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姉弟

「すいません。仕事をしばらく中断させてしまいますね」


 サロンから部屋への帰途でアルフォンス君に謝る。この機動城内で彼が僕から離れるわけがないから、僕が休憩している間は、彼も部屋に詰めることになる。

 ちなみに僕達担当テディベアの執事メイドコンビはいつも通り僕達の後を付いてきている。勝ち残ったおかげで、僕のクマ君は去らずに引き続き傍でお世話をしてくれるらしい。


「問題ありません。どうせベルトランさんの件の報告書をまとめなければなりませんし。ゆっくり休んでください」


 アルフォンス君は安心させるように答えた。言われるまでもなく、今の僕は肩の荷を一つ下ろし、休息モードですっかり腑抜けてしまっている。

 みんなの前で数十年ぶりに家族の話をした後で、あり得なかったはずの弟の抱っこに揺られていると、なんだかやたらと昔のことが思い出されてくる。とても懐かしくて、心地いい気分だ。

 ついさっきまで命のやり取りをしていたのにと、その落差におかしくなる。


「どうしたんですか?」


 僕の緩んだ表情にアルフォンス君が問いかける。


「こうして揺られているせいでしょうか、子供だった頃を思い出していました。抱っこしてほしくとも兄弟がいると、親の腕は仁義なき奪い合いとなるんです。どうやって弟を出し抜いて抱っこしてもらおうかと、知恵を絞ったものです」

「それはそれで楽しそうですね。俺は一人っ子からの末っ子ですから、どっちにしてもいつでも抱っこされる側でした」


 お互い同じ痛みを抱えていてもそこには触れず、今は幸せだった記憶だけを語り合う。


「こんなのでよかったらいつでもしてあげますよ」

「遠慮しておきますよ。クセになったら困ります」

「困る人なんているんですか? ちなみに俺は大歓迎ですけど」

「――なんだか手つきが怪しい気がしてきました」

「役得ですね」


 アルフォンス君は本気とも冗談ともつかない顔でしれっと答える。しかし彼は僕の機微に敏感だから、本気で僕が嫌がっていればすぐ引くはずだ。引かないのはまあ、そういうことなのだ。本当に困ったものだ。この居心地のいいぬるま湯に慣れすぎて、抜け出せなくなってしまう前にすべてを終わらせられればいいのだが。


 長い通路を進みながら、ひと段落付いて隙間のように訪れた平穏に、蘇る思い出はまだまだ尽きない。


「僕も成長してからは、ちゃんと抱っこしてあげる側になりましたよ。周りにハラハラされながら、一生懸命弟を持ち上げたものです」

「そういえば俺もベアトリス家に引き取られたばかりの頃は、やたらお姉さんぶったマリオンに抱っこされてました。ルシアンは不安定だった俺の様子を見ながら接してくれるんですけど、マリオンはいつも問答無用で……俺が少しでも落ち込んでたらすぐ抱っこで、一人になりたい時でもとにかく構い倒されてましたね」


 僕の話に重なる部分を見付けたアルフォンス君も、懐かしそうに当時を振り返った。


「七歳ともなれば、もう結構な重さなのに、マリオンは腕を震わせながら一生懸命俺を持ち上げるんです。ルシアンが交替すると言っても、意地でも譲らなくて」


 そう言って僕を見つめるアルフォンス君の目は、誰を見ているのだろうか。もう以前のような複雑そうな感情は見えない。今の彼にはどうでもいいことなのだろう。

 ただ目の前の僕を見て、言葉を続ける。


「マリオンはいつだって明るく笑ってて、思い切り甘えさせてくれました。だから俺は、段々と両親を失った悲しみを乗り越えて、ベアトリクス家の本当の家族になっていけたんです」


 そこでアルフォンス君の表情が、何かを考え込むように少し陰る。


「――でも後から考えたら、マリオンだって、母親を亡くしたばかりの十四歳の少女だったんですよね。ギイやルネとほとんど変わらないくらいの子供だったのに、絶対に俺に弱いところなんて見せなかった」


 それは大人になってから、思い出の中のマリオンを何度も繰り返し振り返っては、少しずつ膨れ上がってしまった想いなのだろう。けれどマリオンはもういない。二度と答えの分かるはずのない疑問を、独り言のように口にする。


「俺は、マリオンの負担になってはいなかったのだろうかと、時々考えることがあります。いつもマリオンに甘えるばかりで、結局何もしてあげられなかった」


 アルフォンス君の悔恨に、僕は首を横に振る。その疑問の答えが、僕には分る。


「それは違いますよ、アルフォンス君。弟に弱い部分を見せたくないというのは、確かに上の子の意地ではありますけどね」


 いつもの適当発言ではなく、そこははっきりと断言できる部分だ。


「人は、守るべき大切な人がいるから強くなれるんです。僕がさっきのゲームを乗り越えられたのは、君が見守ってくれていたからです。君を一人残していくわけにはいかないと、それが僕に勇気をくれました。もちろん当時のマリオンさんも、お母さんを亡くしてとても辛かったでしょう。でも、自分よりももっと辛い思いをしている、小さな守るべき存在がいたから頑張れた。君の存在が、彼女を支えてくれていたんですよ」


