第六話
――めでたしめでたし! ちゃんちゃん。
――で終わりになるかと思ったけど、実際はそうはならなかった。ま、考えてみれば当然か。だってダンカンの呪いが解けた以外は、何一つ解決していないもんね。
とりあえず――狼から人間に戻ったダンカンは、城へ連れて行かれて手厚い看護を受けた。聖女を誘拐した人間の身内とはいえ、ダンカンは不幸な被害者だ。そのダンカンを放置したとあっては、人道に悖るもんね。
あと、魔術師たちによる精密検査も行われた。何しろ五年もの間、呪いによって狼に変えられていたわけだし。表面的には人間に戻ったけど、狼の姿で居続けたことで、人間としての理性を失いかけていたわけだし。
でも幸い精神にまでは呪いの効果は及んでいなかったらしく、人間としての理性を失いつつあったのは、普通に発狂しそうになっていたんだろうとのこと。
……いや、本当間に合って良かったわ!
あともう少し放置してたら、ダンカン完全に、野生の狼になっちゃってたかもね。まさに呪いだよ。
そーしーてー。
聖女(私)の誘拐計画を企てた黒幕は、なんとお姫様でした~。パフパフ~!
……あ~あ。
……泣いていい? 泣いていいよね?
可憐で上品な理想のお姫様だったのに……。憧れだったのに……。お姉様になって欲しかったのに……。
まあ、あとから謝られはしたんだけどね。どうしてもダンカンを私(聖女)に診せたかった姫は、マティアスとブラッドさんに断られたことで、仕方なく私の誘拐計画を立てたそうだ。
私が囚われていた小屋は、この国と隣国ウェルムの、丁度境に位置する森の中だったらしい。理性を失いかけていたダンカンだったけれど、サイラスさんと姫の呼びかけには反応するため、もしもの時のことを考えて、あの小屋付近まで連れてきていたのだとか。
で、私が目覚めた時にサイラスさんが小屋にいなかったのは、ダンカンを呼びに森へと行っていたかららしい。でも、サイラスさんが呼んでも、ダンカンは来なかったというわけ。
でも、実はダンカンは来なかったんじゃなくて、サイラスさんの元へと向かう途中、逃げるために小屋から出た私と偶然遭遇してしまったのではないかとは、ブラッドさんの談だ。実際、小屋の周りにいたわけだしね。てか、間が悪いな私!
結局ダンカンと入れ違いになってしまったサイラスさんは、ブラッドさんたちが追跡してきたことで、私とダンカンをその場で会わせることは断念し、素直に捕まることにしたそうだ。
そこへひょっこり現れたダンカンには、サイラスさんも驚いたのだとか。しかもあの時のダンカンは、普通に野生の狼みたいだったしね。
てかさ。さすがにその計画、向こう見ず過ぎない?
ダンカン元に戻ったあと、どうするつもりだったの? 全てが終わったら、出頭するつもりだったの?
てか、戻ればまだ良いよ。戻らなかった場合、本当どうするつもりだったのさ、二人とも。
一国の姫が、聖女誘拐の罪を認めるつもりだったの? その時の、両国の軋轢考えなかったの? それとも、サイラスさんに罪をかぶせるつもりだったの? それでも色々ヤバイけどね!
私がそう言えば、姫はそこまで考えていなかったなんて言って、さめざめと泣き始めてしまったのだ。とにかく、だんだんと人間らしさ(?)を失っていくダンカンを、これ以上見ていられなかったんだとか。
う~、参ったな。女性の涙には弱いんだよ、私。
姫とサイラスさんに、悪気があったわけではないことは、二人の態度と表情を見ればわかるし、追い詰められた人間が、時にとんでもない破滅的行動をしてしまうことも知っているしな……。
……ええ。仕方ないから、許しましたよ。結局私に、深刻な被害はなかったわけだしね。
それでも、二人には、私を誘拐する前にすべての事情を打ち明けるという手だって、あった筈なんだよね。
私たちを信頼しきれなかったのかもしれないけどさ、それでも誘拐なんて最悪な真似、事情を話した上で断られた時に取るような、本当に最悪な最終手段なんだよ。いや、本当の本当は、どんな理由があろうとしちゃいけないんだけど!
