第一一三話 「遊廓軍師」
アッシェ領主の屋敷の庭で植木の手入れをしているメイドの一人が立ち上がって、固まった筋肉を解そうと肩を回したり首に手を当てたりしている。そんな何気ない彼女の動作を、遙か遠くから注意深く観察している者がいた。
「ふむふむ、どうやら本当に攻めてくるみたいですね」
スーメルキ団の一人であるアコニはそうつぶやくと、アッシェ女伯の屋敷を見渡せる山の上にある木から飛び降りる。
「あの子、結構飲み込みが早いですね。オンブルさんとレージュちゃんが選んだだけはあります」
潜入させた部下からのメッセージを紙に暗号文で書き留め、鳩の足に括り付けて飛ばす。
「それにしても、レージュちゃんの先見性にはいつも驚かされますね」
鳩が空へ飛び立つ姿を見て、アコニはレージュの事を思い出した。
☆・☆・☆
レージュが出て行く前に、アコニは彼女の部屋に呼ばれた。軍師レージュはベッドで体を起こしていて、腕輪でお手玉をしながら話し出す。
「もしも次に攻めてくるとしたらアッシェ女伯だ。オルテンシアから近いし、西に行っていた手飼いのキメラがどうやら戻ってきているみたいだしね。いつ攻めてきてもおかしくはない。だからアコニにはその動きを監視して欲しい。早く動きがわかれば早く準備できるからね。新人の研修にもちょうど良いでしょ」
レージュが目覚めてから連日、色々な人がこの部屋に呼ばれていたようだが、まさか自分も呼ばれるとは思っていなかったので少々意外だった。
「動きがあったらすぐに知らせて。たぶんあたしが出て行ってから攻めてくるだろうからよろしくね」
「かしこまりました~」
レージュはスーメルキ団には自分のこれからの行動を隠さずに伝えるようにしている。こちらが信頼していることを示さないと相手も信頼できないからだ。
ふと、アコニは花瓶に生けてある花が萎びているのを見つける。
「あら、お花の元気がないですね。ちょっと変えてきますね」
「いいけど……毒の無い奴にしてよね」
「あらあら残念。毒草って結構綺麗な花を咲かせるんですよ?」
「部屋に飾った花がそのままあたしの墓に飾られるのは勘弁だよ」
「じゃあ、今のレージュちゃんにピッタリの花がありますよ。ちょっと取ってきますね」
アコニはお淑やかな笑みで返して部屋から出て行く。
戻ってきたアコニが抱えていたのは、大きな葉が三枚あり、真ん中から二本の黄色い花が生えている。その黄色い花がクレースみたいに丸いのを見ると、レージュもにひひと笑いを漏らした。
☆・☆・☆
アコニがレージュの悪戯っぽい笑みを思い浮かべて蒼天を仰ぐと、既に鳩は見えなくなっていた。
☆・☆・☆
すっかり夜も更けてきたオルテンシアでは、ある妓楼の前でヴァンが足を止めていた。
そういえば最近は王様だ戦だと忙しかったりで女を抱く暇もなかったな。
久々に行ってみるか。
石壁造りの妓楼の一階は酒場になっており、二階に女を買う部屋があるようだ。飲んでいる客はやはり商人が多い。
だがそれで良い。マルブルの女は美しく、彼女たちを抱けるとなると、売買では銅貨一枚をも渋る商人たちの財布の紐もかなり緩くなる。そうして商人たちが金を落としてくれればそれだけ城郭は潤う。城郭が潤い、金が十分に集まれば、復興作業は速まるし軍備に当てることもできる。しばらくはこの城郭を拠点とするのだから、活動資金は多いに越したことはない。
いま城郭に必要なのは金と時間と人だ。金は回り始めているが、十分に貯まるまで時間があるかどうか。
やはり一番足りないのは人である。正確には兵が足りない。武具や馬はカタストロフから没収したからそれなりにあるが、その武器を使う人間がいないのが歯がゆい。それにいつまでも敵兵の鎧を付けているわけにもいかない。やはり武具の量産もしていかなくてはならないだろう。この城郭にも工房はあるので作ることはできるが、今は城郭の復興にかかりっきりで武具を作っている余裕はない。
レージュの助言で義勇兵を募ったら予想以上に多くの人間が志願してきた。しかし、マルブルは元々軍事を他国に頼った文化重視の国家であるため、民を寄せ集めても兵としてそのまま使える人間はほとんどいない。だが祖国を取り戻すという強固な意志が彼らにはあり、やる気は十分にあるようで、オネットやリオンの鬼のような調練にもなんとかついて行こうとしているようだ。時が経てば優秀な兵になるかもしれないが、それまで敵が待ってくれるかどうか。
ああ、いや。今の俺は王太子ヴァンではなく細工商人のポーブルだ。そう考えるのはとりあえず後回しだ。
受付の女主人にヴァンは告げた。
「南部の女はいるか」
昔は、透き通るような肌のいじらしい女を好んで抱いていたが、今は趣味が変わって褐色肌のエキゾチックな娘を好むようになっていた。そうなった要因のほとんどがレージュにあるのは分かっている。だが、さすがにレージュを抱く気にはならない。いくらなんでも子供すぎるということが大部分だが、なにより彼女とは男と女ではなく友でありたいのだ。
