サイドストーリー:溺愛の花は咲くのだろうか?
わたくしは次期侯爵として、母から仕事を学んでいます。大変だけれど、やりがいのある仕事だと感じます。
婿入りした父は、当主である母のサポートをしたり、武官の配置を考えたり、子どもの学習計画を立てたりしています。
わたくしの婚約者の第三王子が、父と同じくらい働けるとは思えません。
能力もさることながら、やる気が全くないんですもの。
その分の負担をわたくしが担うと考えるだけで気が重いのに、確実に女性問題を起こすでしょう。
役に立たないだけでなく、邪魔者だなんて。はっきり言って、王家にお荷物を押しつけられたのです。
問題の男は、成長してまともになるどころか、獣に退化しました。
婿入りする立場で、愛人を連れてくるなど許しません。
ところが、浮気相手が把握しきれないほど、見境無く手を出すのです。性行為の依存症でしょうか。
婚約の解消を王家に求めましたが、芳しい答えは返ってきません。
第三王子の不行状を、「学生時代のお遊び」だと言います。
そんな「お遊び」で未来を潰されたご令嬢は、歴とした国民なのですよ。
それに、わたくしの人生をなんだと思っているのでしょうか。
第三王子が婿入りしてきたら、初夜には薬を盛って閨はしないことに決まりです。
侍女も侍従も連れてこない約束ですから、簡単に幽閉できるでしょう。
変な病気をうつされたら堪りませんからね。
もう、王家は敬う対象ではなく、どうやって距離を置こうかと画策する日々が始まりました。
母は第三王子の被害を受けた家々と密かに連絡を取りますが、なかなかいい案は浮かばなかったといいます。
そんな中、王都学園のお友達、マリアーナ・メンデスから北方の私立学院へのお誘いを受けました。
あんな危険な学園に通わなくて済む、それだけで充分魅力的でした。
始まった当初は、北方の貴族たちの知識レベルが低くて驚きました。
ですが、それは北方まで来る家庭教師がいなかったせいで、貪欲に知識を吸収する姿に「負けられない」と闘志が湧きました。
図書館の蔵書が少なくて寂しかったけれど、安心して本を探せるだけでも天国のようでした。王都学園では、第三王子や取り巻きにいやらしいことをされないよう、常に警戒して自分を守らなければいけませんでしたから。
我が家から本を寄贈したり、臨時講師が本を置いていってくれたりして、棚が埋まっていきます。
自分たちが学院を作っていくようで、なんとも誇らしいものでした。なかなか体験できない感覚だと思います。
秋に転校してすぐのこと。授業の一環で、温室に花の種を植えました。
庭師の真似事など初めてです。
赤と白の花がきれいに咲いたときは、とても嬉しくなりました。
王都でも見たことがある花なのに、比べものにならないくらい美しく見えたのは不思議です。
その翌年は、赤と白だけでなく、ピンクの花が咲いたのです。
教師は「この遺伝子の法則がわかりますか」と言って、説明を始めました。
――AAが赤、aaだと白の花になり、Aaの組み合わせがピンクになる。
授業で知識を習い、試験でも正解を導き出せていた理論が、実感として染みこんだ瞬間でした。
あの衝撃は、一生忘れないでしょう。
そんな授業の様子を手紙で家族に報告すると、母は第三王子に困っている家にこっそり伝えていきます。
北方の学院に転校したいという生徒が増えていきました。
生徒が増えれば、その親を通して関係者も増えていきます。
講師の当ても増え、実験の材料を提供してくれたり、自分の領地で実験していいと協力してくれたり、世界が広がっていきます。
秋学期に十名以下で始まった学院は、冬学期には二十名に増え、春学期には三学年揃うという異例の事態となりました。
当初は三年目に三学年揃う予定だったのに、王都学園からの避難先として最終学年の生徒も転校してきたのです。
転校できない生徒たちの中には、卒業を諦めて中退を選ぶ人もいるそうです。
ここまで事態が悪化したなら、王家が何らかの手立てを講じるべきでしょう。
いえ、もっと前にするべきでした。
王妃に甘やかされた第三王子。
大した能力もないくせに、自分の存在自体が尊いと勘違いした道化師でした。
婿入りしたら、王妃が新婚生活にさえ口出ししてくるのではないかと恐怖を感じていました。
王都学園の生徒の激減が、議会の議題に上るほどになりました。
前代未聞の醜聞です。
第三王子に問いただしたら、「母上に高貴な種を撒き、この国の質を少しでもあげよと言われた」と平然と言い放ったそうです。
王妃が出身国を愛しているのはいいけれど、そこまでいくと許容できません。
なにより、この国に嫁いできたのに、王妃としての自覚がまったくないのです。
彼女の出身国はこの国の宗主国ではなく、対等な関係なのです。
こちらを蔑むような態度は、国母として相応しくありません。
王太子も第二王子も「実母と言えど許せない」と国王に迫り、王妃は精神疾患を患ったとして幽閉されました。
