第一〇三話 「疑惑軍師」
舞台は一ヶ月ほど前、レージュが己の正体を知るためにオルテンシアを出立した日に戻る……。
☆・☆・☆
高い秋の空を、二人の天使が西へ行く。彼女らは大きな翼を羽ばたかせ、どんどん小さくなっていった。結局、一度も振り返らずに彼女らは山の向こうへ消える。その姿を、ヴァンは城壁の上から複雑な表情で眺めていた。
「必ず、戻って来いよ。レージュ」
彼の赫赫の髪をなでる北国マルブルの風は、少し肌寒くなってきた。
それにしても、一度も振り返らずに行っちまったな……。
胸の奥に生まれた微かな鈍痛を抑えるため、ヴァンは握り拳を胸に当てる。そんな彼の後ろから枯れ木のような笑い声が響いた。
「若くていい男が一人で黄昏ておると絵になるの。絵描きに描かせて売れば金になるぞ」
振り返れば腰の曲がった老婆がいた。彼女は、赫赫義賊団のエスクドだ。粗末な衣装に豪奢な装飾品を身につけたちぐはぐな格好の彼女にヴァンは乾いた笑いを返す。
「……エスクドの婆さん。こんなとこまでなにをしに来たんだ?」
「なに、天使の小娘共の抜け落ちた羽でも拾えないかと思うてな。あれは高く売れそうじゃからな」
「相変わらずだな、婆さん」
「ふん、世の中金じゃよ。ところで、レージュがいなくなったぐらいで大の男が何をふぬけておるのか。全く滑稽じゃのう」
この老婆がオンブル率いる暗殺者集団のスーメルキ団に所属していることをヴァンは知らない。
「お前が今やることはうなだれることではあるまい。王太子の仕事があるじゃろ」
「領主のフェールが『自分の城郭は自分で直します』って言っててな。俺が出る幕じゃねえのさ」
「ならば調練などに打ち込めば良かろう。まだまだ戦は続くものじゃし、お前の剣の腕も悪くはない。義勇兵も集まっておるのじゃろう」
「その辺もオネットやリオンがやるから余計な事はしなくて良いとさ。個人的な鍛錬は積んでるけどな」
「つまり誰にも相手にされなくなってしまったのじゃな。この老婆と同じとは、若いのに悲惨なものよのう。ヒッヒ」
枯れ木のような笑い声にヴァンは力無い声を返す。
「……なあ婆さん、王様ってのは何をすればいいんだ?」
「そんなもの知らんわ。儂が王になったらいい男を侍らせて世界中の宝石を集めさせて豪遊の限りを尽くすがな、ヒッヒ」
「相変わらず欲の皮の突っ張った婆さんだな」
小さく笑って立ち去ろうとするヴァンの後ろでエスクドは顔を引き締める。
「少しだけまじめに答えてやろうか。お前は、王は何をすればいいのかと言ったな。それは考え方が根本から違うぞ、ヴァン。王になろうとするのではなく、お前がやることが王のする事なのだ。飯を食っても剣を振るっても戦をしても糞を垂れても、それは王のやったことになる。それならば、気負うことなく好きにすれば良いのではないか。お前がお前であろうとすることは誰にも口出しはできんからの」
ヴァンの足が止まった。
「たまには名も無き一人の男として城郭を歩いてみてはどうかの。新たな発見があるかもしれんぞ」
「新たな発見、か……」
赫赫の髪の王太子は空を眺め、西へ飛ぶ白い鳥の姿を目で追った。
☆・☆・☆
「今、なんと言われた。フェール殿」
「聞こえなかったのかオネット殿。ヴァン王太子殿下は、本当にローワ陛下の御子なのかと訊いたのだ」
自らの執務室を取り戻し、机に向かってオルテンシア復興の仕事に注力している領主フェールは、オネットを呼び出してそう問いかけたのだ。
「オネット殿の話では、一年前の赤い光の落ちた日にローワ陛下が蒼天の軍師に息子を捜すよう頼み、その後半年をかけて赫赫義賊団のヴァン殿下を見つけ、マルブル王家の者しか開けられぬ石箱をヴァン殿下が開けて、冠を被って戦線に参加した。ここまでで間違いはありませんな?」
「その通りだ」
「だが、息子を捜せという陛下のお言葉はレージュ一人しか聞いていない。さらにオネット殿を含めマルブルの人間はその石箱を開けるところを見ておらず、冠を被ったヴァン殿下しか見ていない、と」
「……うむ」
「では問うが、その半年の捜索中に、国王陛下の太子、レージュ殿の探している人物の名がヴァンであることをオネット殿は知っておったか?」
オネットの顔を見れば、答えは聞かずともわかるが、フェールは彼の言葉を待った。
