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作品2

「なんだか、楽しくなさそうですね」


 今日の夕飯の席でも、アルフォンス君に指摘された。一連の作業を終えて、自宅に帰ってからのことだ。


「なんで君は分かるんですか」


 そう答える僕は、少々ぶっきらぼうになってしまったかもしれない。


「何か問題でもあったんですか?」


 心配そうに尋ねられ、僕は微妙な表情で首を横に振る。


「いえ。何もかもうまくいくわけではありませんからね。まあ、半分は成功したので、良しとするべきなんでしょう。問題と言っても、最終的には解決できる程度のものでしたし。ちょっと先送りになってしまっただけで」


 そう。期待に胸を躍らせて挑んだ、僕の記憶に残る傑作群の読み取り作業。


 それは素晴らしいものではあった。


 タイトルや冒頭をイメージしただけで、あっという間にその全貌がほぼ完全な形で記録されてしまうのだ。正直自分では正確に思い出せないような部分の細部までが再現される。何なら意味も把握できていない言語のオペラですらも、きちんと耳に入った通りに、記憶にある歌手の歌声で出来上がってしまうのだ。


 音楽はまさに国境を越えた。


 ちょっとしたしゃれのつもりで、記念すべき第一作にはドヴォルザークの『新世界より』にしてみた。

 さすがに難易度が高いかとは思ったが、新世界から故郷へ向けたものとしてふさわしいのではないだろうかと。


 委細漏らさず覚えていたわけでもない四十分にも及ぶ交響曲が、ものの数十秒で記録されてしまう様は圧巻と言っていい。思わず、「え、もう?」と聞き返してしまった。

 さすがに全部を鑑賞して確認する時間が惜しいので、最初の数分だけ聴いて切り上げたが、直すべき部分など見いだせないクオリティーだった。まさに僕が一番多く聴いていたカラヤン版だ。記録を手伝ってくれた技師も、問題なく完成したはずだと保証してくれた。


 これなら絞ってきた作品以外にも行けそうだと、あとはもう思いつくままにどんどん録っていったわけだ。

 時間の許す限り、とにかく記録できるだけして、確認はあとで自宅でゆっくりやろうという形だ。間違いなく監修作業は数か月単位でかかるはずだ。十日間のクールタイムを挟んでから、次の記録作業に再チャレンジするどころではなくなった。


 このように音楽については、嬉しい悲鳴が出るほどに順調だった。


 まったく、この装置が日本時代にもあったらどんなに楽だったことだろう。

 以前、出勤の途中で一瞬だけ脳裏に閃いた何かを形にして捕え損ねて、“あれ、今何を考えかけていたんだろう”と、しばらく真剣に考え抜いた挙句、ようやく奇跡的に思い出した回答が「メロンパン」だった時には、僕の三十分を返せと本気で憤慨したものだ。考えたいことは他に山ほどあるのに、これほどの時間の浪費があるだろうか。結局その日の昼食はメロンパンにしたのだが、僕の無駄死にした三十分間への供養になっただろうか。

 とにかくこの装置があれば、無駄な時間は一秒ですんだろうにと悔やまれた。


 しかしこの素晴らしい装置も、万能ではなかった。


 問題は、小説の方だ。もちろん僕の趣味の推理小説を厳選していたわけだが、出来上がった一作目の作品を確認して、正直愕然とした。


「ニホン語は、まだ言語登録されてないんです」

「ああ~~~」


 僕の言いたいことを理解して、アルフォンス君も苦笑いした。


 確認したモニターに映ったのは、当然僕が読んだ日本語版の小説。視覚情報からそのまま映像化されるのだ。

 つまり現時点ではただの記号の羅列の画像として映るのみで、翻訳ができない。少なくとも僕個人が楽しむ目的は果たせるが、機材も人員も投入されている状況で、僕のためだけに成果を差し出せなんて図々しい要求はさすがに契約に反する。それ以上に、せっかくなのだからこの世界の人にも楽しんでほしいし、手伝ってくれた事業支援課職員の皆さんにも申し訳ない。

 よくあることですからと、逆に慰めていただいてしまった。チェンジリングあるあるだったらしい。


「記念すべき一作目にはやはり推理小説の歴史の第一歩を刻んだ『モルグ街の殺人事件』を予定していたんですが、当分はお預けです」

「まずは、そのニホン語を辞書にまとめるのが先ですねえ。そうしたら、自動翻訳できるようになりますから。俺も楽しみに待ってますよ」

「はい……」


 確かに推理小説を世に出すのは少しだけ先になるが、成果がゼロだったわけではない。


「でも、実は一作だけ、作成に成功したんですよ」


 昔アメリカへ旅行中、現地で買った暇つぶしの一冊。原書で最後まで読んでいたものが一冊だけあったのだ。


「『オリエント急行の殺人』だけ、英語版で読んでいたので、翻訳できたんです」

「なんだか「殺人」ばかりですね」


 アルフォンス君が微妙な表情をする。捜査官の彼にとって、殺人は物語ではなく現実のことなのだ。立派な娯楽作なのだが、事件の資料集のようなものでも想像しているのではないだろうか。


 ちなみに『オリエント急行~』は日本語版でも読んでいるので、本一冊分だけでも対応した日本語の登録ができたのは大きな進展だ。「殺害」「誘拐」「変装」「自殺」など、内容に著しい偏りがあるのはご愛敬だ。

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