王妃の母国では彼女を甘やかした父王は没していて、異母兄は彼女を憎んでいるそうです。
帰国は許さないし、離婚しようが処刑しようが文句は言わないということでした。
第三王子の継承権は剥奪され、あまりに悪質で反省も見られなかったため去勢となりました。
その時点で、ようやく、婚約が白紙になったのです。
手続きの際、母は「我がファルネーゼ侯爵家は、王太子は支持するが、現国王に協力することはない」と宣言したそうです。
決断力がない国王に、これ以上振り回されたくないですからね。
そんな王都の状況と婚約がなくなった話をしていたら、マリアーナがさらりと言いました。
「撒いて良い種と、撒いてはいけない種があるわよね」
口に含んでいたカフェコンレチェを吹き出してしまいました。
第三王子の婚約者の座を狙っていたドロテア・ナランジャ子爵令嬢は、人知れず姿を消しました。
わたくしとしては、さっさとそちらに鞍替えしてくれればよかったのにと思います。
実は、ナランジャ子爵という家系は、王族の閨教育を担う家だったそうです。
王妃が嫁いできて拒否反応を示し、その任を解かれ、名ばかりの貴族になってしまいました。
礼儀作法が身についていないのは、公の場に出られない特殊な家門だったから。
妙に殿方の心を掴むのが上手いのは、家系に引き継がれた技。
そして、返り咲きを狙って失敗した……ということらしいです。
王太子も第二王子もガードが堅い。それなら第三王子ということらしいです。
あんなボンクラを捕まえたら、面倒臭い王妃がついてくるではないですか。そんなことも見抜けないなら、貴族としてやっていくことはできません。
祖父母世代の「子作り以外の性欲は罪である」という時代の遺物、いずれ消えゆく「あだ花」だったのでしょう。
わたくしは北方に避難しなかったら、悪役に仕立て上げられていたかもしれません。そうして、ドロテアを輝かせる小道具にされたのでしょうか。
まったく恐ろしいことです。
楽しく三年弱の学院生活を終え、わたくしは領地に戻りました。
マリアーナは卒業の翌日に結婚式を挙げ、そのまま北方のナザル辺境伯家に嫁いでいきました。
婚約者のエルネストが、結婚式をどれだけ待ち望んでいたか。
花嫁の介添え役のわたくしたちにも、揃いの衣裳を作ってくれましたが、気遣いとこだわりがすごい。
もう、うっとうしいほどでした。
あの巨体でうろうろするものですから、「落ち着いてくださいませ!」と、たしなめてしまいましたわ。
シュンとなるので、まあ、よいのですが。北方の逞しい殿方たちも、見慣れれば怖くなくなります。
溺愛って、本当に存在するんですね。
マリアーナは次期辺境伯夫人として勉強中かと思いきや、縁結びに奔走しているようです。
学院時代の「おもてなし部隊」の延長みたいで、楽しんでいる様子が手紙で届きます。
彼女の貴族らしからぬ、ずけっとした物言いが、恋心を暴きだすのにちょうどいいみたいですね。
北方三領は他国との小競り合いや魔獣討伐で未亡人になる女性が多く、男女ともに初婚にこだわりがありません。
つまり、王都ほど花嫁の処女性を重視しないのです。
結婚後の不貞にはとても厳しいそうですが。
そこで、第三王子たちの犠牲になった女性たちが望むなら、お見合いをセッティングするとのこと。
わたくしも、協力を依頼されました。
我が領地は王都へ半日で行ける距離です。
王都のタウンハウスにいるなら、本人の意思確認と親御さんの了解を得るのがわたくしの役目。
とても忙しくなりましたが、暗い顔をしていた方々が明るい表情になるのを見ると、使命感が湧いてきます。
どうか、このまま枯れずに、北国で花を咲かせてくださいね。
卒業した翌年、母に休暇をもらって学院の発表会を見に行きました。
往復だけで十日かかるので、貴重な再会のチャンスです。
久々に、はちみつがたっぷり染みこんだお菓子を口にして、カフェコンレチェを味わいます。
給仕が両手にカフェとレチェが入った銀のポットを構えています。
わたくしがカフェ多め、マリアーナはレチェ多めと注文すれば、カップの中できれいに混じり合ったものが提供されました。
「わたくし、他人のキューピッドをしている場合じゃないのですけど」
まろやかな香りと味を堪能してから、つい冗談を言ってしまいました。
跡取り娘ですから、それなりに釣書は届きます。わたくしが乗り気ではないだけで。
結婚しなくても、妹たちの子どもを養子にもらう道もありますからね。
母も、馬鹿の相手で苦労した分、好きにしていいと言ってくれますし。
マリアーナが目を丸くします。
「え、まだ何も聞いてないの? なにやってんの、あの人」
と、ぶつぶつ言っているので、聞かないふりをした方が良さそうです。
近いうちに「いいお話」が来るのかもしれません。
わたくしも一花咲かせられるでしょうか。
楽しみです。
2025年11月27日 追記、修正