そこはきちんと、言っといたよ。……私じゃなくて、ブラッドさんがね。
あ、あとね。あの毒入りワイン事件。犯人はまだ、見つかっていないんだよね。
まあ、あの日は沢山人がいたしね。王宮の警備に少しだけ不安はあるけれど、でも正式に招待された人が犯人だった場合、どうにもできないだろうし。だって、ほとんどが王族か、その関係者だもんね。それに前世と違って監視カメラがあるわけでもなし、指紋やDNAが取れるわけでもなし。
でもさ、やっぱり犯人見つからないって怖いよね? だってまた姫が狙われるってことじゃん?
そう言うと、サイラスさんと姫は顔を見合わせて項垂れてしまった。あれ? もしや犯人に心当たりあります?
「……おそらくですが、わたくしのグラスに毒を入れたのは、ダンカンに呪いをかけた魔術師か、その関係者ではないかと考えているのです」
「ダンカンに?」
え? なんでダンカンに呪いをかけた魔術師が姫を狙うの? ていうか、ダンカンなんで呪いかけられたんだろう? あ、元々呪いをかけられそうになったのはサイラスさんか。自分を庇ったって、サイラスさんは言ってたもんね。
「ダンカンは、サイラスさんの代わりに呪いを受けたと言っていなかったですか?」
私がサイラスさんに向けてそう聞けば、サイラスさんの代わりに答えたのは姫だった。
「サイラスは、私を庇おうとしたんです。そしてそれを、ダンカンが庇い……」
姫が悲しそうに俯き、唇を噛んだ。
そうか……。姫を庇おうとしたサイラスさんを庇って、ダンカンが呪いを受けたのか……。ややこしいな。
でも……ってことは、元々狙われていたのは姫ってこと? ダンカンが代わりにならなければ、姫が狼になっちゃってたかもってこと? おおう……。
ダンカンなら良いってわけじゃないよ? 誰でも駄目だよ? でも蝶よ花よと育てられた王女が、野生の狼って……えぐいわ!
私がその魔術師に対する怒りにふつふつと燃えていると、姫がウェルムの王家と魔術師との間の因縁を、とつとつと話しはじめた。
「……彼の魔術師は、ウェルムの王家を憎んでいるのです」
姫が言うには、姫に呪いをかけようとした魔術師は、元はウェルムの王家に仕えた魔術師だったらしい。
ことの発端は、六年前。
ダンカンが呪いにかけられる、一年前。
ウェルムにはかつて、バルダザルという名の、腕の良い魔術師がいた。
そのバルダザルって人は、とても研究熱心で、独自に呪いの研究をしていたらしい。けれど、呪いはかなり高等な魔術の応用方法であり、しかもこれまで、あまり倫理的に褒められた使い方をされてこなかった。だから、そのバルダザルって人は、他の魔術師たちから遠巻きにされていたらしいね。
ま、気持ちはわかる。
前世もし、近くに呪いの研究している人がいたとしたら、私だって遠巻きにしてたわ。呪いかけられそうだもん。
でも、それだけなら別に、王家を憎むなんて事態にはならない。王家にとっては、変人だろうが何だろうが、ちゃんと仕事をしてくれれば、それでいいんだからね。
バルダザルが王家を憎むことになったのは、バルダザルの一人娘が病に侵されたことが発端だ。
バルダザルの娘は、内臓を病に侵されていた。それは、内臓の機能が徐々に低下する病だった。まずは、微熱や身体のだるさを感じるところからはじまり、すぐに食欲低下、次いで吐血。そうなるともう数か月もしないうちに、喋ることはおろか息をすることすら困難となり、最終的には自我さえ失ってしまうのだとか……。
って怖いな、おい! 何の病気だよ!
