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金の夜に狼が吼える  作者: 星河雷雨
騎士隊長こと、ブラッド・レドフォードから見たその夜の出来事

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第十二話



 渦巻く光と、吹き荒れる風。


 その中心にいるのは、いまだ幼き純なる聖女。目を瞑り、両掌を翳す彼女の膝元で、黄金の光に包まれながら、獣が人へと変貌していく。そのあまりに奇跡的な光景を前にして、俺は息をするのも忘れていた。


 これが聖女の力だと? 


 ――いいや。これはまさしく、神の御業に他ならない。


 


 



 我が国に聖女が現れたのは、今から二週間程前のことだ。


 突如現れたその聖女――アリーセは青き満月の夜、マティアスと共に《古の災厄》を葬った。そして《竜殺し》として忌避されていたマティアスを、表舞台へと引きずり出したのだ。



 彼女が聖女だなどという噂が一人歩きしていたが、俺はそれを信じてはいなかった。興奮しながらその夜のことを語る部下たちの話も、話し半分で聞いていた。

 

 彼女がかつての聖女を輩出したアンセラム伯爵家の者だと知り、なるほどと得心した。マティアスに占告を授けた占者同様、魔力以外にも不可思議な力を持つ者はこの世に存在する。おそらくは彼女も、そういった類の人間なのだろうと思ったからだ。


 魔力のない俺にとって、魔力を扱う者は皆、人智を越えた者たちだ。俺と同じく魔力を持たないアリーセを聖女とするならば、不思議の業を駆使する魔力持ち達は皆、なんらかの称号を得なければならなくなる。


 占者を名乗るなら、まだ理解できる。けれど聖女などという曖昧な概念など、俺にとっては単なる符号に過ぎなかった。


 だが俺は、アリーセを皆と同じように聖女として扱った。


 彼女が聖女だとする話が、すでに広まってしまったせいということもあったが、それだけではない。


 今やマティアスは、英雄として国の内外から讃えられている。彼女は、マティアスの未来を救ってくれたのだ。それだけで、俺にとっての彼女という存在は、聖女よりも価値を持っていたからだ。


 アリーセには感謝しているし、それにあの夜、あの場所へ向かった彼女には、確かに何らかの力が宿っていると思えた。


 だからこそ、わざわざ彼女の聖女としての真贋を問うような真似はするまい。そう思っていたのだ。


 そんな俺の考えを一変させたのは、たった一夜の出来事だった。







 その日、英雄と聖女の披露目の場として国が催した祝賀会で、事件は起きた。



「ブラッド。これいつ終わるの?」

「まだ始まったばかりだろ」


 マティアスは、昔からこういった場を嫌っている。それもそのはず、これまでのマティアスはこういった場では、ただ好奇の視線にさらされるだけだったのだから。


 だが、今はどうだ。今宵着飾って来た令嬢たちのほとんどが、皆一度はマティアスに視線を寄こしている。しかもこれまでとは違い、好奇の視線ではなく、明らかに好意と、それでいて打算の籠った視線だ。

 

 アリーセがマティアスの正式な婚約者となったことは陛下から先ほど告げられたばかりなので、彼女たちは第二夫人か愛人の立場を狙っているのだろう。


 それに、マティアスに近付こうとしているのは、何も令嬢たちだけではない。男たちとて、マティアスと――英雄とどうにか繋がりを持とうと、群がる令嬢たちの後ろで、そわそわとした態度で控えている。


 勝手なものだと思わないでもないが、こうして人に囲まれているマティアスを見れば、悪い気はしない。しかし当のマティアスにとっては、そういった人々のざわめきは、鬱陶しいだけのものなのだろう。


 今も一人、マティアスにすげなくあしらわれたらしき令嬢が、悔しそうに扇子の先を噛みしめている姿が、俺の目に移った。そして、その令嬢を驚いたような表情で見つめる、アリーセの姿も。


「アリーセ。大丈夫か?」


 アリーセが本物の聖女かどうかはともかく、立場は正式なマティアスの婚約者だ。俺としても、彼女がマティアスの婚約者であることに不満はない。聖女ではないにしても、彼女が勇敢で、心根の優しい少女であることには違いないからだ。


