第一二八話 「緒戦軍師」
「この程度か、キメラ。そんなことで俺を落とせると思うなよ」
疾駆しながら暴れ回るキリンの動きにも慣れてきたのか、リオンは徐々にキントとの距離を詰めていく。そして、背まで走るキリンの長い鬣を掴むと、黒馬の首元にしがみついて震える子供に向かって獅子は笑う。
『くそっ! なんだこいつは、本当に人間なのか!』
キリンが焦っている間にリオンはキントの目の前までたどり着いていた。
「こ、来ないでください!」
懐に隠していたナイフを震える手で取りだし、リオンに突き出すと彼は舌打ちを返す。
「なんだ、お前。こんな子供が術者なのか」
しかしそんなことは彼にとってどうでも良かった。目の前にいるのは紛れもなく祖国に仇なす敵だ。敵ならば男だろうが女だろうが子供だろうが関係ない。ただ斬り伏せるのみだ。
片手で鬣にしがみついたままリオンは剣を振り上げる。
『キント、手を離せ!』
キントは一瞬も迷うことなくキリンの首元から手を離した。リオンの剣が振り下ろされると同時に、キリンは首を振って自分と縄で繋がっているキントを宙に放りあげる。そして空振ってわずかに体勢を崩したリオンを渾身の力で振り落とした。
落馬したリオンは猫のように着地して走り出そうとするが、キリンの足は既にリオンを捉えていた。
『潰れろ!』
リオンに前足を振り下ろす瞬間、痛みを感じぬはずのキメラのキリンが苦痛の叫びを発した。キメラ化してから一度も感じなかった痛みが、爆発したように襲いかかって来る。久方ぶりの痛みにキリンの狙いは逸れ、リオンは潰れず、いつの間にか傍にいた雷光に騎乗していた。そして雷光と併走しているのはオンブルである。二人はキリンの方を振り返りもせずに走り去っていく。
宙に放りあげられたキントは自分の首に繋がっている縄を操作して再びキリンの背に戻ってきた。
「キリン、大丈夫!?」
『……無事か、キント』
「ボクは大丈夫だよ。キリンが助けてくれたから。キリンの方が……」
『なら、良い』
地面に深々と刺さった前足を引っこ抜くと、美しい足が痛々しく腫れ上がっている。
『俺のことは、気にするな。どうせ治る』
通常の馬が足を負傷したらもう走ることはできない。しかしキメラであるキリンは治癒能力が異常に高いので、明日には歩くことができるが、走れるようになるには数日かかるだろう。
キリンの往来で両軍ともに陣形が崩れたが、ここは練度の差がものを言った。いち早くまとまって陣形を組み直したマルブル軍が、未だ算を乱したままのアッシェ領主軍に攻勢をかけて戦果を上げたのだ。
数では勝っていたアッシェ領主軍だったが、急造の傭兵隊の動きが芳しくなく、キメラによる攻撃もあまり効果を出せず、緒戦はマルブル軍の勝利となった。
☆・☆・☆
その夜、マルブル陣営では主立った者たちが集まって会議を開いていた。
敵味方の被害をまとめた資料を持ってオネットが口を開く。
「緒戦は辛くも勝利しましたが、このまま戦いが続けばこちらが不利です」
勝利はしたが被害が無いわけではない。兵と兵でのぶつかり合いで消耗しているし、何よりキメラにやられた人数はかなり多い。
キメラに押されて総大将が討ち取られるという最悪の事態は回避できたが、それもギリギリの所だった。
兵士同士の戦いも、キメラの暴走で状況が二転三転し、思うようには戦えていない。
「要注意なのはやはりキメラと総隊長のヒカイト騎馬隊でしょう」
緒戦でマルブル軍が押されたのは、キメラを除けばヒカイトが率いる騎馬隊だけである。リオンが断ち割った後にオネットの部隊が対処したので、被害甚大ということはないが、苦戦したのは事実だ。なにより、あの状況でも大して乱れる事なく騎馬隊を指揮し、勇猛に攻めてきたのは敵ながら賞賛に値するだろう。
味方の被害報告を聞いてヴァンは眉をひそめる。
「ヌアージ。他からオネットの部隊に兵を回せないか?」
「無理じゃな。奴らの練度はそこまででもないとはいえ、こちらは数で負けておる。どこもギリギリの状態じゃからな」
甲冑を叩いて鳴らすオネットとともに、彼の副官となったデュールも力強くうなずく。
「お任せください殿下。マルブルは常に寡兵で戦って来ましたから、この程度の敵、耐えきってご覧にいれましょう」
「それに、昼のリオン将軍の活躍もあり、敵もしばらくはキメラを動かせないでしょう。もっとも、こちらとしても無闇に攻撃は出来ないでしょうが。しばらくは小競り合いが続きそうです」
「なんとか耐えてもらうしかないのか……」
そう吐き出したヴァンにヌアージがひぇっひぇっと笑いかける。
「キメラの回復力を侮るでないぞ。二、三日もすれば奴はまた走れるようになるからのう」
本営前に設置していた木の杭を逆さにした馬止の柵も何の意味もなさず、武器を手に進撃を止めようとする兵士たち諸共踏みつぶしてやってきた黒き風となったキメラの姿が思い出される。
ヴァンは体を震わせた。
もう一度アレに突っ込まれたら、今度は止められるかどうか分からない。
そういえば、あの時にどこからともなく飛んできた矢は誰が放ったものだったのだろうか。自陣の弓兵の矢は悉く打ち払われたし、キメラの術者に刺さった矢は横から飛んできていた。そんな所に兵を配置した覚えはないし、遊撃に出ている義賊団の中にもあれほどの弓の名手はいない。後で兵に探させもしたが、何も見つけられなかった。
謎の射手に考えを巡らせていたヴァンだが、今はヌアージの話に集中することにした。
「じゃがオンブルは良い働きをした。キメラを倒すことはできなかったが、こちらに古代遺産持ちがいるということを認識させることができたからな。こうなれば向こうも慎重にならざるを得ないからのう」
今ここにいないオンブルの活躍をヌアージがほめる。
「これでしばらくはキメラも攻めてこないじゃろう。しかし、兵同士の小競り合いは続くぞ」
「くそっ、レージュならもっと手早く終わらせられるだろうに」
「それは違うぞヴァン。先のデビュ砦やクラーケ将軍撃破のように一日で戦が終わる事はそうない。レージュが指揮したとて、時には数ヶ月もにらみ合うこともあるからの。じゃが、此度の戦いはそう悠長に構えてはおれんぞ。さて、どうするのかの、総大将?」
皆の視線が集まる中、ヴァンは必死に考えを巡らせていた。
緒戦を勝利した勢いはあるが、長くは保たない。早く次なる手を考えなければ負ける。しかし、レージュのようにそう簡単に妙案は出てこない。
レージュ……。
そうだ、レージュが言っていた。たしか、こういうときは……。
『両軍ともにまだ元気で、こっちの戦力が乏しい時、迅速かつ有効に相手に打撃を与える方法として――』
レージュの言葉を思い出し、ヴァンの中に一つの作戦が思い浮かぶ。
それはおよそ作戦と呼ぶには陳腐であったが、上手くすれば多大な効果を生む。
そしてその作戦を遂行できる者がここにはいる。彼ならば必ず成功できると信じられる者が。
「リオン。動けるか」
「ご命令があればいつでも」
獅子は蓄えた髭を一撫でして低く笑った。