自我を失うって、脳が病に侵されたってことか? 脳は普通内臓とは言わないけど、身体の内側にある器官って意味では一緒だしな……。
そうやって、あとは死を待つだけだった娘を前に、バルダザルは己の研究していた呪いを、娘の病を克服するために使えないかと考えた。バルダザルは魔術師兼医師でもあったそうなので、呪いを病の治癒のために応用できないかと着目したのだろう。
そして見つけたのだ、その方法を。
「バルダザルは己の娘の臓腑の機能を補うため、魔素で覆う方法を編み出しました」
「臓腑を丸ごと……ということですか? そんなことが、本当にできるのですか?」
ブラッドさんが、眉を顰めている。とても、信じられないのだろう。
私も、信じられない。
ちょっと臓器の補助の方法は違うけれど、前世でも、それと同じ役割をする技術はあった。人工臓器だ。
でもその技術は私の知る限り、まだまだ不完全で問題も多かったはず。しかも、脳なんてとてもじゃないが、人工のものがとって代われる部位じゃないだろう。
「事実、成功しています」
その方法が、成功したというのなら……。
そうなるともう、これは前世よりも医療技術が進んでいるということになる。ま、そもそも魔術だらかね。前世の医療技術とは、多分根本的に違うはず。
でも成功したんなら、ここからどうして、そのバルダザルが王家を憎むようになるのかわからんな。
「それで、どうしてウェルムの王家との間に確執が?」
マティアスも、私と同じことが気になったらしい。成功して娘さんが助かったなら、万々歳じゃんね?
「……王家が、バルダザルの娘を殺したからです」
殺した……?
え? なんで? どうしてせっかく助かった娘さんを殺したの?
「……確かに、バルダザルの娘は助かりました。ですが……」
姫がそこで言葉を止め、喉を震わせた。
そして、ポタポタと涙を流した。ダンカンが人間に戻った時と同じような、真珠のような涙を。
泣き始めてしまった姫の代わりに、サイラスさんが話を続けた。
「ダンカンが掛けられた呪い……あれは身体に魔素を張りつかせたものです。身体の外側を固めた魔素で覆うことによって、無理やり人間を獣の形に見せていたにすぎません。実際、あの狼はダンカンの本来の身体よりも大きかった」
確かに、狼の時のダンカンは大きかったよね?
私サイラスさんの身長が百九十は越えてるだろうから、狼になったダンカンも同じくらい大きいのかと思っていたけど、人間に戻ったダンカンはそんなに大きくなかったし。
まあ、それは外側が硬くて分厚い魔素で覆われていたから、呪いを受けた五年前の身体のまま、それ以上成長できなかたってことなんだろう、多分。
骨が変に曲がったまま固定されなかったのは、不幸中の幸いだよ。あるいは、そこまで考えられた呪いだったとか? それとも、ダンカン自身が魔術師だったことが関係してたり……って、あれ?
……もしかして。
魔素で臓器の機能を補うってことは、ダンカンの受けた呪いのように、結構分厚く魔素で臓器を覆わなくちゃならないってこと? それ、身体の内側に収まりきる?
「まさか……」
思わず零した私の声に、姫が嗚咽を漏らし、サイラスさんの表情が歪む。
「ええ……。魔素によって補助された臓腑は、彼女の身体に収まるものではなかったんです」
……愕然とする。目の前が真っ暗になる。
収まりきらなかったってことは、開頭開腹手術をしたってことになるよね?
