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金の夜に狼が吼える  作者: 星河雷雨
金の夜に狼が吼える

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第五話



 ダンカン? 今ダンカンって言った? あの狼、ダンカンって名前なの?


 突如もたらされた新たなる情報に私が驚愕していると、こちらに向かって走って来る狼に向かって、マティアスが剣を構えた。


 もしや、斬る気か? あの狼を。


 でも、ダメ……ダメだよ。だって、多分だけどあの狼は……。


「やめてくれ――!」

「殺しちゃダメ――!」


 サイラスさんと私、二人の声を聞いたマティアスが寸でのところで剣を放り投げ、襲い掛かって来るどでかい狼の口の中に拳を突き入れた。


 ちょいちょい……お前さん。


 自ら喰われに行くって気は確かか……! 甲冑着てるから噛みちぎられはしないだろうけどさ!


 口の中に手を入れられた狼はそのままマティアスを押し倒し、上にのしかかった。大変お怒りのご様子だ。


 そりゃそうだ。口の中に無遠慮に手を入れられたんだよ? 私だったら噛みちぎるね。


「マティアス!」

「大丈夫だ! ブラッド」


 心配して近寄って来たブラッドさんにそう答えながら、マティアスは狼の身体ごと自分の身体を回転させ、狼の首にもう片方の腕を当てて全体重をかけている。


 あれ、狼息できないんじゃない……? だ、大丈夫かな?


 狼はしばらくの間マティアスの下でグウグウ唸っていたけれど、次第に静かになっていった。そしてゆっくりと身体を横に伏せていく。


 完全に狼が横に臥せったのを見計らい、マティアスが狼の上から身体をどかした。うわ、甲冑に所々穴が開いてる……。すんごい牙と爪だな。


「マティアス! ……狼、死んでませんか?」


 私の言葉を聞いたマティアスが、じろりと私を睨んだ。いや、君のことも心配だったよ? でも甲冑着けてたし、大丈夫かな~って……。


「……死んでない。気を失っただけ」


 マティアスは溜息を吐きながらも、ちゃんと答えてくれた。その答えに、今度は私の口から安堵の溜息が出た。あ~、良かった。


「アリーセ! 何故止めた! マティアスが怪我をしたらどうする!」


 ブラッドさんの怒声を受けた私は、思わず身を強張らせた。相変わらずブラッドさんは、マティアス第一だな。


 まあ確かに……あの場面での停止の言葉はちょっと、いやかなりヤバかったかな。


 でも、しょうがない。だってそうでもしなければ、きっとマティアスは狼を斬り殺していただろうしね。


 私はじっと、私の隣に立つサイラスさんを見上げた。銀色の髪に、深い森の瞳。鋭さを印象づける、男らしい美貌。


 ……似てる。


 やっぱり彼は、私の覚えている挿絵の人物にそっくりだ。


 でも、マティアスと共に竜を殺しに行った魔術師は、サイラスさんじゃない。名前が違う。でもさっき、サイラスさんがこの狼のことをダンカンって呼んだことで、思い出したんだよね。


 一瞬、未来のサイラスさんが死んだペットの名を名乗っていたのかなんて思っちゃったけど、そうじゃない。サイラスさんとダンカン、二人は別人。同じ容姿をした、けれど別人。


