第一一五話 「夕焼軍師」
オルテンシアの城郭が夕焼けに染まり始める頃、オンブルは城郭の近くの小高い岩山の中にいた。
彼の手には古びた十字架が握られている。
「俺も、いわゆる適合者って奴だったわけか」
オルテンシア奪還戦で戦った女間者のグリュックが持っていた古代遺産、今それは彼の手の中にある。
あのとき、落ちた古代遺産を拾った瞬間、オンブルの頭の中に力のイメージが流れ込んできた。適合者のみが見える力を理解した彼は、その力の強さに一瞬身が震えた。
それからは使用せずにずっと隠し持っていたが、一度使って感覚を確かめておきたくなった。いざ使用するという時に使いこなせていないと意味がないからだ。
試しに手頃な岩に向かって十字架を構える。そして頭の中で激痛の針が飛んでいくイメージを思い描くと、次に瞬間には岩の一部が弾け飛んでいた。その確かな力にオンブルは口笛で賞賛を送る。
「こりゃ凄え。確かにこれなら兵隊百人に囲まれてもなんとか出来ちまいそうだな」
だが、俺はあの女みたいに慢心はしない。ちゃんと自分が使える限界を見定め、ここぞという時にしか使わないようにしよう。
「それにしてもあの嬢ちゃん、本当に食えない奴だぜ」
☆・☆・☆
ふらつきながらも歩けるようになったレージュは、椅子の上でパルファンを吹かしながら、オンブルとスーメルキ団の今後について話し合っていた。とりあえず現団員であるアクスト・エスクド・アコニの下には二人が選んだ新人がつけられている。騎士団や義賊たちだけでなく、城郭の住民まで手を伸ばして選び出した人材だ。
残った他の二人、グラディスはローワ王捜索に専念しているので部下は付けていないし、ガビーには適切な新人が見つからなかった。
一通り情報を交換して指示を伝え終わると、レージュは次のパルファンに手を伸ばしながら悪戯っぽい笑みをオンブルに向ける。
「そうそう。あたしもセルヴァも出て行っちゃうから、アッシェ領主のところのキメラが来たらよろしくね」
「そんな大任、俺には荷が重すぎるぜ」
「いやいや。それを持っている以上、嫌とは言わせないよ」
「それってなんだい?」
にひひとレージュは笑う。
「その胸に隠してある古代遺産だよ。あたしにバレないとでも思った?」
オンブルはあきらめたような顔で両手をあげる。
「本当にかなわねえな、レージュには。こいつも壊すのかい?」
レージュが古代遺産の破壊を目的としていることは皆が知っていた。
オンブルが隠し持っていた十字架をレージュに投げ渡す。
「今はまだ壊さないよ。キメラが攻めてくるっていうのに古代遺産無しは分が悪いからね」
「やれやれ、面倒な物を拾っちまったな」
「自分で拾ったんだ。責任持ちなよ」
投げ返された十字架を受け取り、オンブルは再び元の場所へ忍ばせる。
「ただ、もしもオンブルが古代遺産を私欲のためだけに使ったら、絶対に許さないからね」
「そこは安心していいぜ。俺はいつでもヴァンの影だ。影は勝手に動かないからな。あの黄昏の日に言っただろう」
☆・☆・☆
そして天使は旅立ち、彼女の予想通り敵がこちらへ向かってきている。自分は、唯一の古代遺産持ちとして、キメラと対峙することになるだろう。だが、この力があれば、キメラとも渡り合えるかもしれない。いや、必ず勝ってみせる。
「古代遺産を持つ者は凄惨な死を迎えるなんて言われているが、もとより綺麗な死に方が出来るとは思っちゃいねえんでな」
オンブルは黄昏の空を眺めると、ふと、デビュ砦でのレージュとの密会を思い出す。
ヴァンには喋ることのできない、スーメルキ団発足の時のことを……。
☆・☆・☆
ヴァンが兵たちの不信を払うためにデビュ砦で行われた演説の後、オンブルが砦内の石造りの見張り塔の階段を登り切ると、山に向かう夕日と同じ色の瞳をした隻眼の天使がそこにいた。ここはデビュ砦で最も空に近い場所であり、狭いながらも彼女のお気に入りの場所でもあった。火傷顔の天使は長い金髪を風に撫でさせるようにして空を眺めている。
「やれやれ、蒼天の軍師様からお呼びだしがかかるとはね。これからいじめられると思うと気が滅入るな」
冗談めかして笑うオンブルにレージュも笑って答える。
「あたしがどうやったらオンブルをいじめられるのさ。取っ組み合ったら間違いなく負けるよ」
「そうでもないんじゃないの。聞いたぜ。獅子将軍相手に互角に戦ったそうじゃねえか」
「さすがに耳が早いね。まあ、あれは調練だからね。それは置いといて、ちょっと話がしたくてさ」
くるりと回って壁に背を預けて夕日に染まる空をレージュは見上げる。
「兵たちの事で悩んでいたヴァンを焚きつけたの、オンブルでしょ」
「何のことだい?」
「ヴァンの目にぎらぎらと輝く光が戻った。この前は曇りかけてたのに」
「俺はなんもしちゃいねえよ。あいつが一人で勝手に盛り上がってるだけだろうさ」
「にひひ。オンブルがそう言うならそういうことにしておいてあげるよ。だからこれはあたしの独り言、ありがとうね。あんたは確かにヴァンの親友だ」
ニヤニヤと微笑む天使を見てオンブルは内心でしまったと思う。嘘がばれているというのは、どうにもやりにくい。
