婚約者との語らい
マリアーナは夏期休暇に領地に戻っていた。
照りつける陽ざしはジリジリと肌を痛めつけるが、湿度が高くないため日陰に入れば涼しく過ごせる。
大きなバルコニーにお茶の用意をして、七歳年上の婚約者を出迎えた。
「お久しぶりです、エルネスト様」
「マリィ、会いたかったよ。よく顔を見せて」
エルネストはマリアーナの手の甲に軽くキスをして、マリアーナは頬にキスを返した。
コーヒーにミルクを入れたカフェコンレチェが、テーブルに並ぶ。
「王都での学生生活は、どうかな?」
王都学園の卒業生でもあるエルネスト。
自分の学生時代を思い出しながら、マリアーナはどんなことに興味を持つのかと楽しみにしていた。
「お友達ができましたのよ。
お互いのタウンハウスに行ったり、一緒にお勉強会をしたりしました」
輝くようなマリアーナの笑顔に、エルネストは目を細める。
「でもね……」
マリアーナが少し幼い話し方で、言いよどんだ。
「どうしたんだい? 話しておくれ」
テーブルの上で、マリアーナの手をそっと握る。
「お友達のイネス様が、婚約者の浮気に悩んでいるの」
「それは穏やかじゃないね。もしかして、イネス・ファルネーゼ嬢かい? 第三王子の婚約者の……」
「そうなの。どうして殿方は浮気をするのかしら?」
「いや、僕は絶対にしないよ」
片手を重ねていたが、エルネストはマリアーナの手を両手で包んだ。
「そういうことではなくて、ですね」
マリアーナは言われ慣れているので、軽く流した。
「ああ、ドロテア・ナランジャ子爵令嬢か」
不愉快な単語を口にしたと言わんばかりに、エルネストは眉をひそめた。
「どうしてそれを?」
マリアーナは目をぱちくりさせた。
たかだか子爵令嬢のことを知っているとは思わなかったのだ。
「情報は武器だからね。
夜会ではまだ話題になっていないけれど、若い紳士たちが集う紳士クラブでは囁かれ始めているよ」
エルネストは、ネコの形をしたマジパンをマリアーナの口に入れた。
マリアーナは素直にもぐもぐと食べ、カフェコンレチェを一口飲んでから口を開いた。
「紳士が集って、政治を討論する場だとお聞きしましたが」
何やら、政治的な駆け引きがあるのだろうか。
マリアーナは期待を込めて、婚約者を見た。
「若い男が集まれば、下世話な話はつきものだ。落としやすい女の情報も」
エルネストは苦笑した。好奇心旺盛な子猫に「連れて行け」と言われたら敵わない、と警戒しながら。
「まあ、恐ろしい」
そう言うものの、恐怖や嫌悪感は感じていない様子。
マリアーナは推理小説が好きで、裏社会や娼婦について妙な知識があるのだ。
「君には歴とした婚約者がいる。つまり僕のことだけど。
もし、ちょっかいをかけられたらすぐに言いなさい。敵対派閥の奴なら、すぐに潰すから」
冗談めかして口にしているが、気をつけなければいけないのは本当だ。
武力の面なら「すぐに潰せる」のも……。
一年前に第三王子が入学してから学園の雰囲気が良くないことは、噂になっている。
王子という立場を笠に着て、横暴な振る舞いを始めたのだ。
更に、半年くらい前から女生徒に対して不埒な振る舞いをしている様子も聞き及んでいる。
国王や第一王子たちの目が届かないと踏んで、本性を現わしているのだろう。
学園の中では、王族しか護衛をつけられない。
婚約者のことが心配で、ある計画を急かしている最中だ。
「それで、マリィはナランジャ嬢と関わりがあるのかな?」
「お友達のイネス様に、第三王子と別れるように言ってくるのです」
その場面を思い出したようで、頬を膨らませる。
「それは、なんとも大胆な女生徒だね」
エルネストは頬をつつきたいという誘惑と闘いながら、相槌を打った。
「それから、本来は学年が違いますので、関わるはずがないのですが……。
なぜか、同じ礼儀作法の授業を受けているのです。
