楽しい学院生活と嫉妬
秋の入り口で、すでにひんやりしている北部の気候に驚きました。
夏の盛りに訪れたときは、避暑地として最適だと思いましたが……これだと、冬が早そうです。
卒業したら結婚してこの地に住むのですから、ちょうどいい予行練習になりますね。
「寒くても温泉があったら、過ごしやすいんじゃないかしら」
ふと、温泉保養地が舞台の推理小説を思い出しました。
「最高だわ。実家から地質学者を呼び寄せましょうか」
友達のイネスが話に乗ってきました。
学院の休日にでも、友人と婚約者のエルネストを会わせてみましょう。わくわくしますね。
開校当初は正規の教師が揃えられず、科目によっては臨時講師が数週間で詰め込み授業を行うこともありました。
試験で赤点を取っても、のんびり再試験をするような環境ではないのです。
「大変だ」と騒ぎながら、授業を真剣に受け、全員が合格して喜びあいました。その一体感は、とても心躍るものでした。王都学園ではありえないでしょうね。
そのような、やる気のある生徒の授業態度は、講師にとっても貴重な体験だったようです。
次第に北方の私立学院が評判になり、講師の打診を喜んで受けてもらえるようになりました。
次年度には正規の教員も揃い、順調な滑り出しと言えました。
一方で、こんなこともありました。
外国語の授業のときのこと。ちなみに、王妃の出身国の言葉です。
私たち王都学園経験者は、一年生の春学期に習った詩が出てきました。
北方三領出身の生徒は初見だというので、そのまま授業を受けることにします。
「この『海』というのは、『田舎』の比喩です」
と先生が説明されました。
王都学園の教師は「突然『海』という言葉が出てきて、意味がわかりませんね」と笑っていたのに。
「この詩が書かれた国では、都が内陸部にあるため『大陸』という言葉が『都会』を意味することもあります」
なんということでしょう。こちらのほうが、高度な授業ではありませんか。
王都からの編入組は、顔を見合わせました。
教師は私たちがひそひそと話す様子を不思議そうな顔で見ています。
「質問があったら、遠慮無くどうぞ」と言われてしまいました。
不安そうな教師の様子がなんだかおかしくて、ごまかすような笑いを浮かべます。
「先生の授業が素晴らしいからです。自信を持ってください」なんて言うのも、生意気ですよね?
教師はますます困った顔をしましたが、諦めて「では、次の文を読んでください」と他の生徒を指名しました。
結果的に授業の邪魔をして、ごめんなさい。
でも、ささやかな秘密を共有して、私たちはもっと親しくなっていきました。
ある日、エルネストとのお茶の席で、北部を栄えさせたいという意気込みを聞きました。
北方は数十年前の戦の戦場になった場所もあり、荒廃からの復興は大変だったそうです。
平和になって武勇の価値が下がり、洗練されていないことで軽んじられるようになる。
北方三領では婚約者を捜すのが大変なのに加えて、嫁いできても後継者を産んだら王都に戻ってしまう女性もいるそうです。
「住み続けたいと思える場所にしたい。その布石として、学院を作ったんだ。
新しい風を入れて、この土地の魅力を発掘していければ、自然と変わっていくだろう?
この学院で働くことで、出稼ぎに行かなくて済む住民もいるしね」
大きな夢ですね。私もお手伝いできるように頑張らなくては。
「海があるのですから、貿易で新しい物が入ってくるのではないの?」
「そのためには、十年前に住み着いた海竜を退治しないといけない。
いたずらに死傷者を出さないために、魔道具の開発やモンスターの知識を集めたいところだな」
「それをテーマに、授業で討論をしたらどうかしら?」
私が一人で情報を集めるより、学生全員で考える方がいいはずです。
……というのは建前で、「楽をして、いい案が出たらエルネストに教えてあげよう」という企みでした。
ところが討論の授業は予想以上に白熱しました。生徒の一人が、親戚が魔物研究者をしていると言い出し、短期集中講義をしてもらえることに。生徒だけでなく、騎士たちも受講しに集まりました。
講義の後、騎士たちの訓練場を借りて、魔道具や隊列の仮説を検証することになりました。
魔物研究者は目をらんらんと光らせ、夢中で記録を取っていきます。
大規模な検証には、北方三領の当主たちが自ら協力を申し出てきました。
更に、保護者にも見てもらおうと誰かが言い出し、家族を呼んで勉強の成果を発表する会が開催されることになりました。
学院が建っている場所の領主、ミニョス公爵の全面協力で、家族たちの宿泊場所が確保されました。
地元の食材を知ってもらういい機会だと料理人たちは張り切り、歓迎の宴で北方の文化を知ってもらおうと、お祭り騒ぎになっていきます。
ちょうど温泉の整備も整ったので、長めに滞在できる人はそちらにも案内する計画が立てられました。それに関しては北方三領のもう一つ、セラード侯爵が請け負ってくれています。
学生たちの発表会をダシに、大人たちがとても張り切っているように見えました。
さて、肝心の学生たちですが、発表の準備をする人と、おもてなしをする人に分かれました。
私はあまり学問分野では活躍できないので、おもてなし隊に回ります。
エルネストは、そんな私を褒め称えます。
かわいい、気が利く、最高だと。
流石に、親馬鹿ならぬ、婚約者馬鹿だと気がついてしまいました。
子どもの頃はあんなに嬉しかった褒め言葉ですが……。
いつまでたっても愛玩対象、子ども扱いのままです。なんだか、複雑な気持ちになりました。
だから、少し、つっけんどんな態度を取ってしまう日もあったかもしれません。
「子ども扱いして、もう!」
ちょっと恥ずかしかっただけなのです。
エルネストはすごく傷ついた顔をしました。……でも、大人だからわかってくれるわよね?