 俺の問いかけの意味を理解していないらしいアリーセに、俺はなおも言葉を続けた。


「……今日の祝賀会。各国の王族も使者としてこの国に来ている。だが、皆建前は英雄に対して礼をしに来たというところだが……実際はまあ、己の娘との婚約の打診だな」


 それまで表情を変えずに俺の話を聞いてたアリーセが、目を丸くした。そういった貴族の事情に慣れていないらしいアリーセが、驚きを露に俺を見つめて来た。


 非常に言いにくい、というよりは、できればまだ十二の少女にこんなことを言いたくはなかったが仕方ない。


「確かに……マティアスはすでに君と婚約をしているが……」


 だがそこまで言っただけで俺の言いたいことを理解したらしいアリーセが、納得したように何度も小さく頷いている。意外とこういったことに、耐性があるらしい。これならもしもの時にも取り乱さずに済むだろうと安心していると、マティアスが実にマティアスらしいことを言ってきた。


「俺は君以外娶らないよ」


 マティアスはその容姿からは意外ではあるが、あまり女性を得意とはしていない。というよりは、あえて遠ざけている。だからその言葉は想定できたものではあったが、驚かされたのはアリーセの言葉の方だった。


「私は構わないですよ?」


 アリーセのその言葉を聞いたマティアスが、眉を顰めている。マティアスが女性に対し、不快を露にした表情をするのは見慣れていたが、これはそれとは少々異なっている。その表情の意味するところを読み解いた俺は、またもや驚かされた。


 マティアスのこの表情は、おそらく嫉妬だろう。否、そこまではいかずとも、今のアリーセの言葉を面白くないと思っていることは明白だ。これは本当に、彼女との出会いはマティアスにとって幸運だったのだと感じた俺が笑いを嚙み殺している最中、ふいに声がかけられた。

 

 声をかけてきたのは、ウェルムで文官をしているという男だった。


 マティアスに感謝していると言う男に対し、マティアスは聖女としてのアリーセの功績を男に示した。


 すると男が腰をかがめ、アリーセに対し丁寧な挨拶をした。


 聖女にする挨拶としては、妥当なものだ。皆俺のようにアリーセの聖女としての真贋を疑っていたとしても、ほとんどの者が表にそれを出すことはない。けれど男の視線には、それだけではない熱が籠っているように思えた。


 アリーセの真贋を確かめようとしているのは確かなのだろうが、おそらくそれをする理由は、俗物的なものではない。それだけ、男の視線は真摯なものだったからだ。


 それからウェルムの姫君が挨拶に来て、アリーセに挨拶をしたあとは、マティアスと当たり障りのない会話をして、また去って行った。その間、アリーセが姫君のことをじっと見つめていたことが、妙に印象に残った。





 その後は、挨拶でアリーセの傍を離れるマティアスに変わり、俺はアリーセに張り付いていた。


 本来ならばアリーセは、もっと大々的に護衛を付けても良い立場だ。だが今回は、祝賀会という目出度い席であることを考慮し、俺とマティアスのみの警護となった。衛兵や騎士たちも、何かあればすぐに駆け付けられる位置に配備してあるので、滅多なことはないだろう。


 それに、仮にも聖女であるアリーセに対し、害をなそうとする者など、そうそういるとも思えなかったからだ。


 視線を下向けアリーセを見れば、アリーセは物珍しそうに、会場にひしめく者たちを眺めている。


 しばらくはそうして周囲を眺めていたアリーセだったが、そこにウェルムの姫君の姿を認めると、その姿を視線で追い始めた。最初は、俺が余計なことを言ったため、姫君の存在を気にしているのだろうかと思ったのだが、アリーセの姫君を見る視線に、嫉妬の感情は籠っていない。


 もしや、単に普通の少女らしく、姫という存在に憧れを抱いているのだろうかと俺が思っていると、ふいに姫君を見ていたアリーセが、そわそわとした態度を取り始めた。

 

「どうしたアリーセ?」

「ブラッドさん。ウェルムの姫の持っているグラス、取り上げてください」


 あまりに想像だにしなかった言葉に、俺はアリーセに聞き返していた。しかし返って来た言葉は、先ほどと同じ、理不尽なものだった。


「取り上げて」


 太陽が沈んだ直後の空のような瞳で、アリーセが俺を見上げて来る。それは不可思議な熱を宿した、抗いがたい視線だった。


 納得のいかない想いはあったが、俺はアリーセの言葉に従った。傍にいた給仕から新しいグラスを受け取り、姫君の持っているグラスと交換をするべく行動したのだ。


 唐突な俺のその行動に、姫君も若干戸惑った様子を見せた。だが結局は、マティアスの従兄でもある俺を尊重してくれたのか、提案を受け入れてくれた。その交換したグラスを持って、俺はアリーセの元へと戻った。


 このグラスをどうするのか聞いた俺に、アリーセはこともなげに「捨ててください」と言ってきた。姫君との会話の中でまだ一口も飲んでいないことを知っていたので多少勿体ないと思ったが、彼女があまりにも堂々と捨てろというので、仕方なしにここでも俺は彼女の言葉に従った。