 あの小説は、邪竜を打ち倒すことを目的としたダークファンタジーだったけど、邪竜に大切なものを奪われた者たちの、復讐の物語でもあったんだ。


 マティアスが国と民の仇を討つため、邪竜に戦いを挑んだように。


 旅に同行した魔術師にもそれぞれ、どうしても邪竜を自分の手で殺したかった理由があった。


 ダンカンの場合もそう。


 敬愛する兄と、想い人を殺された。


 小説の中で彼は、そう言っていたんだ。


 多分、彼は双子だった。サイラスさんじゃない。この狼こそが、のちの英雄の仲間。マティアスを助けた、魔術師の一人。


「その狼を殺してはダメです」

「だから……それは何故だと聞いている!」


 私は自分では答えずに、もう一度サイラスさんの瞳をじっと見つめた。


 私を見つめるサイラスさんの目が大きく見開かれ、その表情にはほんのわずか、未知のものへの恐怖が浮かんでいる。何でお前が知っている、って顔だね。


「サイラスさん」


 私は真実を話すのを迷っているのか、視線をあちこちに彷徨わせているサイラスさんの名を呼んだ。私の呼びかけに、彼はようやく観念したように小さな声を出した。


「……あれは、私の双子の弟です」

「弟だと……⁉」


 きっと思いも寄らかっただろうサイラスさんの答えに、ブラッドさんが驚きも顕わに声を上げた。


 そう。


 マティアスと共に邪竜を倒した仲間の名は、ダンカン・ノーフォーク。


 邪竜に兄と想い人を殺された、復讐に燃える魔術師だ。


「弟は、さる魔術師に呪いを掛けられています。弟は――ダンカンは私の身代わりに、その呪いを受けたのです」


 呪い。それは魔術の一種とされているけれど、特殊すぎて現在では扱える者はほとんどいない。魔素を魔力に、魔力を魔術として使う過程のどこかで派生した、魔術本来の使い方とは異なる技術だ。


 今の狼姿のダンカンの身体には魔素が集合して、別の生物の形を見せている。目の良い者がどれほど目を凝らしても元の姿など分からないほどに、精密にほどこされた呪いだ。


「弟が呪いを受けたのは五年前。これまで多くの魔術師に見せたけれど、効果はありませんでした。しかも長年呪いを受けていた影響なのか、弟の人としての理性は、段々と失われつつある……。本来のダンカンなら――私の弟なら、人をあのように襲うことなどありません」


 ――五年。


 たかが五年。されど五年だ。


 ダンカンは、五年もの月日を獣として生きて来た。一体、どれほど辛い日々だったんだろう。本当にこの小説、ダークなファンタジーだったんだな……。


「私たちが貴女を私たちの国に招きたかった本当の理由は、姫とマティアス殿の婚姻を進めるためなどではありません。……一縷の望みを抱いてのことでした」


 そう言うと、サイラスさんは私をじっと見つめてきた。


 ……うん。何? 


 私に何を期待しているの? 


 ……まあ、何となく検討はついているけどね。聖女なんて存在が現れたら、奇跡を願っちゃうよね。どんな高名な魔術師でも解けなかった呪いを、聖女に解いて欲しいと思ったんだよね……。


 ……でも無理だから! 私、名ばかり聖女だから! 偽物だから!


「……今まで誰も、あの姿の弟を人間だと見破った者はいなかった。やはり貴女は、本物の聖女だ」


 それは知ってたからだって、言えたら楽なんだけどな~。


 なんで知ってるんだって言う話だよね。前世の記憶のことは言えないから、結局他の理由付けをしなきゃいけなくなるし。


「……お願いします。弟を救ってください。もう貴女しか頼れる人はいないんだ……!」


 それでも、サイラスさんの悲痛な嘆願を聞いた私は、覚悟を決めた。


 ……成功するかは分からないけど、でもま、一応元に戻す方法を考えるよ。私だったら、小説の中から何らかのヒントを得られるかもしれないんだからさ。それでも失敗したら、聖女の名は返上かなあ。私は別に、それでもいいけどね。


 ていうか、何か皆の視線が私に集まっているけどさ。ちょっと待ってくんない? 考える時間くらいちょうだいよ。


 えっと……うーん。


 小説の中では、どうやってダンカンの呪いが解けたって言ってたっけ? 


 ダンカンは確かに狼の姿になれたけれど、常時その姿のままってわけじゃなかった。となると、マティアスに会った時にはすでに、ダンカンの呪いは解けていた筈だ。


 うーん、うーん……。


 あ、そうだ! 邪竜が復活したお陰じゃなかった⁉


 邪竜によって兄と想い人を殺されたダンカンだったけど、その邪竜のお陰で狼から人間に戻れたから、罪悪感に苛まれてもいるんだって言ってたような気がする。


 ダンカンの国は、うちの国のお隣さん。きっと邪竜がこの国を壊滅させたあと向かったのが、ダンカンとサイラスさんの国、ウェルムだったのだろう。


 でも腕の良い魔術師でも解けなかった呪いが、何で邪竜が復活することで解けたのかがまだわからない。


 えーっと……。


 ダンカンに掛けられた呪いは、魔術の応用。魔力に寄るものには違いない。でもこの世界での通常の魔力の使い方って、結構単純なんだよね。結界を張ったり、傷を治したり、攻撃を放ったり。それで言うと、呪いって本当に高度な魔術だ。もしかしたら、邪竜の封印と同程度には。


