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金の夜に狼が吼える  作者: 星河雷雨
騎士隊長こと、ブラッド・レドフォードから見たその夜の出来事

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第十三話



「アリーセが攫われただと⁉」



 部下から告げられた事実に驚いた俺とマティアスは、急いでアリーセがいるはずの部屋へと駆けつけた。


 部屋の中には、仲間に介抱されているエイベルとリンツの姿があった。エイベルはすでに意識が戻っていたが、リンツはまだのようだ。だが見たところ、二人ともに怪我をしている様子もない。


 騎士であり、なおかつ貴重な魔力を持っている二人をこうも簡単に倒しアリーセを攫って行くなど、そのことだけでも、相手はよほどの手練れと想像できた。


 部屋に入って来た俺たちに気付いたエイベルが、慌てて頭を下げた。


「……申し訳ございません! ……みすみす聖女様を奪われるなど」

「エイベルさん。誰にやられたんですか?」


 マティアスから問われ、エイベルが詳細を話し始めた。


「聖女様と俺とリンツで、歓談していた時のことです。突然、サイラス・ノーフォークが部屋に入ってきました。最初は聖女様に用があるのだろうと思っていたのですが……。魔力の気配を感じた俺とリンツが身構えた時には……」


 片手を翳されたと思った時には、すでに意識を奪われていたそうだ。


「……何の抵抗もできませんでした」


 エイベルが、悔しそうに拳を握っている。


 この誘拐がサイラス・ノーフォーク一人で成されたという事実には驚いたが、しかし魔力のあるエイベルとリンツがなすすべもなく一瞬で眠らされてしまうくらいだ、どうやらサイラス・ノーフォークは、魔術師に匹敵する力を持っているらしい。そんな人物相手では、いくら魔力があろうと魔術師には到底及ばぬエイベルとリンツでは、歯が立たないだろう。


 しかも相手の意識を瞬時に奪う魔術など、俺はこれまで聞いたこともない。


「エイベル。反省は後にしろ。今はアリーセを取り戻すことに全力を尽くせ」


 俺の言葉に、エイベルははっとしたように表情を引き締め「……はい!」と力強い返事をした。


 ほどなく目を覚ましたリンツを加え、俺たちはすぐさまサイラス・ノーフォークを探すべく、部屋を後にした。だが廊下へ出たところで、突如エイベルがその動きを止めた。そしてその場に立ち尽くしたまま目を細め、廊下の先をじっと見つめている。


「どうした? エイベル」

「……光が」


 俺の問い掛けにそう答えたエイベルの視線は、なおも真っすぐ前方に向けられたままだ。


「おい。エイベル!」

「……隊長! 聖女様が何処へ攫われたかわかるかもしれません!」


 突然のエイベルの言葉に、俺は驚愕し聞き返した。


「どういうことだ⁉」

「光が見えます。光の筋が……。これは恐らく、聖女様の攫われていった経路を示しているのではないかと……」

「アリーセの攫われた経路?」


 聞き返したマティアスに、エイベルが力強く頷いた。


 エイベルが眼が良いことは知っていた。けれど連れ去られた者の行く先が見れるなど、そんな話しはエイベル本人からも聞いたことがない。


「光とは何だ?」

「おそらく……魔素だと思います」

「……また魔素か」


 魔素が聖女であるアリーセのためにマティアスに味方したというのは、マティアスの談だ。信じ難いことではあったが、ここでもまた、その魔素がアリーセのために働いたということなのだろう。


「……わかった。エイベル。その光を追え」

「はい!」


 エイベルが、俺には見えない光のあとを追い、駆けだした。そのすぐあとをマティアスが付いて行く。二人の後を追おうとリンツもが駆け出した瞬間、俺は待ったをかけた。


「待て、リンツ!」


 エイベルが向かった方角の通路を突き進めば、正門ではなく西門へと出るはずだ。西門は普段使う者が少ないため、人目につきにくい。おそらく、サイラス・ノーフォークは西門から出て行ったはずだ。


 だが、エイベルを信用していないわけではないが、もしもの時のことも、考えておかなければならない。


「リンツ! お前は一番隊の奴らと魔術師の半数を、西門に集合させておけ! それから詳細を団長に伝え、一番隊以外の奴らには、城の周辺を捜索させるよう進言しろ!」


 俺はリンツにそう指示を出し、マティアスの後を追った。






 

 エイベルとマティアスを追って行く途中、前方にウェルムの部下たちに囲まれた姫君の姿を見つけた。


 廊下を疾走するマティアスたちに驚愕したのだろう、姫君が二人に声をかけている。しかしエイベルもマティアスも姫君を無視して走り去ってしまった。


「マティアス!」

「先に行く!」


 俺が後方から叫ぶも、マティアスからは一言そう返って来ただけだった。


 サイラス・ノーフォークは、ウェルムの文官。彼の主とも言える姫君にも、一応事情を聞かなければならない。だが、今の二人はその時間すら惜しいのだろう。その役目を俺に押し付けたというわけだ。