「……知らなかった。レージュに聞いても陛下との秘密だと教えてはくれなかったのだ。息子を捜していることは私に教えてくれたが」
「陛下を引き合いに出されるとオネット殿は弱いからな。そこを狙われたのかもしれん。弱点を的確に突くのは蒼天の軍師殿の得手であるからな」
「フェール殿、まさか本当に殿下を疑っておられるのか。不敬であるぞ」
語気を強めるオネットの言葉にも怯まずにフェールは言葉を続ける。
「さらに問うが、レージュはヴァンなる人物を探していたのか、それとも陛下の御子として適切な人物を探していたのか。答えられるかな、オネット殿。マルブル陥落からの半年間、ヴァン殿下にたどり着くまでのレージュの動向はどうだったのか」
「確かに殿下をお迎えに行くのには時間がかかったが、それは事前に周辺の調査やこれからの戦いに向けて地盤を固めていたからだ」
「偽装工作も得手であるからな。軍師として優れている彼女は真意を決して他人に明かさぬ。たとえ味方であろうともな」
「フェール殿」
「もしも万が一があれば不敬などではすまぬぞ、オネット殿。古の天使に見定められ、脈々と受け継がれてきたマルブル王家の高貴な血が盗賊なぞに横入りされても良いのか」
黒い霧がかかったような重苦しい空気が部屋に満ちる。
「私もそうだが陛下の御子がヴァンという名であったことすら知らぬ。オネット殿もそうであろう」
「だがそれは」
「マルブル王家の幼年期の儀式は私も知っている。だが、陛下には御子息どころか御子を授かったという話を私は聞いたことがない。お后様があまりにも早くにお隠れになられ、その後はずっと陛下お一人であった。世継ぎを心配する声にも、陛下は『案ずるな』としか仰られなかった。あの不気味な宮廷道化師もな。噂ではあの道化師が陛下の息子なのではと囁かれたこともあったな。そういえばあの道化師はどうなったのだ?」
「話を逸らさないでいただきたい、フェール殿。今はヴァン殿下の話をしているのだ」
「そうであったな」
書類から目を離さないフェールからオネットは視線を外さない。
「陛下は、お若い頃は赤髪に金の目をしていた。ヴァン殿下も同じ色である」
「確かに珍しい色ではあるが、赤髪に金の目はマルブル王家以外にもいるぞ。このオルテンシアにもな」
元々、言い合いの得意なオネットではないため、とうとう言葉に詰まってしまう。
「私はヴァン殿下について少し調べさせてもらう。構わぬな? オネット殿」
オネットは答えず、不満げな足音を残して部屋を出ていった。
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窓の外の外壁に張り付いて隠れて話を盗み聞いていたスーメルキ団団長のオンブルは音を立てずに下の部屋へ戻る。
「ヴァンが本当のローワ王の息子かどうか、か」
面倒な事になってきたな。
ヴァンとは腐れ縁のオンブルだが、彼の父親を見たことは一度もない。
ヴァンがローワ王の息子であるかどうか。そう思える節はあるが、本当のところはオンブルにも分からない。それを宣言しているのは、現在最も発言力のあるレージュだけだ。一応、大理石の王冠がその証明になっているので兵やオネットたちは付いてきているが、捜索中に一度もヴァンの名前が出ていないという話はオンブルにも引っかかる。単純に伝えなくて良いと考えたのか、それともヴァンの名前を知らないから伝えることが不可能だったのか。
ヴァンが目的だったのか、目的にヴァンが適当だったのか。真相を知るのはレージュただ一人だ。そしてそのレージュはどこかへ飛んで行ってしまった。
マルブル国王であるローワ本人にヴァンが息子だと宣言してもらえれば一番良いのだが、肝心のローワ王がどこにいるのかわからない。レージュからの指示で、ローワ王の捜索にグラディスを当てているが、何も手がかりが無いのではスーメルキ団といえども対象を見つけだすことは困難だ。ローワ王の見た目などは、オンブルは見たことがあり、レージュからも色々聞いていたが、それでも時間はかかるだろう。見つけるまでに内部で分裂など起きなければ良いが……。
短く刈った金髪を掻いてオンブルは高い空にニヒルな笑みを向ける。
まったく、面倒事ばかりおしつけてくれるな。あの天使様は。