「良い娘がいるよ」
少し色を付けた代金を払うと、妙齢の女主人の案内で二階の誰もいない部屋に通される。
薄暗い部屋の中に入るとまずはたった一つの窓を確認する。窓にはガラスがはまっておらず、ただ木の棒を格子状にはめ込んであるだけだ。大きさもヴァンが通れるぐらいはあるし、窓の外には屋根が張り出ている。これなら脱出するのはたやすいだろう。
妓楼は何かと問題が起こりやすい。妓楼に限らず、なにかあったときに素早く逃げられるように逃げ道を考えるのはヴァンの癖であった。
そんなことをしていると扉をノックする音が聞こえる。ヴァンが呼び込むとどこかで見たような女性が入ってきた。
「どうもー、こんばんはッス。パッセルっていうッス……あれ? もしかして昼間にぶつかった人ッスか?」
「おう、あの時の。なんだ、遊女だったのか」
「そうッスよー。あ、隣いいッスか?」
「ああ」
部屋の中は狭く、蝋燭が置いてある小さな机とベッドがあるだけである。ヴァンの座るベッドに腰をかけてきいたのは昼間にぶつかってしまった女性だった。
「いやー、珍しいこともあるもんッスね。えっへっへ」
抜けた笑い声を上げるパッセルにつられてヴァンも口元がゆるむ。
「お客さん、ここは初めてッスよね。なんて名前なんスか?」
「ポーブルだ」
「ポーブルさんッスね。顔と名前、覚えたッス」
「そんなに前髪が垂れていて見えているのか?」
「見えているッスよ」
と言われてもヴァンからは瞳の色もわからない。
「顔を見せてくれないか?」
「一見さんには見せてあげないッス。もっとウチを買ってくれたら良いッスよ」
「それは味を見てからだな」
それからヴァンはがっつくようにパッセルを押し倒し、久方ぶりの女体に溺れた。
一通り励んだ後、ヴァンがベッドの縁に座ってパルファンを吸っているとパッセルも一本ねだってくる。ヴァンからパルファンを受けてとると、実に美味そうに吸い始めた。
「ウチは文字も読めないし書けないッスから、こうやって体で稼ぐしかないんス。ここの儲けじゃあパルファンなんて高価なもの、おいそれと買えないッスからね。みんなポーブルさんみたいなお客さんだと良いんスけどね。商人はケチなお客さんが多いッスから」
「パッセルはここの仕事は長いのか?」
「一年ぐらいッスかね。ウチは馬鹿ッスから、どこ行ってもこういう仕事ぐらいしかできないんス」
「何か別の仕事をしたいとか思わないか?」
「お、ウチを商人に引き抜くんスか? でもウチ計算なんてできないッスよ」
「そうじゃない。何か夢とかはないのか?」
「んー、特にないッスね」
パッセルはえっへっへと笑う。
「ポーブルさんは夢あるんスか?」
「あるぞ。争いも格差も無い平和な世界を実現する。それが俺の夢だ」
大まじめに答えるヴァンにパッセルは笑い声を飛ばす。
「そりゃ、王様にでもならないと無理ッスね」
「王様になったらできるのか?」
「どうッスかね。この大陸には王様がいっぱいいるッスけど、どこも戦争ばかりやっているッス。王様は戦うことが好きなんッスかね」
「そうでない王もいると思うぞ」
「そうなんスか?」
「もしも俺が王になったらそんなことはしない。争いのない世界を作るからな」
「まるで次期王様、王太子様みたいなこと言うッスね」
つい熱くなってしまったヴァンは、咳払いを一つして誤魔化す。
「この身でどこまでできるかはわからない。だが、どんな形であれ、平和で自由な世界をつくりたい。そのために出来る限りのことはする」
「……へぇー」
パッセルはヴァンを抱き寄せ、その大きな胸に顔を埋めさせる。
「そりゃあ良いッスね。ウチは応援しているッスよ。ウチも平和な方が好きッスから」
ヴァンの夢について笑い飛ばす者は多かったが、応援してくれる者は少なかった。それでもオンブルや義賊団の連中と共に努力はしてきたし、レージュという心強い友も現れた。そして彼女も賛同してくれている。
自分のやっていることは間違っていない。そう思えるだけで救われるような感じだ。
久しぶりの女体を堪能したヴァンがいそいそと妓楼から出てくると一人の老婆が彼を見ていた。
「なんだ、婆さんじゃねえか。覗きか?」
上機嫌のヴァンと違ってエスクドの表情は硬かった。
「あの遊女、なにやら怪しいぞ。気を許さぬ方がいいじゃろう」
「そうか? 俺はそんな感じはしなかったがな」
「フン、若い女の色香に迷うのは勝手じゃがな、年寄りの言うことは素直に聞いておいた方が良いぞ」
「わかったよ婆さん。あんたの言うことは大体正しいからな。気を付けておくさ」
軽く手を振って立ち去るヴァンの背中をエスクドは見ようとしなかった。