「二人だけで行くなよ! 西門で待ってろ!」

「あ、あの……」


 俺は二人の無礼を姫君に謝罪してから、今の事態を引き起こしたサイラス・ノーフォークの罪を告げる。すると、姫君はみるみるうちに顔色を蒼白に変化させた。周りにいる部下たちも「信じられない」などと直接口に出し、動揺している。


「姫君。サイラス・ノーフォークは自らを文官と名乗っていましたが、本当に彼は文官なのですか?」


 騎士であり、魔力のあるエイベルとリンツが、手も足も出ずに昏倒させられたのだ。ただの文官に出来ることとは思えない。


「……文官です。ですが、彼はとても魔術に造形が深いのです」


 そう告げる姫君の声は震えていた。己の部下が聖女を連れ去るという、とんでもない罪を犯したのだ。その責が姫君に及ぶことは、避けられないだろう。


「彼の行き先に、心当たりは?」

「……いいえ」


 青い顔色のまま、姫君が首を振った。


「聖女を連れ去ったサイラス・ノーフォークは、必ずや我々が捕えます」


 せめて少しでも心の負担を軽くしようと思いそう告げれば、なぜか姫君の顔色は更に悪くなってしまった。きっと姫君は部下想いの優しい方なのだろう。だがそんな姫君には申し訳ないが、アリーセを連れ去ったサイラス・ノーフォークを捕らえないわけにはいかないのだ。


 姫君の元から去った俺は、二人の後を追うべく先ほどよりも速度を上げて、西門への道筋を走り抜けた。あのままでは、二人で先行しかねない。しかし俺が西門についた時には、すでに馬には乗っていたが、二人とも他の部下たちと共に大人しく待っていた。


「よく先に行かなかったな」

「サイラス・ノーフォークが魔術師並みの力を持っているなら、二人だけで行っても、エイベルさんとリンツさんの二の舞だからね」


 マティアスの言うことは、もっともだ。サイラス・ノーフォークがどこまで魔術に精通しているか分からない以上、用心するに越したことはない。


「隊長」


 俺はリンツが手綱を引いてきた俺の馬に乗り、部下たちの前に進み出た。アリーセが攫われたことはすでに部下たちの間でも噂になっているだろうが、それでもまだはっきりとした情報ではない。


 俺は後方にいる部下たちにも届くよう、声を張り上げた。


「聖女アリーセ・アンセラムが、一人の不届き者によって連れ去られた! ここにいる者たちはこれより、聖女奪還の任に就く!」


 俺は部下たち一人ひとりの顔を見るように視線を動かし、最後の一声を放った。


「我が国の聖女を、取り戻すぞ!」


 俺の声に反応し、部下たちが雄叫びを上げた。


 




 俺たちはエイベルを先頭にして、アリーセの連れ去られた道筋を辿った。


 西門を出てからしばらくは、すでに明りの消えた町中を駆け続けた。二十頭以上の甲冑を着こんだ騎士たちを乗せた馬が駆け抜ける音に、すでに寝入っているはずの人々が、各々家から顔を出しはじめた。 


 たがその者たちの中にアリーセとサイラス・ノーフォークの姿はない。

 

 そもそもエイベルはわき目もふらず、いまだ馬を走らせ続けているのだ。ならばこの町にアリーセがいるはずがない。分かってはいてもつい確認してしまうのは、騎士としての性分だろう。  


 半刻程馬を走らせ続けるうちに、だんだんと人家が無くなりついには深い森の入り口へと到達した。だが、それでもエイベルの馬が停まる気配はない。俺たちはそのまま森の中へと突入した。


 甲冑が奏でる金属の擦れ合う音と、群れ成す馬が立てるものものしい音を聞きつけたのだろう、森の奥のそこかしこで狼が鳴いている。俺たちはどこか物悲しいその遠吠えを聞きながら、暗い森の中馬を走らせ続けた。


 さらに一刻程走り続けたところで、俺は焦燥し始めた。


 このままこの方角に走り続ければ、いずれウェルムの土を踏むことになる。もし、すでにアリーセがウェルムにまで連れ去られているとすれば、それはかなりまずい事態だ。この数の騎士たちを連れてウェルムの国境を越えようものなら、宣戦布告と取られても仕方ない。


 俺はすぐ後ろを走るマティアスに声をかけた。


「マティアス。あと四半刻も走らない内にウェルムに入るぞ」

「だから?」

「だからってお前……」

「サイラス・ノーフォークは、アリーセを攫った。この国(・・・)の聖女をね。たとえ戦争になったとしても、それは当然の結果だ」

 

 普段のマティアスらしからぬ答えに、俺は背筋を冷やした。マティアスは確かに基本好戦的な性格をしているが、王家に生まれた者としての責任の重さも、自分を抑える術も知っている。

