第一一七話 「似顔絵軍師」
オルテンシアの大通りから外れた裏道の薄暗い妓楼の一室で男女が一つのベッドの中で並んでいる。
「どうスか、平和な世界の実現は順調ッスか?」
「そんなすぐにできたら苦労しねえさ」
これが彼らの間での定番の挨拶となっているようだ。
「ウチはこういう世界しか知らないスからね。他にどんな世界があるのか想像もつかないッス」
「誰もが自分の夢を追い求めても良い世界だ」
隣に寝ているパッセルの表情を読みとることは出来ないが、いまいち理解できてなさそうだ。
「パッセルはやりたいことはないのか。なんでも良いぞ」
「んー、やりたいことッスか。夢もそうッスけど、考えたこともないッスね。この仕事も嫌々やっているわけじゃないスから」
「じゃあ好きなことはどうだ。それなら何かあるだろう」
「好きなこと……。あ、美味しいものをいっぱい食べたいッスね」
「おう、美味いものは俺も大好きだ。じゃあたとえば世界中の美味い料理を食べてみたいとは思わないか」
「良いッスね。思うッスね」
「そう思ったときに、地位や権力で縛られることなく世界の美味いもの巡りができるような世界だ。金は必要だがな」
「へえ~、ってやっぱり想像付かないッス」
えっへっへと気の抜けるようなパッセルの笑いは、どうにも誘われて笑ってしまう。
「そうか、わからねえか。仕方のない奴だな。今に分かる時が来るから、それまでそうやって笑って過ごしているのが一番良いかもな」
ヴァンは、パッセルと話しているときにはなんともいえぬ心地よさを味わっていた。
「美味いものと言えばパッセルは南部の出身だよな」
「そうッスよ。褐色の肌は南部の証ッス」
「俺は北でばっかり商売をしているから南部の料理は食べたことが無くてな。金は払うから作ってくれないか?」
「作って上げたいのはやまやまなんスけど、南部の香辛料はここでは高すぎるッス。使わなくても作れるッスけど、あれがないと本物の南部料理とは言えないッス」
大理石で財政の潤っていたマルブルでは大陸中の様々な物が流通していた。敗戦で被害を受けたとは言え、物流の線はなんとか生きている。カタストロフは侵略した土地を自国で治めるので、物の流れを完全に破壊することはしない。ただし、かなりの値が張るようにはなったが。
「それなら今度来るときに買ってきてやる。それぐらいの稼ぎはあるからな。それで俺に一品作ってくれ」
「確かに材料があればつくれるっすけど、いいんスか?」
「いいに決まっている。誰もが安心して美味いものを食える。誰もが笑って一日を過ごせる。そういう世界を俺は実現したいからな」
そう言って少年のように目を輝かせて笑うヴァンの顔を見ていると、パッセルは自分の顔が熱くなってくることに気づいてわざとらしく大声で笑う。
「いいッスね、お客さん。ウチもそんな世界を見てみたいッス!」
☆・☆・☆
「ただいまッス~」
足取り軽くパッセルが帰宅すると、シュトローは怪訝な顔を向けてきた。
「なんだ、気持ち悪いぐらい上機嫌な声しやがって」
「万年仏頂面の先輩には一生分からないことッスよ~」
「相変わらずムカつく奴だなお前は。万年メカクレ面のくせによ。それよりもほれ、こっち来い」
シュトローが手招く机の上には折り畳まれた一枚の紙が置いてあった。
「王太子の人相書きが来たぞ。早く開けろ」
「そんなの勝手に開けて見たらいいじゃないッスか」
「馬鹿言え。これは俺に来たものじゃなくてお前に来たものだ。勝手に見るわけにいくかよ」
「先輩って盗人のくせに妙なところ律儀ッスよね」
パッセルは紙を広げていく。
「さて、どんな顔なんだかな」
「楽しみッスね」
その人相書きに描かれている老け顔の人物を見て二人は固まる。もっとも、その顔色は正反対のものであったが。
「……こいつ、どこかで見たな。どこだ?」
「……」
「ああ、思い出したぞ。ちょっと前に城郭でお前がぶつかった商人の奴だ。お前も覚えているだろう」
「えーと、どうだったかッスね……」
妙に歯切れの悪いパッセルを無視してシュトローは顎に手を当てて記憶を辿り始める。