それができるのかっていう疑問はあるけれど、まあ多分、できたんだろう。ていうか、やったんだ。じゃなければ、収まりきらないって表現はしないもんな。
うーん。やっぱホラーじゃん、この小説。勘弁してくれよ。でも続きを聞かなきゃ話は進まないんだよね……。
「……では、どうしたのですか?」
倍……とはいかないまでも、臓器たちはそれまでよりも肥大化しているはずだ。それを元の身体に収める……ことはサイラスさんが言った通り多分難しい。だったらどうする?
「彼女は死を免れました。けれど、これまで通りに生きて行くこともできなくなりました。彼女の身体に臓器が入りきらなかったため、バルダザルは彼女の身体を肥大化した臓腑ごと、さらに魔素で覆いました。けれど……。それはとても……」
人間と呼べる姿ではなかったと、ぽつりとサイラスさんが言葉を落とした。
……おいおい、も~。本当やめて。
それ、死んでた方がマシってやつじゃないの? いや、生きていることは尊いよ? その娘さんがその状態を受け入れていたなら、外野が言えることなんて何もないよ? でもさー、多分違うよね?
「……だが、それで何故、王家の者がその娘を殺すなどということになるんだ」
いつも強面のブラッドさんの顔が、いつも以上に怖い……。そして青い……。うん。多分私も同じような顔色になってるんだろうな……。
「……頼まれたのです、彼女に」
ブラッドさんの質問に、ようやく泣き止んだ姫が答えた。
でも、頼まれたってことはさ……。いうなれば、バルダザルの娘さんは、直接頼み事ができるくらいに、姫と仲が良かったということだよね?
だっていくら親が城で勤めているからといって、王家の姫に個人的に会える機会なんてそうそうないだろうし、ましてや頼み事なんて簡単にできるわけがない。でも、それが身分を越えた友人なら別だ。
「どうか自分を……殺してくれと」
ああ……やりきれない。
年頃の娘さんが、人間ではないと言われてしまうほどに、歪に姿を変えられる。いくらそこに父親の愛情があったとはいえ、人生に絶望してしまった彼女を、誰が責められるというのだろう。
そして、おそらくは友人から殺してくれと頼まれた姫の気持ちを考えると……こちらもやりきれない。
殺したいわけないじゃん。生きてて欲しいって思うじゃん。そこは父親であるバルダザルと一緒だよ。でもその願いを口にするということは、娘さんを追い詰めることにもなりかねない。
皆言葉を失くしている。そりゃそうだ。娘さんは何もしていない。罪人ではない。彼らが直接手を下したのではないにしても、彼女を殺すことを決断した王家は、姫は、そのことで大きな罪を背負ったことになる。
どれほど姿が変わろうと、それでも娘さんに生きていて欲しかったバルダザル。
己の変容に絶望した娘さんの気持ちを優先した、姫と王家。
どちらの気持ちも想像できるから、余計にやりきれない。
むしろ、王家は良くその娘さんの頼みを聞いてあげたなと思う。いくら友人である姫の口添えがあったとはいえ、臣下の娘の頼みごとなんて、王家が聞く義理なんてないんだから。その父親に恨まれることなんて、わかり切っていただろうに……。
姫は、王家は、娘さんの頼みを聞いただけだ。ある意味、それは慈悲とも言える。私の脳裏に、安楽死……という言葉が浮かんできた。
それは尊厳を護るための死と言われているけれど、今ここでその是非を問うつもりはないし、私が彼らを裁けるはずもない。でも、せっかく助かった娘を殺された父親にとっては、そうじゃない。
娘の死を知らされたバルダザルは大いに嘆き、そして怒り狂った。
何故殺した……! 私の命を、何故殺した!
そう言って、人目もはばからず泣き崩れたそうだ。
そんなバルダザルに、王家も姫も、いい訳などしなかった。事情を知っているサイラスさんとダンカンが真実を告げても、彼は信じようとはしなかった。
否――。
それが真実だと薄々わかってはいても、受け入れることなどできなかったのだろう。
そして、言ったそうだ。
お前らのしたことは……獣のごとき所業だ――と。