 でもやっぱり、元となる素材は同じ。魔力――そして魔力の源である魔素なのだ。


 もしかして……。邪竜の魔力によってダンカンを覆っていた呪いが解けたのかな。あ、この場合は解けた、じゃなくて溶けたかな。


 邪竜と対峙した三人の甲冑は、ボロボロに腐食していた。普通ならあの二股野郎のように身体全部溶かされちゃうんだろうけど、三人の場合は一応結界があったから甲冑だけで済んだんだろう。


 もしそれが、ダンカンにも起こったとしたら? 


 ダンカンの身体に纏わりついた魔素が、本来のダンカンの身体を護りつつ、甲冑が腐食したように外側だけ邪竜の魔力によって溶かされたのだとしたら……。


 ありうるな。


 ようするに、力技でどうにかしたわけだ。


 あ、だったら……私のスーパーダーリンに頼めばなんとかなったりして?


 私マティアスと違って魔素(ダーリン)と以心伝心じゃないけど、頼めば何とかしてくれないかな? 邪竜だって元はと言えば周辺に漂う魔素から生まれたわけだし、できないこともなさそうなんだけど……。


 私はゆっくりと、マティアスの傍で倒れたままの狼――ダンカンに近寄り、地面に膝を突いた。


 うん。近くで見るとやっぱりでっかいな。そりゃ邪竜程じゃないけど、狼としてはでっかいほうでしょ。近くでぐるぐる唸られた時には、本当に怖かったんだからね?


 お兄さんだというサイラスさんの身長は、ブラッドさんよりも少し低いくらい。それでも、多分だけど百九十は軽く超えている。体長二メートル近い狼なんて、そりゃ怖いわ。


 でもいくら姿が狼にしか見えなくても、人間としての理性を失くしかけていても、ダンカンは紛れもなく人間だ。


 最初にダンカンに会った時、急に私を威嚇するのを止めたのは、多分私がサイラスさんの名を叫んだからだ。


 敬愛するお兄さんの名前を聞いて、失われつつあった理性が戻ったからだろう。


「ダンカン……」


 私が呼びかけると、ダンカンの耳がピクリと動いた。私はそっと、その銀色の毛で覆われた三角形の耳を撫でる。


 大変だったよね。人間なのに、ずっと狼として生きるだなんて。


 私だったら、すぐに理性なんて手放して野生に帰っちゃうよ。ハーレム作れるしね。我慢強いなあ、ダンカンは。


 どうにかしたいな。呪いを解くきっかけとなった邪竜は、マティアスが倒しちゃったからね。ダンカンの呪いが解けなかったのは、私たちの責任と言えなくもない。 


 それに、これ以上この姿のままでいたら、きっとダンカンは本当の狼になってしまう。人間だったことを忘れて、お兄さんのことも忘れて、なぜ悲しいのかもわからないままに、あの切ない声で月に向かって吼えるのだ。


 ――でも、今ならきっとまだ間に合う。



 私は目を瞑り祈った。



 ねえ、ダーリン? どうにかして? 


 私の声が聞こえているなら、ダンカンの呪いを解いてあげて?


 可愛い恋人のおねだり、スパダリならきいてくれるよね?



 しばらく目を瞑ったままダーリンに呼びかけていると、ふいにほわっと両掌が熱くなったような気がした。


 そして掌は熱いけれど、身体全体はまるでぬるま湯に浸かっているような感覚がして、とても心地良い。


 あとね。何だか目の前が明るい気もするんだけど、眠りに着く直前のように意識がふわふわとしていて、目を開けることができないんですよ。


 あ、瞼の血管が透けて、目の前が真っ赤。


 そんな瞼の裏の赤い光りが強まるに従い白へと変わり、私の手の先、ダンカンに触れている箇所を中心として、突如強い風が吹き荒れた。


 私の目の前で、何かが急激に変化している気配が伝わって来る。


 蛹が蝶になるように、小鳥がはじめて翼を使って、空へと飛び立つように――。


 そんな変化が、私のすぐ目の前で起きている。


 目瞑ってるから、見ることはできないんだけどね!