「一瞬だけだったが、あの妙に老け込んだような顔は印象的だったな。そんでその後はどこに行ったか……そうだ、確かその後にお前の店に来たって言ってたな。『昼にぶつかった人がお店に来たんスよ~』とか言ったよな」
「……そうッスか? 先輩の気のせいじゃないッスか?」
「いーや、そんなことはねえ。絶対に言った。その直後にお前に右の脛を蹴られたからよく覚えているぜ。痛みの記憶ってのはそうそう忘れねえもんだ」
「あれは先輩が逃げようとしたからじゃないッスか」
「――さっきから聞いてりゃ妙にはぐらかすじゃねえか。何を隠してやがるんだ」
「別に、隠してないッスよ」
そう言いつつもパッセルの目線は全然別の所を見ている。
「お前は嘘が下手だな。どう見ても隠してるだろ」
「隠してないッス。先輩はウチの曇り無き眼が見えないんスか?」
「前髪で見えねえよ、バカ。やましいことがねえならその邪魔な髪どけて曇り無き眼を見せてみろ」
「……嫌ッス」
「なんでだよ。やっぱりなんか隠してんじゃねえか。領主の命令に逆らっていいのか?」
「うぅ……」
観念したのか、パッセルは指を突き合わせながら話し出す。
「実はその人、ウチの店のお得意さんなんスよ」
「なんだと。よく来るのか?」
「よくじゃないッスけど、たまに来るッス」
「チャンスじゃねえか。そんじゃあ抱かれている時にでもさくっとやっちまえよ」
「……いやー、そのー、ッス」
なんだか様子のおかしいパッセルにシュトローは詰め寄る。
「おい、領主の命令は絶対なんだろ」
「それはそうッスけど……。捕まえるだけとかじゃダメッスかね」
「はあ? 殺し屋のくせになに甘い事言ってんだ。まさかその男に惚れたとかぬかすんじゃねえだろうな?」
その問いに答えずにうつむいて褐色肌を赤く染めるパッセルを見てシュトローは思わず吹き出してしまう。
「おいおい、マジかよ」
「だ、だって……」
「こいつは傑作だ。暗殺者の売春婦が標的の男に惚れて赤面してやがる。演劇なんざ見たことねえが、三文芝居にありそうな話が現実にあるとはな」
大笑いするシュトローの肩を強く掴みパッセルは真剣に頼み込んでくる。
「ほ、惚れた訳じゃないッス! ただ、ただ……その、殺しちゃうのは何となく駄目な気がして来たんス! でも領主様の命令を破ったら殺されるッス……。ああ、もう、先輩! どうすれば良いッスか!? ウチ、こういうの初めてでどうしたら良いか分かんないッス!」
必死で頼み込んでくるパッセルを見て立場が逆転したことを悟ったシュトローは内心でほくそ笑む。
「教えてやりてえのは山々だが、今の俺はお前に殺されるだけの犬だ。命の危険があるんじゃおいそれとしゃべることはできねえ。交渉のカードは持っておきてえからな」
「こ、殺さないッス……。今だけは……」
「何だ? 今だけはとか小さく言わなかったか?」
「わかったッス……。ウチはもう先輩を殺さないって約束するッス……」
「へえ、そいつはありがてえ」
表面上は努めて冷静に言っているシュトローだが、心の中では両手を上げて踊り出している。
「でも逃げたら領主様のキメラに殺されることは変わらないッス……」
しかしその踊りもすぐに止まった。
「あいつはウチらのにおいを覚えているッス。どこまでも追ってくるッス。これはウチにはどうしようもできないッス」
「なんとか逃げることはできねえのか?」
「先輩は家ほどもあるデカい馬から一生逃げることができるんスか?」
できるわけがない。
シュトローが固まったまま動かなくなると、パッセルは立ち上がって部屋を出ていこうとする。
「じゃあウチは体洗ってくるッスから、戻ってきたらどうすれば上手く行くか教えてくださいッスよ。もし教えてくれなかったり逃げたりしたらウチが先輩を殺すッス」
そう言ってパッセルが部屋を出て行くと、しばらく固まっていたシュトローが自分の頭をかきむしる。
「ああー、ちっくしょう! せっかくあの馬鹿を丸め込んで逃げられると思ったのによ。俺はどうしたらいいんだよ!」
安宿の壁に拳ほどの穴が開いた。