 

 おそらく、俺が思っていたよりもマティアスは、アリーセを拐ったサイラス・ノーフォークに対し腹を立てているのだろう。


 けれど邪竜による国難が去ったと思ったら次は戦争による国難など、そんなことはまっぴらだ。


 俺が最悪の未来を想像していたところ、先頭を走っていたエイベルが「もうすぐです!」と声を荒げた。


「聖女様はもうすぐそこにいらっしゃいます! どんどんと光が強くなっています!」


 俺にはその光とやらは一向に見えやしないのだが、後ろをついてきた部下たちからは、エイベルと同じように「おお、光が……」などと言った声が聞こえ始めて来た。


「マティアス。お前にも見えるのか?」

「見えるよ。というか、ブラッドこれが見えないの?」


 魔力のない人間は大勢いる。むしろ魔力を持っている奴の方が少ない。だが、魔力のない者たちでも、通常は魔力を見ることができるのだ。けれど、どうやら俺は魔力のない人間の中でも、格別に鈍い方らしい。


 邪竜の発する魔力は見えたが、あれは別格だったようだ。むしろ、かつて世界を半壊させた邪竜程の魔力がなければ、鈍感な俺の目には見えないということなのだろう。



 エイベルのもうすぐという言葉通り、それから少し走ったところで小屋が見えて来た。その小屋を見たエイベルが「あそこです」と断定した。その言葉を聞いた俺は、後に続く部下たちに馬の速度を緩めるよう指示を出す。そして、小屋からはこちらが見えない位置に、馬を止めさせた。


「リンツ、アルノ。小屋の周辺を調べろ」


 俺の指示に従い、二人が小屋の周りを調べに行き、戻って来た時には馬を一頭連れていた。おそらくは、サイラス・ノーフォークが乗って来た馬だろう。


 足は抑えた。これでもう、未知の魔術を使われさえしなければ、サイラス・ノーフォークに逃げられることもないはずだ。


「エイベル。アリーセがあの中にいるのは、間違いないな?」

「はい。魔素が小屋周辺に、集まっています」


 エイベルの返事を聞いた俺は、小屋周辺のわずかに開けた場所に、部下を並んで配置させた。


 この数の馬と人が立てる騒音だ。すでに小屋の中の人物には俺たちが到着したことは知れているだろう。案の定、小屋の扉が静かに開かれ、銀髪の体格の良い男が姿を現わした。サイラス・ノーフォークだ。


「サイラス・ノーフォーク――! アリーセは何処だ――⁉」


 俺の問いかけにサイラス・ノーフォークは意外な程冷静に「ここにいます」と答え、開いたままの扉の後ろを振り返った。するとすぐに彼の後ろから小さな黒い頭が覗き、アリーセが姿を現わした。


 すると、俺の隣にいたマティアスがすぐさま動き出し、アリーセに向かって歩き出した。そしてそれに続くように、エイベルとリンツも前へと進み出る。


 マティアスがアリーセに無事を問うている間、俺はサイラス・ノーフォークから視線を逸らさなかった。だが一瞬、「血」という単語を聞きつけた俺は、慌ててアリーセの様子を窺った。確かに着ている服の腹の部分が赤黒く染まっているが、アリーセ自身に怪我はないようだ。エイベルとリンツも、そして扉を護っていた衛兵も怪我はしていない。


 ならばそれは、アリーセをかどわかした側の人間のものということになる。だとすれば、俺が気にすることではない。


「それはそうと……サイラス・ノーフォーク。……聖女をかどわかした罪、簡単に贖えると思うなよ――!!」


 少女を誘拐しただけでも大事だが、ことそれが聖女ともなれば、その罪は個人の責任で贖えるものではない。彼はウェルムの人間であるため、その責はウェルムの、そして姫君の責にもなるのだ。


 けれど俺はそのような事態を引き起こした目の前の彼――サイラス・ノーフォークに対し、釈然としないものを感じていた。


 サイラス・ノーフォークは王家の姫の付き人として、他国の王家主催の場へ出向く程の人間だ。そのことがわからない筈がない。


「……申し訳、ありませんでした」


 俺に謝罪するその態度も従順で、聖女誘拐などといった大罪を犯した者のそれとは到底思えない。そんな彼の様子を目の当たりにした俺は、今回のことには何か理由があったのではないかと思い始めていた。


 けれど、どのような理由があれど罪は罪。これから彼は、裁かれなければならない。俺はサイラス・ノーフォークの腕を掴み、後ろ手に拘束した。その行為にも、彼は大人しく従った。


 背後からは、アリーセに帰宅を促すマティアスの声が聞こえてくる。二人が俺たちの後について歩き出した、その時――。


 その足音にかぶさるようにして、狼の遠吠えが俺たちのいる場所のすぐ近くから聞こえて来た。

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