妹の囲い込み
ナザル辺境伯の後継者エルネストは、僕の学友だ。
武勇に優れた家系で、ガタイがよく、顔も凜々しい。
そのため、彼の王都学園での婚約者捜しは難航していた。
考え込んでいるときの厳めしい顔に、ご令嬢たちの腰が引けている。
ハンカチを落としたのを教えてあげようと「おい!」なんて声をかけるから、ご令嬢たちがびっくりして飛び跳ねたりする。
それから王都から五日もかかる領地というのも、結婚相手としては不利なようだ。
素朴というか、数十年前の戦争の傷跡が癒えたばかりの田舎というか……洗練された印象はない。
いい男なんだけどなぁ。
夏期休暇では、お互いに王都の学園から領地に戻る。
僕の家は王都から三日で、彼の通り道でもある。
数日滞在していけばいいと彼を気軽に誘った。
エルネストは、妹が自分を怖がらないことに感動していた。
妹は九歳。
もう庭師におんぶや肩車をお願いしてはいけない、と母に言われていた。
勢いよく飛びつかれたら、老齢にさしかかる庭師の腰が心配である。
そこに巨体が登場だ。
まだ彼は十六歳だったが、すでに成人に間違われることが多かった。
妹は彼の背中に乗り、命令して鳥の巣をのぞいたり、キツネを追いかけたりした。
客人に失礼だとたしなめても、彼自身が喜んでいるのでそれ以上の注意はしづらいところ。
ちゃっかりしている妹は、それを見極めておねだりする。
母に内緒で頼むのではない。
逆に、母がいる場でおねだりして「そんなことを言う淑女はいません」と叱られる。
それを見てエルネストが「女生徒たちは私の顔が怖いらしく距離を置かれているのです。懐いてくださるのは、とても嬉しいですよ」と言うので、母も強く言えなくなる。
「そうなのですか? では、あまり無茶なことを言ったら、断ってくださいね」と母に言わせたのだ。
にんまりと笑う妹……将来が不安になった。このまま育ったら、どんな娘になることやら……。
嫁のもらい手がなくなってもしらないぞ。
といいつつ、来年は十歳になるので流石にやらなくなるだろう、という期待もしていた。
――ところが、驚いたことに、婚約の打診が来た。
夏期休暇が終わる頃。王都学園に戻る道すがら、また我が家に寄りたいと先触れが来た。
それは約束していたからいいのだが、彼の父親の辺境伯閣下が同行してくるという。
我が家は妹を除き、大混乱に陥った。
平々凡々な伯爵家だ。
今まで、特に親しくお付き合いさせていただいたこともない。
そして当日。堂々たる体躯のお二人が入ると、応接室はなんだか窮屈に思えた。
少なくとも「息子とこれからも仲良くしてやってくれ」などという内容ではないだろう。
戦々恐々と閣下の言葉を待つ。
「ぜひお嬢さんを息子の嫁にいただきたい」
歴戦の獅子が、いきなり切り込んできた。
おてんばなマリアーナに婚約を?
まだ早いだろう。
しかも七歳差だぞ。小児愛好者か――と、当然警戒した。
それからは、辺境伯の怒濤の攻めが展開される。
これは、戦場の停戦交渉か何かだろうか……対峙している父が気の毒だった。
辺境伯領の隣の領は、最上位の公爵家だ。
その嫡男でさえ嫁を捜すのが大変だったので、辺境伯家は常々心配していた。
案の定、春学期は男子生徒とは仲良くなれたが、日常会話ができる女生徒が一人もできなかったという。
怯えずに接してくれる女性がいかに貴重かということを、手を替え品を替え言い募る。
更に、マリアーナたちの年齢の女児が抱える懸念も提示された。
第三王子は王家から出す方向で、引き取り手を探している。
公爵家か侯爵家で打診をしているが、快く受け入れる家は今のところない。
もし、どこも引き受けなかったら、次に狙われるのは伯爵家だ。
我がメンデス家には従属爵位がないので、僕が追い出されるかもしれない。
もしくは、王領をもらって王子が新しく家を立てることになるだろう。
彼には大公や公爵になれるほどの能力はないし、権力のある地位に就けたら何をしでかすかわからないから、おそらく伯爵位。
怠け者でかんしゃく持ちの第三王子と一緒になったら、妹は苦労するに違いない。
王妃の振る舞いを見ていると、成長したら落ち着くということは期待できない。
苦言を呈する人間を排除して、気分良く過ごそうとする人種。
――そう、脅してくるのだ。
妹も、夏期休暇中に来た他の友達には、あまり無作法な姿を見せなかった。
何か、特別な……エルネストは甘えてもいい人と認識しているようだ。
「もう、辺境に嫁にやってもいいか」という雰囲気が、応接室に漂い始めた。
我がメンデス領から王都は三日かかるが、辺境伯領へは二日で行ける。
「嫁に出すなら、近い方がよかろう」
と辺境伯はご満悦だ。
一日くらいならそう変わらないと思います、とは言えなかった。
妹を応接室に呼んで、辺境伯に挨拶をさせた。
「おお、可愛いお嬢さんだ」
と、先ほどまで威圧感を出していた厳つい軍人が、デレた。
愛想良く「辺境伯閣下に、ご挨拶申し上げます」と微笑むもんだから……この瞬間に、妹の未来は決定した。
「エルネストのお嫁さんになってくれるかな?」
おそらく、辺境伯にとって最大級の猫なで声だろう。
「え~、どうしようかなぁ?」
体をくねらせて、エルネストを見上げる。
マリアーナぁぁ!!
僕たち家族は青ざめた。
お前、大物だよ。というか、家格の差を考えてくれ!
もう、父は卒倒しそうだ。
エルネストが跪き、真っ赤になって「結婚してほしい」と小さな花束を差し出した。
「これは北方に咲く花なんだ」と。
しっかりと目を合わせて、見つめ合う。
「私のために摘んできたの?」
「馬車の中でも、枯れないように桶に漬けてきたんだ」
少々、ぶっきらぼうに聞こえる。
そこは「君のことを想いながら摘んだんだ」とでも言えば、普通のご令嬢にもウケるだろうに。
妹はロマンチックでないことに、まだ気付かない年齢かもしれない。
跪いて目線が近くなったエルネストを、まじまじと見た。
緊張の一瞬。
にぱっと妹が笑う。
「いいよ!」と、妹は求婚の花束を受け取った。
僕たちは、ほ~っと息を吐いた。妹が失礼な態度を取らなくて、よかったよ。
辺境伯はニコニコし、エルネストは腕にマリアーナを乗せている。
結婚してからも大切にしてもらえそうで、心から安堵した。
月日を重ね、エルネストの庇護欲は愛情に変わっていく。
妹もそれなりに淑女に見えるようになってきた。中身はともかく、外面はいい。
愛情があるのはいいことだと思っていたが、妹の安全のために学院開設を二年も早めるとは……誰も思わないだろう。
それも第三王子のご乱行で、学園の治安が悪くなったせいだ。
第三王子の婚約者は、彼の不貞の証拠を王家に叩きつけ、妹と一緒に北部に旅立った。
王妃がごねているので、無事に婚約破棄できるかわからないが、侯爵家の意向は社交界に広まっていく。第三王子の評判と共に……。
北方の学院はとても楽しいらしい。
もう嫁に出したようで、お兄さまは寂しいぞ。
あれもこれも、第三王子のせいだな。




