第一〇九話 「案山子軍師」
マルブル領オルテンシアの外れにある安宿で、男がベッドの上で何かを考え込んでいる。
あーあ、ヴェヒターの野郎も早々にくたばっちまったな。色々とがんばっていたみたいだが、結局は死神に刈り取られる運命か。いや、むしろ宰相の野郎に始末された格好だな。死神はそれに乗せられただけだ。愛国心の固まりみたいなヴェヒターは宰相に対して良い感情は持っていなかったし、場合によっては謀反を考えていたかもしれないから奴にとっても邪魔な存在であっただろう。だからこんな土地に飛ばされたのも納得できる。
「先輩~」
まあそんな雲の上の話はどうでもいい。今は俺の身に起こっている面白くねえ現実を考えなくちゃいけねえ。
俺は、汚い商売で稼いだ金を持っていそうな野郎の所に忍び込み、そのたんまりと蓄え込んだ金をいただく仕事をしていた。まんまと金を盗まれた小悪党どもがしょぼくれた顔をしているのを見ればだまし取られた奴の溜飲も下がるだろうよ。奪った金はもちろん俺の物だがな。
ある時、カタストロフの領主が不当に税を搾り取っている話を聞いた俺はその領主の屋敷に忍び込んだ。だが、情けねえことにドジを踏んじまって、いけ好かねえ領主に捕まっちまった。そうしたら領主の奴ときたら、俺の金と宝物をすべて取り上げ、命を奪わない代わりに、自分の間者になれと言ってきた。命を握られている俺に断れるはずが無く、無一文になった俺は間者としてこのオルテンシアまでやってきたわけだ。
「先輩~? 聞いてるんスか~?」
それから今日に至るまでの約半年間、ヴェヒターとレジスタンスの動きを監視させられていた。そこで得た情報は領主の使いに口頭で伝え、領主へと届けられる。そして、どうやって近付いたかは知らねえがそこから宰相に流しているらしい。そうすることでクソ領主様の株が上がるというわけだ。そして情報に対する俺への報酬は無い。強いて言うなら、領主に刃向かってもまだ生きていられる自分の命だが、これに今更文句を言ってもどうにもならねえ。
「せ~ん~ぱ~い~。シュトロー先輩、耳が腐っているんスか」
ともあれ、監視対象が死んだことで、ようやく本国に帰れるかと思ったら、あの領主、また別の任務を押しつけてきやがった。『そのまま情勢の調査をしてこい。特に軍部を中心に』だと。まったくもって面白くねえ。絶対攻め込む気じゃねえか。また戦に巻き込まれるなんて冗談じゃねえぞ。
「シュトロー先輩~、なに黙って怖い顔してるんスか。腹減ってるんスか? なんか買ってくるッスよ。マルブルの飯は美味いッスから食べれば先輩の機嫌も直るッスよ。ちょっと味が薄いのがあれッスけど」
そして一番の頭痛の種が、さっきからうっとうしく話しかけてくるこの脳味噌スカスカな褐色牛乳女暗殺者のパッセルだ。領主から無理矢理付けられたのだが、早い話が俺が逃げたり裏切ったりしないための枷だ。ムカつくことに、どうやってもこいつに力で勝てないことは散々思い知らされた。
本当に面白くねえ。
「うるせえぞパッセル。俺が考え事している時は話しかけるんじゃねえっていつも言ってんだろ」
「あ、考え事してたんスか。おなかが空いて不機嫌そうにしてるだけかと思ったッス」
「そうなるのはお前だけだろ」
「人間誰でもそうなるもんッスよ」
シュトローはパッセルをにらむが、彼女の目は前髪が垂れているので見えない。
「それにしても、この前の巨人は凄かったスね~。倒れてきたときはもう死ぬかと思ったッスよ」
「本当に死んどけば良かったのにな」
「先輩ってば相変わらずひねくれてるッスね。そんなんじゃ楽しく生きていけないッスよ」
「お前は楽しそうで羨ましいな」
「えへへ、そうッスか?」
「……本当に頭が痛くなる奴だ」
シュトローは乱暴に頭をかいてベッドから起き出す。
「とりあえず城郭に出るぞ。情報収集だ」
「ウィーッス」
二人の男女はベッドから下りると素早く着替えてオルテンシアの城郭へ繰り出す。
☆
城郭は復興の作業で大忙しのようで、通りは人の往来が激しい。だが、作業をしている彼らの顔は生き生きとしている。それもそうだろう。半年間の侵略者が根こそぎ駆逐されたのだから。
シュトローとパッセルは、半年ほど前にカタストロフがオルテンシアを占拠した際に入り込み、ヴェヒターとレジスタンスの監視を行っていた。こちらからの接触は一切避け、ただ見るだけにとどめていたのでどちらにもバレることが無かった。
活気の溢れる城郭を散策中にもパッセルの口は閉じることを知らない。
「それにしても、レージュちゃんに会いたかったッスねー。今まで遠目でしか見たことないッスから、一度ちゃんと見てみたかったッス。レージュちゃんはめっちゃ可愛いって噂らしいッスよ。いつの間にかどっか行っちゃったんスよね」
「見た目なんてどうでもいいだろ。奴は死神、敵だ敵。祖国カタストロフの怨敵だぞ」
