄が合っちゃうじゃん……。


 ……もしかしたら昔からよく出していたっていう鼻血だって、この病の兆候の一つだったりしない? そもそもが、生まれ持った肉体が弱いってことも考えられるし……。


 ……どうにかできないのかな? 


 バルダザルの娘さんの時は、間に合わなかった。でも、前世の知識を使って、何かできることはないのかな?


 全ての内臓が徐々に機能しなくなる病? 多臓器不全? でもそうなる原因は一つじゃないし、特定するのも難しい。そして特定できたとしても、この世界では特効薬もないし治療法もないし、そもそも前世でだって完治するのは難しい病だった。


 この世界で、前世の世界の医療に匹敵する魔術の専門家が心身を賭してさえ、悲惨な結果に終わってしまったのだ。私がどうこうできる話ではない。


 それに……たとえ姫が、バルダザルの娘さんが拒否した未来を受け入れようとしても、きっとバルダザルは姫のためには動かないだろう。


 だとしたら、どうすれば……――。


「……どうした?」


 ダンカンに声を掛けられて、私は我に返った。


 ……いや、いかん。いかんぞ私。

 

 聖女なんてもてはやされて、何でもできる気になっちゃダメだ。


 自分の無力さに打ちひしがれながら、私は、じっとダンカンを見つめた。


 ……ダンカンの想い人ってさ、多分姫のことだよね?

 

 ここで別の人って言われても、そっちの方が信じられないわ。


 ダンカンは、姫のことが好き。


 でもダンカンは、このことを知らない。姫の命が、幾ばくも無いことをまだ知らない。でも、きっとすぐに知ることになる。


 せっかく、狼から人へ戻れたのに。邪竜が倒されて、未来は変わったのに。ダンカンはまた、想い人を失うことになるんだ。


「……なんでもありません」


 悲しい。悔しい。でもそう言うしかない。


 ああ……。どうして私がいつかウェルムに行きたいと言ったとき、姫が悲しそうに笑ったのか、その理由がわかった。私の言ういつかまで、きっと自分は生きられないと知っていたからだ。


「……泣いているのか?」

 

 そうだね。私には泣くしかできないんだよ。


 けれどどうか……。私が泣いた分、姫が笑ってくれますように。


 これから先の姫の時間のすべてに、幸せが満ち溢れていますように。


 私は偽物だけど、でも聖女なんだから。


 だから、そう祈るんだ――。

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