 理由を問い質したい気持ちもあったが、それを抑えた。これも彼女の予見のようなものだろう、そう思っていたからだ。しかし、その後勝手に給仕の手からグラスを取り上げ飲み干した酔払いが倒れる姿を見たことにより、そうも言ってはいられなくなってしまったのだ。









 部屋を移したあと、俺は以前と同じようにアリーセを問い質した。


 けれどアリーセは、毒が入っていたことを知らなかったという。ならば何故と聞いたところ、彼女はグラスに唾が入るところを見たからだと、馬鹿げたことを言ってきた。誰がどう聞いても、嘘だとわかる言い訳だ。しかも不安気な表情で、自分は犯人ではないと主張までしてくる始末。


 そんなことは思っていないと言ったマティアスに、アリーセは安堵の表情を見せた。


 アリーセの心配は杞憂だ。今日初めて会ったであろうウェルムの姫君に、アリーセが毒を盛る理由はないし、そもそもが聖女――以前に十二の子どもであるアリーセを疑う者などいないだろう。


 アリーセはこれまでにも自分が聖女であるということに関して、否定をして来た。本当にそう信じているのか、あるいは何らかの理由があって自分の力を隠しているのかはわからないが、自らが聖女であると声高に主張する者よりは、よほど信頼できると俺は思っていた。


 けれど、ここまで自信なさげに犯人ではないと主張されてしまえば、先ほどの唾の話は本当なのではないかと思えてきてしまう。そして自分は聖女ではないと主張する、彼女の言葉も。


 俺は元から信じてはいなかったし、正直な話、邪竜が倒された今、たとえアリーセが偽物の聖女であろうが特に問題はないのだ。すでにこの世界は、聖女の力を必要とはしていない。皆、英雄と並ぶ象徴としての聖女を欲しているだけだ。


 ただ、ここへ来てこの少女に背負わせてしまったものの大きさに気付いた俺とマティアスは、顔を見合わせた。いくら彼女が子どもとは思えないほどに大人びた態度とはいえ、今までそのことに思い至らなかったことが情けない。


 しかし、実際に邪竜を倒したマティアスは別として、象徴としての聖女はやがて人々の記憶の隅に追いやられていく運命だろうと、俺は思っていたのだ。


 英雄を語る上で欠かせない存在ではあるが、千年前の聖女と違い、現代の聖女は、英雄の添え物でしかないのだと――。


 これはアリーセの今後について、本人を含めちゃんと話し合うべきだ。俺がそう考えていたその時、扉が叩かれた。扉を護る衛兵だ。どうやらウェルムの姫君とサイラス・ノーフォークが聖女に礼を言いに来たらしい。グラスを交換した俺ではなく、聖女に。顔を青くするアリーセが気の毒に思えた。


 ウェルムの姫君とサイラス・ノーフォークは、アリーセに対し個々で礼を言ってきた。そしてその都度アリーセは、正直に偶然ですと答えた。正直なのはこの少女の美徳であると俺は思っていたが、やはりそれ故に、聖女として振舞わねばならないことは、この少女の重荷になると考えられた。


 しかも姫君などは、アリーセを国に招き歓待したいとまで言ってきたのだ。アリーセ本人はその誘いに乗り気な様子だったが、今彼女を聖女として国外に出すわけにはいかない。


 アリーセがこのまま聖女を名乗るのなら、その行動を国に制限されることになる。彼女を護るためには仕方のないこととはいえ、まだ十二の子どもにとっては、大層窮屈な境遇となるだろう。


 どうにか姫君を説得し帰すことに成功した俺とマティアスは、今後について話し合いたいというアリーセを残し、部屋を後にすることにした。話し合うことに異論はないが、今は他国の姫が狙われたという事態の最中だ。アリーセの聴取が終わった今、騎士隊長の俺と、皇子であり騎士でもあるマティアスが、遊んでいるわけにはいかない。


 けれど物騒な事件が起こってしまった手前、聖女であるアリーセを、表立って一人にさせておくわけにもいかなかった。そのため彼女の傍には、護衛として騎士を二人つけることになった。彼女とも顔見知りである、エイベルとリンツだ。


 二人にアリーセを任せ、俺は城を護る衛兵と騎士たちへの聴取と指示出し、マティアスは令嬢たちが煩いからと、さっさと正装を解き騎士の立場へと戻り、王子ではなく騎士として動いていた。



 ――そんな忙しく動き回っていた俺たちに、アリーセが攫われたとの一方が入ったのは、彼女と別れてから一刻ほど経った頃だった。

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