彼女とは実習で組むことがありました。女主人としてのお茶会の準備、お茶の淹れ方、話題の選び方など……」
「彼女の出来は、どうなんだい?」
普通の令嬢だったら、一学年下の礼儀作法の授業など受けるはずもない。
万が一、そんな事態になったら、親が恥だと退学させるだろう。
マリアーナは言葉を選んでいるようで、少し黙り込んだ。
「男爵令嬢とお友達になってお宅にお邪魔したとき、平民のメイドにお茶を淹れていただきました。
平民のメイドの方が品がありました。少なくとも、もてなそうという心遣いが感じられましたもの」
平民といっても、貴族の屋敷に勤めるにあたり、侍女頭などから教育を受けているだろう。
それ以下であるなら、「貴族令嬢」と呼べる代物ではない。
「そんな女に侍っているのは誰だい?」
「第三王子殿下、宰相補佐、騎士団の副団長、魔術師次長のご子息たちです」
聞く前から知っていたが、婚約者の目が確かなことを確認して、エルネストは満足げにうなずいた。
「一大勢力だね。立太子する可能性が低いのに、側近ごっこでもしているのかな」
第一王子は国王になったときのために、幼い頃から側近候補との仲を深める。
それ以降の王子には、後継者争いを起こさないため、派閥を作るようなことは推奨されていない。
「本当に、どういうおつもりなんでしょうね。
王太子殿下や第二王子殿下は、王族としての自覚を持っていらっしゃるのでしょう?
自由に育てられた第三王子は、卒業したら侯爵家に婿入りですものね。
最後の我が儘とばかりに『王族』ということを振りかざすのは、みっともないわ」
「たとえば、どんなこと?」
「親の官位を剥奪するとか王室御用達の看板を剥奪してやるとか……。ご自分にそんな権力はないとわかっていないのかしら。
教師は家を継がない三男以下が多いでしょう? そういう方の授業では、特に傍若無人なのよ」
「それなら、いっそ転校してしまうかい? 心置きなく勉強できる環境ではないだろう」
婚約者がそんな無法地帯にいるなど、心配でしかたがない。
「そうできるのなら、そうしたいわ。
爵位の低い女生徒に、その……下品なことを言ったりするの。かばってあげる勇気はないけれど、見ているだけで辛いわ」
エルネストは椅子を婚約者の隣に移動し、その肩を抱いた。
「助けようとして、自分の身を危険にさらさないでくれよ。
女性の尊厳というものは、紳士でない男にとって……いや、やめておこう。
うちの領地と他の二つの領が接している場所に、学園都市を造る計画を話しただろう?
中心となる校舎が完成して、講師に研究棟に早く引っ越したいという者がいるんだ。
転校する気があるなら、早めに開校してもいい」
「まあ、そんなことが可能なの?
ぜひ、そちらに移りたいわ。第三王子たちの婚約者にも声をかけていいかしら」
「ここより寒くて、農作物があまり穫れない場所だからね。
三つの領の貴族で、王都学園に通う余裕がない生徒を対象にするつもりだったんだ。
そんな環境なら、彼らの婚約者以外にも嫌な思いをしている生徒たちは来てくれるかな」
「もう一刻も早く、行きたいです。
イネス様を『王子に蔑ろにされているのは、魅力がないせいだ』という人もいるのです。
色仕掛けに弱い王子にはもったいない、高嶺の花でしょうに」
ぷりぷり怒っているうちに、はしたないことを口走ってしまった。
マリアーナは自分の口を手で塞いだ。
エルネストの顔をうかがうと、やはり少し不機嫌だ。
「マリィに『色仕掛け』と言わせるような光景があったんだね。許せないな」
マリアーナは、犬の形のマジパンをエルネストの口に押し込んだ。
甘い物が好きではないのに、眉をひそめながら一生懸命に食べる様子が可愛いと思う。
マリアーナの婚約者は、とても過保護だ。
人によっては「婚約者が年上で可哀想」などと言うけれど、大切にしてくれるのは、素直に嬉しい。
子ども扱いされて悔しいこともあるけれど、頼りになる、自慢の婚約者なのだ。