私は、そんなふうに甘えていたのです。
最終学年になると、エルネストから距離を感じることが増えました。
――これは、「女の影」でしょうか。
いつまでも子どもっぽい婚約者に辟易して、浮気をしているのかもしれません。
こっそり調べなくては。
私、ことマリアーナ探偵の登場です。
まずは、辺境伯家を訪問したときに、メイドに怪しい行動はないかを聞き取ります。
「まあ、そんな心配は無用ですわ」と馴染みのメイドには相手にされません。
純真な娘だったら信じるかもしれませんが、私は違います。探偵として、全てを疑ってかからなければ。
「あなたが浮気相手ではないという証拠はある?」
ぽかんとした顔をされました。
あまりにも長いこと固まっているので、こちらがいたたまれなくなりました。
これは……シロでしょうか。
次は御者に訊いてみましょう。
怪しげな場所に出入りしているかもしれません。
「そりゃ、まあ、男盛りですから……」
まあまあまあ! 浮気相手の家に行ったりするのですね?
御者に「どこの誰? 正直におっしゃい」と問い詰めていたら、ふっと影が差しました。
大きな体で日の光を遮る……私の婚約者です。
「何をやっているんだ」
いつもより低い、機嫌の悪そうな声です。
後ろ暗いことがあるから、怒っているんだわ。
「エル様の浮気調査です!」
きっぱりと、言ってやりました。
「浮気なんてしてない」ぶすっとしたお声です。
「では、なぜ顔を背けるのです。手を振り払うのです」
言いながら、悔しくて、喉が詰まり涙が出てきました。
だから子ども扱いされるんだと思うのに、ますます涙が止まらなくなります。
「君だって、俺の手を払ったじゃないか」
「あ、あれは……恥ずかしかった、だけです」
街で同級生たちとばったり会って、つい、繋いでいた手を離したというか……。
「若い男の方がよくなったんじゃないのか。俺はおじさんだろう」
「ど、どうして、そんな、ことを言うのぉ?」
声がうわずってしまいます。
「や、やっぱり、お色気お姉さんがいいんだぁ~」
教室の隅で男の子たちがこそこそ話しているのを聞いてしまい、私だって色々と考えるのです。
エルネストが片手を額に当て、大きなため息を吐きました。
呆れられたのかと、ビクッとしてしまいます。
「結婚式まで我慢しているんだ。誘惑しないでくれ」
あ、真っ赤……照れているのですね。
「そ、そういうことなら……許してあげます」
「いいや、疑ったことは許さん」
ちょっと意地悪な顔をして、ぎゅーっと抱きしめられて……匂いを嗅がれています!
「だ、駄目です、何をしているんですか」
髪の毛が首筋に当たってくすぐったいし、恥ずかしい。
「煽ったマリィが悪い」
「私、悪くないもん! きゃー」
子どもの頃のじゃれ合いのような雰囲気が戻ってきました。
やっぱり、エルネストは最高の婚約者です。
そこで、侍女が咳払いをしました。
そうでした。婚約者とはいえ、二人きりじゃないのです。
「わたくし、メンデス伯爵より厳命を承っております。
というか、マルシオ坊ちゃまにしっかり見張っておけと……」
「一応、恋のキューピッドである親友の顔は立てなければいけないか」
と、エルネストは頭を抱えました。少し芝居がかって、わざとらしいですよ。
ふいっと顔を上げて、兄を非難しました。
「あいつは、もう結婚しているじゃないか。どうして同い年の俺は我慢しなくてはいけないんだ」
そんなふうに自問自答するので、彼の頭をなでました。
「私が子どもでごめんなさいね?」
可愛い声で、優しく囁きます。
「悪かった。そういうつもりじゃ……」
「じゃあ、仲直りのハグをして」
両手をエルネストに向けて広げました。
「だから、それをしたら駄目だと……」
延々と繰り返される会話。後で「犬も食わない」と侍女に言われるでしょう。
エルネストは白けた顔をしている侍女に、援軍を求めました。
「君からも、マリィをたしなめてくれよ」
侍女は憮然とした顔になりました。
「わたくしにおっしゃってます?
奥様が淑女教育をしようとしたら、『ありのままの君でいい』と妨害なさった方が?」
学園に入学する直前まで、マリアーナは好き勝手に振る舞っていた。
知識はあり、やろうと思えばできるのに、許される範囲を見極めて自由気ままに行動するおてんば娘。
免罪符を与えた人間が、その責任を引き受けるのは当然だろう。
――というのが侍女の弁でした。
申し訳ないわ。
「くそっ」
自業自得のエルネストは、頭をかきむしります。
「まあ、『くそ』なんておっしゃるのね。野性味たっぷりで、魅力的だわ」
それもまた、マリアーナを喜ばせます。
口の悪い探偵が主人公の小説も、人気があるので。
目をキラキラさせて顔を寄せてくる婚約者に、彼は白旗を揚げました。
「勘弁してくれ」
――二十代半ばの男性にこの生殺し状態はかなりキツい、ということは後で知りましたのよ。
「本当に、お二人の頭の中は、お花畑です……」
今なら砂糖が吐けそうだと、侍女の目が据わっていくのも……仕方のない話であったようです。
本編はここで終わりです。
状況説明のために、もう一話か二話書く予定です。元凶の第三王子がどうなったかも書かないと。
ただ、そこまで書くと「溺愛」が印象が薄くなりそうなので、ここで区切りました。