 本当は言うつもりはなかったのだが、彼の心の重しを少しでも軽くしてやれるなら仕方ない。“マリオン”ではない僕が言っても無意味なのに、今だけはマリオンの顔を利用して、弟に本心を伝えた。


「――俺はもう小さな守るべき存在ではありませんよ」


 答えた彼の顔に幼い弟の泣き顔が浮かんだのは、どこか泣きそうに見えたからかもしれない。


 それから、ゲームの話を出してしまったせいか、思い詰めたように真剣な顔つきに変わる。


「コーキさん、さっきは本当に、寿命が縮まりました」


 心の中に引っかかっていたものを、少し落ち着いてようやく言えるようになった、といったところだろうか。一転して、固い口調で言葉を紡ぐ。


「必要な無茶だったのは分かってます。いつ来るか分からないデスゲームに緊張状態を強いられ続けて気力を削られていくよりは、ベストなコンディションの状態のうちに自分のタイミングで逃げられないノルマを果たしておくべきだと。でも、コーキさんが何が起こるか分からない危険を冒して、あんな挑発をしてまで無理を通したのは、俺のせいなんじゃないですか? コーキさん一人の事情なら、あえて立て続けにゲームを催促したとは思えません。俺が、コーキさんのゲームの順番が来ることの恐怖に耐えられなくなる前に、その余地をなくそうと……」


 すでに答えを分かっていて問いかける。


 否定はできなかった。彼の言う通り、自分のためだけだったら、脳内のシミュレーションをもっとこなして、より万全に仕上げ、確実に自信を付けた状態にしてから挑んていたはずだ。


「――でも、どんな理由があっても、あなたが殺されようとしているのに何もできず指を咥えて見ているしかないなんて……あんな思いは、二度としたくありません」


 アルフォンス君は今度こそ泣きそうな表情で、僕を見据えて吐露した。

 マリオンの処刑を一度見届けている彼に、仕方なかったとはいえ僕があまりにひどい仕打ちをしたのは事実だ。

 けれど、反省はできない。僕はそれ以外の選択は、きっとしないから。


「確かに、君のいう側面は大いにあります。君が、僕に迫りくる死に恐怖するしかない時間を、少しでも短くしたい――その意志が、僕に決断をさせました。それこそそんな思いを、もう二度と君にさせないために。だからこそ、やはり結局は僕自身のためへと帰結するのです。苦しむ君をただ見ているだけなんて、僕には耐えられません。解消する手段が目の前にあるのに、僕がやらないはずがないのです」


 僕も強く主張する。

 しばらく無言で見つめ合った後、アルフォンス君は思うところもあるだろうがただ吞み込み、溜め息を吐いた。


「そう言われたら、受け止めるしかありませんね。それは、俺も同じですから。さっきも言いましたが、もう守られるだけの子供じゃありません。俺も、あなたを守るためなら何でもやりますよ」


 そのあまりに当然のような断言に、言い知れない不安を覚えて思わず嗜める。


「何でもやるなんて、軽々しく言うものじゃありませんよ」

「ただの事実です。俺は、あなたを守るためなら何でもやります」


 もう一度、静かな口調で繰り返す。その揺るぎないまなざしに少なからぬ危うさを感じる。けれど同時に、永遠に失ったはずの家族の絆を取り戻している実感に、暖かさと痛みを感じてもいた。

 ああ、よくないな。本当によくない。どんどんドツボにはまってしまいつつある。


 そして家族のことを考えた時、ふと残り一人の犯人が脳裏によぎる。


 次の第四ゲームは、今から気が重い。犯人はどうでもいい。さっさと苦しんで地獄に落ちればいいとすら思う。

 けれど、さっきのベルトランの時もそうだったが、その家族は……。


 家族に、家族の死を見せつける――悪趣味すぎる趣向のゲームは、きっと僕でも正視するのは辛い時間になるだろう。

 いや、それこそが軍曹がこんなゲームを仕組んだ目的でもあるのだから、彼にとってはまさに計画通りといったところだ。実に忌々しい。


 ……やはり、今は何も考えたくないな。少し休もう。


 暖かい腕に支えられている安心感と心地いい揺れも手伝って、僕の意識は部屋にたどり着く前に闇に落ちていた。


 そして次に目を覚ました時、やはり起こった想定内ではあるが予定外の事態に、言葉をなくすことになる。

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