ヴァンを励ましたつもりがないのは事実だ。しかし、ああ言ったのは、ヴァンがつまらない男に変わってしまうのを嫌っただけなのだと自分に言い聞かせる。
「で、そろそろ本題に入ってくれないかい。義賊団の裏側の話って奴をさ」
レージュは義賊団の裏側という言葉でオンブルをここに呼び寄せたのだ。
「そうだね。これはちょっとヴァンには聞かれたくない話かもしれないからね、ここに一人で来てもらったのさ」
いつもと一味違うレージュの物言いにオンブルがニヒルな笑みを消して真剣な顔になると、レージュはクレースを被り直して、いつものようにクレースで火を付けてパルファンを吸いながら話し始める。
「今回の作戦でもそうなんだけど、オンブルたち義賊はこれから汚い仕事や辛い仕事が多くなると思う。でも、そういう力は戦争には絶対に必要だ」
「だろうな」
「でもそれは騎士たちにやらせたくないから頼んでるんじゃない。オンブルたちじゃないとできないから頼んでいるんだ」
「金品を奪うぐらいなら楽勝だが、あんまり変なこと期待されても困るぜ。俺たちゃただの義賊団だからな」
「ほとんどはそうだろうね。でも、いるよね」
レージュの夕焼けの隻眼がスッと細くなる。
「殺しをしない赫赫義賊団の中にオンブルを含めて七人。いわゆる裏の仕事をする人が。しかも、ヴァンはそのことを知らない」
レージュがポケットから六人の名を記した紙を取り出してオンブルに見せる。受け取って目を通したオンブルが感心したように口笛を吹く。
その紙には、エプロンの似合う女性アコニから始まり、生肉騒動の時に鹿を捌いていた猟師風の男アクストも、影からオンブルに報告してきた男グラディスの名もちゃんと記されていた。さらに元奴隷のガビーの名もあり、残りの二人のシーカとエスクドの名も正確に記されている。
「おいおい、いったいどうやって調べたんだか。あいつらの偽装は完璧に仕上げたと思ってたんだがな。ヴァンは全く気づいちゃいねえのによ」
「ヴァンだけじゃない。多分あたし以外は誰も気づいていない。リオンは血の臭いに鋭いから気づいているかもだけど、彼はそう言うことを言いふらしたりはしない。それに、あたしは調べるなんてことはしてないよ。会って話をした。それだけさ」
そういえば、レージュが義賊団の一人一人と話をしていると六人から報告があったことがある。それはマルブル残党軍と合流するために行軍している時の話だ。だが、話している内容は世間話程度のもので、特に何か探っているようではなかったという。
「あたしの人を見る目をなめちゃいけないよ。隻眼になったって真実が見えないわけじゃない」
「違いねえ。その目はただの宝玉じゃねえってわけだな。あいつらまで見つかったんじゃ完全に俺の負けだ」
六人の名が書かれた紙をオンブルから返してもらい、即座にパルファンの火をつけて灰にする。
「彼らは具体的に何ができるの?」
「諜報や暗殺、城郭や陣地の内部に忍び込んで攪乱することもできる。夜目も利くし、水に長く潜ることもできる。子供も年寄りも男も女もいるから大抵の状況には対処できるようになっている」
「他に彼らの存在を知ってる人は?」
「いない。俺とその六人だけだ。それと、嬢ちゃんも、か。……あのよ、この事はみんなには黙っててくれねえか。俺たちのやっていることはヴァンの流儀に反しているからな」
ふと遠くを見るように目を細めるとオンブルはポケットからパルファンを取り出して指先で弄ぶ。
「この世界は綺麗事だけじゃあ生きていけない。傭兵上がりの嬢ちゃんならそれはよく分かってるだろ。だけど、ヴァンには綺麗な目のままでいて欲しいからな。俺はあいつの代わりにいくらでも汚れてやるさ」
「オンブルは、それでいいの?」
彼はニヒルに笑って火の付いてないパルファンをくわえる。
「いいんだよ」
ヴァンに光の道を歩かせるために影の道を選んだオンブルの未来は決して明るいものにはならないだろう。ヴァンとオンブルは子供の時からの平民と貧民の階級を越えた親友だと聞いていたが、どうして彼はそこまでヴァンに入れ込むのだろうか。
「あの直情正直バカは前だけ見ていれば良い。俺が後ろを見ててやるから、嬢ちゃんは前であいつを導いてやってくれ」
あきらめにも似たため息を出すと、レージュが小声でなにか言っている。聞き取れないので腰を折って顔を近づけると、レージュがパルファンの先端をオンブルのパルファンにあてがう。シガーキッスとはませたことを、とオンブルは声に出さず笑い、レージュから大人しく火をもらう。
「あたしは、後ろも見るからね。あんたの背中も、見てるからね」
夕焼けの隻眼で真っ直ぐに見つめてくる天使を見てオンブルは思う。どうにも、この目は苦手だ。この隻眼片翼火傷褐色天使少女を見ていると、なぜだか分からないが、自分を委ねたくなってしまう。
「そいつはどーも。天使に見守られているとは心強い話だ」
火のついたパルファンを一回吹かして冗談めかして笑う。
それからは、たっぷり一本吸い終わるまでに、二人はパルファンの煙のみで会話をした。その内容は、二人にしかわからない。