「ウチはカタストロフ出身じゃないッスからね、その辺はぶっちゃけどうでも良いッス」
怨敵とは言ったがシュトロー自身もそこまでレージュ個人を憎んでいるわけでもない。むしろ彼女の引き起こした戦争の混乱は盗人のシュトローの歓迎するところだった。
「情報を集めた後はどうするんスか? 軍部の連中を暗殺するんスか?」
「馬鹿野郎、やるんならお前が一人でやれ。そんでくたばってこい。まったく、これだから暗殺が趣味の薄汚い南部野郎は気に食わねえんだ」
「あー、それって偏見ッスよ。南部の人が全員裏家業やっているわけじゃないッスからね」
「俺を殺すためにいる奴がそれを言うか」
「全員がそうじゃないと言っただけでウチも違うとは言ってないッスよ。前から思ってたッスけど先輩って結構頭悪いッスよね」
その言葉にイラついたシュトローが殴りかかるが、パッセルは前髪で見えないにも関わらずその拳を受け止めて捻り上げ、彼の足を払って地面に転がす。その動作はあまりにも素早く、周囲からはシュトローが勝手にすっころんだようにしか見えなかった。
「……勘違いしているようだから言うが、俺は平和主義者なんだ。ここにいるのも、アッシェとかいう領主に無理矢理命令されたからで、殴ったり殴られたり殺したり殺されたりなんてのはまっぴらごめんなんだよ」
「たったいま殴りかかってきた人が地面に寝っ転がったまま言うと説得力が違うッスね」
「起こせ」
「ウイッス」
伸ばされた手を掴み、パッセルは軽々とシュトローを起こす。そして彼の背中に付いた砂をはたいて取ってやった。
「すでに何度も言っているが、俺たちはあくまで間者だ。あまり目立つような行動はするな」
「それ、自分に言っているんスか? でけえ独り言ッスね」
とっさに手が出そうになるが、どうせ負けるのでそのまま引っ込める。
「ともかく、だ。最後に俺だけが生き残ってりゃ良いんだ。俺が助かる為ならお前の命なんて即座に差し出すぞ。むしろ助からなくても差し出す。なんとしてもお前より先に死にたくねえ」
「最っ高にゲスいッスね。まー、死にたくないってのはウチも同意できるッスけど」
「殺し屋のくせにか」
「殺し屋だからッスよ」
「確かに、お前は絶対にまともな死に方はしねえな」
「先輩がそれを言うんスか」
シュトローは芝居がかった動きで自分を指差す。
「俺は清く正しく生きているからな」
「領主様のお屋敷に忍び込んで盗みを働こうとして捕まった人は清く正しく無いッスよ」
「領主のババアといやあ、お前はあの領主に仕えてて何も思わねえのか。奴は馬鹿みたいに税を搾り取り、領民は息をするのも苦しい状況なんだぞ」
「ああ、そうなんスか。別にどうでもいいッス。カタストロフの人が苦しんでいるって言われてもフーンって感じッス」
「あん? じゃあなんでお前はあのクソババアに仕えているんだ?」
「仕えているってわけじゃなくて、従わせられているって言った方が正しいッスね」
「お前の腕ならいつでも逃げ出せるだろうが」
パッセルはわざとらしい動作でシュトローに耳打ちする。
「先輩は知らないだろうッスけど、あの屋敷にはキメラがいるんスよ」
「なんだと?」
「先輩が忍び込んだときには西の前線に送られていたからいなかったッスけど、バカみたいにデカくて黒い馬のキメラが飼われているんスよ。あれがいたら先輩なんて庭にすら入れずに踏みつぶされてたッスよ」
そういえば掴まったときに領主がそんなことを言っていたような気がする。
「しかもそいつときたら、あ、名前はキリンっていうらしいッスけど、一度嗅いだ匂いは絶対に忘れないそうッス。だから、ウチらが仕事を放棄して逃げ出しても絶対に追いつかれて喰い殺されるッス」
「冗談じゃねえ。いや、待てよ。でもそいつは西の前線に行ってんだろ? だったら逃げたとしてもこっちまでは来れねえだろ」
「それが、今はこっちに戻ってきているらしいんス。キリンが怪我をして治療に戻ってきているらしいッス」
もしその話が本当ならとてもまずい状況にあると言っていいだろう。掴まったときに持ち物は全部没収されたし、俺の匂いも覚えさせたに違いない。それなら逃げたとしても無駄だ。
「……最悪だ。それじゃあ俺は一生あのクソババアの下で働かなきゃならないのか?」
「まあ、ちゃんと仕事していればとりあえずは大丈夫ッス。だから先輩も死にたくなかったらしっかり働いてほしいッス」
シュトローはもう一度「最悪だ」とつぶやく。
「お前はよくそんな楽観的でいられるな」
「先輩が心配しすぎなんスよ。人生、なるようになるッス」
「脳天気なやつめ……」
シュトローが痛む頭を手で押さえていると、後ろ向きで歩いているパッセルが誰かとぶつかりそうになる。
「――おい、前!」
「うぎゃ」
後ろを向いて話しながら歩いていたので、シュトローの注意が届く間もなくパッセルは前方から来る赫いの髪の男にぶつかって転んでしまう。




