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約束

 僕は全ての結果を受け入れるつもりで、その目を見つめ返す。 


 当初の予定は狂ってしまった。復讐の全てを僕の手で終え、事件の解決で心機一転新しい人生を踏み出す弟を、遠くから見守るという大団円はもうない。


 アルが僕から離れる選択肢はまずないだろう。

 とすると、『洗脳』を手に入れた彼はどうするつもりだろうか?


 彼の言う通り、人間は自分の姿を相手に投影するものだ。もし僕が彼だったら何をするだろうかと、この一か月そればかり考えていた。


 僕なら多分、僕を昔のマリオンに戻してしまうと思った。

 目の前で家族を殺された光景も、助けられなかった無力さへの絶望も、異世界で男性として孤独に生きた五十八年間も、僕の中から消し去ってしまうのだ。苦しみなど何も知らなかった、幸せなただの十七歳の女の子に。そして、立派に成長した弟を、()()()()()()恋人として愛していた気持ちを受け入れる。何の疑いもなく――そんな風にするだろう。


 きっとそれ以上に僕を幸せにする方法はない。僕が彼を思うように、彼も僕の幸せを願っているのだから。


 もちろん家族の死やチェンジリングとして認知されている現状など、すでに起こった出来事は動かせない。記憶や心理面で生じる現実との矛盾には、整合性を取る必要があるだろう。ただその辺の難題を容易くクリアしてしまうのが『洗脳』という魔法なのだ。

 どこまでも自分の都合のいいように。


 しかし恐れもある一方でそれは、とても心の惹かれる未来図に思えてしまう。実際、あの頃に戻りたいと、どれほど願ってきたか分からない。

 あの日を思い出しては、自分でもどうにもできない感情の嵐にのたうち回り眠れなくなる夜もなくなる。たった一人の大切な家族と、何の変哲もない日常を穏やかに生きていく。


 とても、とても幸せな未来だ。


 そのはずなのに、今の僕はそれを考えるとどうしてか胸が苦しい。

 あの苦しんだ時間を経て築き上げた今の僕は、どこへ行ってしまうのだろう。全ては無駄な時間になってしまうのか。何の意味もなかったのかと。


 そんな僕を、アルは少し怖い目で見降ろして口を開いた。


「前言撤回します。俺は一つだけ、あなたに怒っていることがあります」


 一気に踏み込んですっと伸ばされた手が、僕の頬に触れた。僕はびくりとしながら、黙って受け入れる。


「俺を見くびりすぎです。俺はあなたとは違います」


 どんな怒りの言葉が続いても受け止めようと見返した僕の目を、アルは心の奥深くまで覗き込むように見つめて告げた。


「どうしても『洗脳』が欲しかったのは、あなたに俺を変えさせないためであって、あなたを変えるためじゃない。あなたにだけは、俺は絶対に魔法を使わない」


 そう宣言したアルに、僕は数秒間意味を把握できずに呆けてしまった。魔法を使わない選択肢なんて、僕の中にはなかった。


 戸惑う僕にお構いなく、彼は続けて言う。


「前に言ったでしょう。俺が見ているのは、今、目の前にいるあなただと。俺もあなたと同じくらい酷い人間なんですよ。あなたを幸せにする手段を持っているのに、そうするつもりがないんです」


 僕は言葉もなく呆然ととアルを見上げ、紡がれる言葉をただ待つ。


「確かに昔のあなたとは違う。でも、昔と変わってしまった部分も、変わらない部分も、嘘つきなところすら、あなたが苦しみながら長い時間をかけて、様々な経験を経て、自ら作り上げてきた本当のあなた自身です。それを俺が外から変えてしまったら、あなたじゃなくなってしまうじゃないですか。だから俺は、あなたにだけは絶対に魔法を使わない」