 しばらくそうして目を閉じ続けていたけれど、ふいに風と光が治まったことを感じ、私はゆっくりと目を開けた。開けたんだけど……。


 ……おおう。真っ裸だよ、この人。


 ま、そりゃそうか。狼の時には、服なんて着てなかったもんね。


 それに……なんかこの人、思っていたよりも小さいな。双子だっていうからサイラスさんと同程度の体格していると思っていたけど、見たところ数年違いの弟って言ってもいいくらいだ。


 私がじっとダンカンを見つめていると、私の隣に誰かが立ち、ダンカンの身体を覆い隠すようにファサリと上着を落とした。見上げるとブラッドさんが立っていた。


 武士の情けか。相変わらず男前な行動だな。


「……ッダンカン!」


 嗚咽を堪えているけれど、それでいて喜びを隠しきれていない声で、サイラスさんがダンカンの名を呼んだ。五年ぶりの、感動の兄弟の対面だ。


 でもまだ、ダンカンは目を覚まさない。サイラスさんがダンカンの傍に膝を突き、耳元でダンカンの名を呼び続ける。するとその呼びかけに答えるように、ダンカンがゆっくりと震える瞼を上げた。


 現れたのはサイラスさんと同じ、深い森の緑の瞳。


 それから唇がゆっくりと動き、何度か喘ぐ様に息を吐いた後、小さく掠れた声で、ダンカンは「……サイラス」と己の兄の名を呼んだ。


 その声を聞いたサイラスさんが泣き崩れる様を、私はじっと見つめていた。


 いや~、もう良かったわ。間に合って本当に良かった。


 今のマティアスとダンカンは互いに面識がなくても、小説の中の二人は共に邪竜を倒した仲間なのだ。マティアスがダンカンを殺すことにならなくて、本当に良かったわ~。


 まあ、前回と一緒。さっさと私が思い出せていれば良かっただけなんだけどさ……。


 でもさ? 普通に無理じゃない?


 普通これまで読んだ小説のストーリー、百パーセント覚えてる? あらすじも登場人物の名前も登場するタイミングも、間違いなく覚えてる?


 それがめっちゃお気に入りの小説で、何回、何十回と読み込んでるならまだしも、一度見ただけの小説なんて、数年経ったら忘れるって。しかも私、生まれ変わってるんだよ?


 マティアスなら出来るかもしれないけど、私は無理。絶対無理。そもそも脳みそ含む身体を、全とっかえしてるしな!


 しかも今って小説の舞台の過去にあたるわけで、小説で言うならばいわば過去編にあたるわけで……まあ要するに圧倒的に情報が足りないわけ。


 そんな中よく頑張ったと思うな、私。いや~本当に良く頑張った。自分で自分を褒めなきゃやってらんないって!


 そうやって、誰も褒めてくんないから自分で自分を褒めていた私の視界に、遠くからウェルムの騎士達を引き連れた姫がこちらに向かって走って来る姿が目に入った。


 人間に戻ったダンカンと、ダンカンを抱えるサイラスさんを見た姫の瞳から、見る間に涙が溢れて来た。ポロポロ、ポロポロと。まるで真珠のような涙を零している。


 そして、姫は高そうなドレスが汚れるのも構わず地面に膝を突き、ダンカンとサイラスさん、二人をきつく抱きしめた。


 金色の月が照らす中、三人は互いを見つめ合い、泣きながら微笑みあっている。


 ああ、良い光景だな~。


 ……やばい、こういうの弱いんだって、私。特に動物絡むともう駄目。ダンカンすでに人間に戻ったけどさ。



 ああもう……。泣き顔見られたくないし、もうこれでお終い! 終了! さあ、さっさと締めくくるよ!








 黄金の月の輝く、美しい夜。



 悲しき運命に捉われた狼が吼える、金の夜。


 人間と狼。引き裂かれた双子の兄弟は、今宵再び同じ道を歩み始めた。


 獣操の魔術師、ダンカン・ノーフォーク。


 運命を乗り越えた彼の未来には、きっと多くの幸いが待っていることだろう。



 ――めでたしめでたし! ちゃんちゃん。

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