第一二六話 「黒風軍師」
煌びやかな天幕の中でアッシェは眉毛をつり上げ、扇子を開いたり閉じたりしていた。
「ヴァンが死んでいない?」
「はい。斥候に確認させましたが、敵軍の本営で指揮を執っているのはヴァン王太子本人です」
「パッセルが失敗したというのか」
「彼女の所在は掴めておりません。ですが、定期連絡にも現れなかったのでその可能性は高いと思われます。シュトローも同様です」
「忌々しい!」
アッシェは持っていた扇子を地面に叩きつける。
「暗殺は失敗したが、それでも私が圧倒的に有利。その事実は揺るがないわ」
「左様でございます」
自分の考えを否定されることを極度に嫌う領主に対して正しい答え方であり、兵力差から見ても実際にこちらが有利なことも事実だ。
しかし相手はあの死神の軍だ。陣内に死神の姿は見えないようだが、用心しておくに越したことはない。
パッセルが失敗するというのはヒカイトにしても意外だった。暗殺という卑怯な手を使うとはいえ、彼女個人の強さはヒカイトも認めている。
なにを考えているのかよく分からないところもあったが、それでもヒカイトはパッセルの強さをそれなりに信用していた。彼女の仕事はいつも成功していたからだ。
だが、彼女は帰ってこなかった。
王太子の周りにはそれほど優秀な護衛がいるということか……。
それでも、元々は戦で決着を付けるつもりだったのだ。勝利を収めるために尽力することに代わりはない。
ヒカイトはアッシェの天幕をあとにし、馬にまたがって前線へと走る。
外では歩兵や騎馬が陣を組み、両軍ともに向き合っていた。マルブル軍は、先頭中央に騎兵を置き、その後ろに歩兵を横陣で配置して中央突破の構えを見せている。対してアッシェ領主軍は騎兵を両翼に配して中央を厚くした横陣で、包囲殲滅の構えだ。
間もなく戦いが始まるだろう。
キントは、風になびくキリンの鬣を掴みながら敵軍を眺めていた。もっとも、盲目のキントには何も見えていないが。
『何か妙だぞ』
「妙って?」
『おかしいってことだ。目の前の人間の軍勢の気配がどこかおかしい』
そう言われてもキントにはキリンの言うことがよくわからなかった。
『俺はお前とともに西の戦場で暴れ回った。そこでいくつもの軍勢の動きを見てきたが、今度の相手は今までの奴らとは違う。そう、まるで俺を負傷させた勇者とかいう奴らに似ている。獣のカンという奴だがな』
青空の下を吹く風が妙に重たく感じる。キリンは重い空気を払うように鼻を鳴らす。
『キント、心せよということだ。此度の戦、数は少ないが生半可な相手ではないぞ』
「キリンと一緒なら大丈夫だよ」
『フン、そうだな』
太鼓の音が鳴り響き、マルブル軍が前進してきた。
戦が、始まった。
☆・☆・☆
最初のぶつかり合いではお互いに弓兵を前に出してきた。
両軍の弓兵はじりじりと距離を詰める。
もう少しで矢の射程まで近づけるという所でマルブル軍の矢が雨のように降ってきた。
工芸に優れるマルブルの職人は皆手先が器用だった。レージュはそこに目をつけ、武具作りにも転用させる。
相手よりわずかに遠くまで届く弓矢を、相手よりちょっとだけ長い槍を、相手より少しだけ大きい盾を、レージュはそれらを作り出すことに成功した。ほんの僅かの距離の差が、戦場では大きな意味を成す。相手より先に攻撃できる。そのことは味方に安心を与え、敵に恐怖を与える。
出鼻をくじかれたが数ではアッシェ領主軍が有利だ。ヒカイトは弓兵を下げ、騎馬と歩兵を進める。
そこへ、獅子の旗を掲げる騎馬隊がマルブル軍の弓兵の間を縫うようにして凄まじい勢いで突っ込んできた。信じられぬ事に、獅子はこちらの歩兵隊の真っ正面に突っ込もうとしている。
騎馬が歩兵に対するときは横や後ろから断ち割るのが定石だ。なぜなら……。
「槍衾を組んでください!」
ファイクの指示で先頭の兵士たちが長槍を突き出す。
普段はおどおどとしている頼りないファイクだが、いざ戦場に立てば弱気な彼女は消え、的確に指示を繰り出す将へと変わる。だからこそ、ヒカイトもファイクに歩兵隊を任せているのだ。
歩兵隊が槍衾を組めば、馬は槍を恐れて進めなくなり、また無理矢理突き進んだとしても突き殺されるのがオチだ。
それがわからぬはずは無いが……と思っていたヒカイトは、次のリオンの動きに舌を巻いた。
先頭の雷光が槍の穂先に接する直前、突如向きを変え、槍衾を横目にして騎馬隊が二つに分かれた。そのまま歩兵を無視して、リオンたちは、回り込もうとしていたヒカイト騎馬隊の側面を突いた。想定外のリオン騎馬隊の動きにヒカイト騎馬隊は算を乱す。
「なんだと!?」
普通、疾駆する馬は急に方向を変えることができない。しかしその常識はリオン騎馬隊には通用しないのだ。
常軌を逸した調練の果てに身につけた技法は定石を越える。そのことを痛感したヒカイトだが、彼女とて激戦を征してきた猛者だ。すぐさま指示を飛ばし、リオン騎馬隊を迎え撃つ。
「さすがは噂に名高い獅子将軍だな。だが、こちらも負けるわけにはいかないのだ!」
乱れる味方の騎馬隊を睨みつけ、アッシェは扇子を閉じたり開いたりしている。
「忌々しい王太子軍め。だが、古の力まで防げるものか」
アッシェが手を上げると、彼女の背後から巨大な黒馬が現れた。
力強く大地を踏みならし、鋭い眼は戦場を見据えている。雄大になびく黒い鬣にしがみつく盲目の子供もまた、進むべき道をしっかりと見定めていた。
「行くよ、キリン」
『ああ。蹴散らしてくれようぞ』
今、黒き風と化した黒馬が戦場へ流れ込む。