 静かさの中にも秘めた激しさをのぞかせて、アルは僕に最終宣告を突き付ける。


「俺の要求は一つだけです。――約束を守ってください」


 真っ直ぐなその要求に、はっとする。 


 約束――遥か昔、小さい弟とした約束が脳裏に蘇り、僕は大きくなった弟の目をまじまじと見上げる。

 忘れたことなどない。満開の桜の下での、遠い日の約束を。あの暖かな思い出を。


「大人になっても、あなたへの気持ちは変わりませんでしたよ。この先二度とあなたを本当の名前で呼べなくとも、あなたがあなたでさえあれば、それでいい」


 真っ直ぐに僕を見つめて「愛しています」と言ったアルに、もうこらえきれず僕の目から涙が溢れた。

 自分を保つために堅く閉じ続けてきた感情の蓋が、呆気ないほど脆く決壊する。


 今まで生きてきて、こんなに嬉しかったことも幸せを感じたこともなかった。


「君の三倍以上生きて、こんなにひねくれてしまっていてもですか?」

「俺の三倍以上生きて、そんなにひねくれてしまっていてもです」


 僕の減らず口に、間髪容れず答えが返る。さも当然とばかりに。

 意外と細かく年齢差を気にしていたアルだが、マリオンとしての十七年、幸喜としての五十八年を足すと、本当にアルの年齢のジャスト三倍になってしまう。それでも認めなければいけない部分はしっかりと受け入れ、彼は一瞬も迷いがない。


 最初からずっとアルから離れていく覚悟だけを決めていたのに、こんなに泣きたくなるほど幸せな日が僕に来るとは、思ってもみなかった。


「ずっと、一人で生きていく覚悟を決めていたのに……実際、幸喜としての人生はそうしてきたんです。なのに、一度気を抜いたら、もう、一人で立てなくなってしまうじゃないですか」

「責任は取りますよ。あなたと一緒にいると、ずっと言っているでしょう」


 どこまでも僕に寄り添ってきてくれた彼の言葉に、自分を奮い立たせてきた動機を吐露する。


「僕は、君が努力の末に勝ち取った日の当たる道を、誰はばかることなく真っすぐに歩いてもらいたかったんです。誰よりも幸せを願っているからこそ、僕のように闇を背負った生き方なんてしてほしくはなかった」


 アルから離れなければと、自分に強く言い聞かせてきた理由を。

 僕の願いを、アルは表情を歪めて否定する。


「それは俺の望む幸せじゃないんですよ。明るく正しい道を一人でまっすぐ歩いていくよりも、俺は進む道も見えない真っ暗な闇夜を、あなたと並んで歩いていきたい」


 少しも迷わない答えだ。実際に自ら手を汚すことでその選択もして、後悔など欠片も見せない。

 アルは最初からずっと、言葉でも行動でもそう示していた。一度決めたことには愚直なほど突き進んで、決してブレなかった。

 そんな想いに応える決断に、僕が踏み切れないでいただけだ。


 アルはきっぱりと、誓うように僕に宣言する。


「『洗脳』なんて使わなくても、必ず自力で愛していると言わせて見せます」

「――もう、とっくに愛していますよ」


 意地を張る必要もない。僕の口から自然と答えが零れ出る。

 どんな僕でも愛しているという事実を、意図せずともここまで行動で証明してきてくれていた存在を、愛していないはずがない。


 けれどアルは少し拗ねたように問い返す。


「弟として、ですか?」

「愛の形を種類別に分けることは、僕にとってあまり意味がありません」


 論点をずらすわけではなく、それが正直な心情だった。


「十五年前――僕にとっては五十八年前になりますが、あの日からずっと、僕は徹底した人間不信ですから……。僕が無条件に信頼して愛する人間は、全ての世界において、君一人なんですよ。君は僕の、唯一です」


 僕の答えに、アルは子供の頃と重なる笑顔を、再会してから初めて見せた。


「ああ、いいですね。ありきたりの愛の言葉なんかより、重くて、すごくいい。俺も、重さでは負けてませんから。あなたのためなら、何でもします」

「もう知ってますよ」


 困った子だと、溜め息混じりの苦笑をしてしまう。僕達はお互いを守るためなら、本当に何でもする。その武器を手に入れてしまったら、もう歯止めも効かない。


 僕達はきっとどこか病んでいるのだろう。


 でも、それがどうした。

 ともにある限り、何の問題もない。死ぬまで幸せが約束された病だ。


 アルもいたずらめいた笑みを浮かべる。


「『電脳支配』と『洗脳』。二人でいる限り、最強ですね。平凡で穏やかな人生を一生分くらい余裕で持たせられるくらいには」


 どんな障害も確実に排除する。その決意がはっきりと読み取れた。

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