第20話 契約の上書き方法
アルバート様の提案に、私は深く頷いた。
あのミデル公爵が、そう簡単に引き下がるとは思えない。それなら既成事実を作ってしまったほうが早いのだ。
食事のお茶を飲み終えてホッとしたところで、シルエさんはカップを片付けてテーブルも下げた。魔法を使って一瞬で消えた時は驚いたが、ここは妖精の国だったと思い出す。
(もう何でもありなんだろうな)
「契約をするので、触れるぞ」
「ん? え。触れる?」
アルバート様は椅子から立ち上がって、私の傍に歩み寄る。
(私も立ち上がったほうがいいのかな?)
問いかける前にアルバート様が私の手に触れた。
(婚姻契約として、手の甲へのキスをするのかも)
巷の恋愛小説だとそんな展開だった気がする。
そんなことを考えていたら、すぐそばにアルバート様の顔が――。
「サティ」
「は、い──!?」
チュッ、と唇が触れ合う。
気づけば唇を奪われており、ちゃっかり腰に手を当てて逃げられないようにホールドされている。
「……んんっ!(唐突にキス!? ……あ、もしかして、これが契約の証!?)」
考えれば古今東西、結婚式で誓いの口づけをする。なぜ忘れていたのだろう。
つばむようなキスから深い口づけに、私の思考は完全に停止した。
触れ合う唇は熱く、長い口づけはより深くなり──息が続かない。そう思った瞬間、幸いにも唇が離れた。
「ぷはっ」
「これで婚姻の契約は完了した」
「!」
心臓の鼓動は激しく、体全身が燃えるように熱い。羞恥心で死にそうになる。
(まさかのキス……!)
「……やっぱり嫌だったか?」
「そ、その……する前に一言言って欲しかったです……」
ゴニョゴニョと告げると、アルバート様も「あ」と顔を赤らめる。
「サティ様のおっしゃる通りです。お止めすべきでした……」
「サティから良い香りがしたのでつい……。んん、……あー、仕切り直しても?」
期待に目を輝かせるアルバート様の背後にノワールの姿が被って見える。そういえば何かを誤魔化したり、甘えるときはよくノワールは上目遣いをしてきた。
「それはええっと、結婚式を? そ、それともキスを?」
「両方だ」
「!?」
結婚したらアルバート様がぐいぐい来る。番を得たことで魔力が安定化するということだったが、その影響でテンションが高いのかもしれない。
(まあ、悪影響じゃないからいいのかも?)
そんなことを考えていたらアルバート様は頬にキスをし出した。シルエさんは止めるどころか視線を逸らしている。
(これが妖精にとってのスキンシップなの!? ヘルプ!)
「ええっと……サティ様。アルバート様は表情で分からないと思いますが、雰囲気酔いを起こして──ぶっちゃけ、浮かれまくっています!」
(ぶっちゃけちゃった!)
「フッ、何を言うかと思えば、私は冷静だ」
そう言いながらもアルバート様は私をギュッと抱きしめて離さない。突然の抱擁に心臓がバクバクと煩い。
ふわりとノワールと同じ本とハーブの香りがする。ちょっとだけノワールにギュッとした時を思い出してギュッと抱きしめ返してしまった。
「──ッ!?」
「おや、これは、これは」
「これはその……なんと言いますか……」
モフモフはしないけれど、なんだか安心する。
そう思った瞬間、顔を上げるとアルバート様の吐息が鼻に掛かるほど近いことに気付く。
「ひゃっ、あ、す、すみません!」
「い、いや……。俺──私も、少し強引すぎた」
「ビックリしただけで……その、嫌では……なかったですよ?」
「サティ!」
「アルバート様」
「はいはい! 二人の世界に入る前に、アルバート様はミデル王にことの報告を。サティ様は長旅でお疲れでしょうから、今日はお風呂に浸かってゆっくりお休みください。当家の水は傷を癒すのにもオススメなのですよ」
「まあ!」
アルバート様は離れがたいのか、ドレスの裾を摘まんで離さない。何だか小さな子供のようで、最初に出会った死神らしさは皆無だ。
(この人、なんだかすっごく可愛いわ)
「私が居ない間に消えたりしないだろうか」
「結婚して夫婦になったのですから、大丈夫ですよ! 帰りを待っていますわ」
「帰りを!」
パアアと、満面の笑みを浮かべてアルバート様は頷いてくれた。
帰る家がある。そして出迎えてくれる人がいるということがどれだけ有難いか、私だけじゃなくてアルバート様も分かっているのだろう。
出なければあのような笑顔にはならない。
その後、《新婚さんごっこ》のお見送り──「いってらっしゃいませ、アナタ」を希望されて、羞恥心に耐えてなんとか乗り切ったのはまた別の話。
***
アルバート様は無事にミデル公爵と話を付けてきたらしく、それからして程なく帰ってきた。
私はお風呂上がりで髪を乾かした後、《新婚さんごっこ》のお出迎え「お帰りなさいませ、アナタ。お食事にする、お風呂、それとも私?」というのをさせられた。
これらは妖精界隈(?)の中で、流行っているらしい。ちなみに「私」を選ぶと投げキッスかキスを贈る。元々は人間界の恋愛小説から取り入れられた──と、シルエさんは熱く語っていた。
(投げキッスするほうは、結構恥ずかしいのだけれど)
「まさか、《新婚さんごっこ》がここまでの威力を持つとは……最高だ」
「それはよろしゅうございました。私も生で見たほうが今後の執筆の参考になりそうです!」
「そうか」
(さらっと執筆活動とか言っているけれど、シルエさんは作家さんなのかしら)
屋敷の傍にある元庭園を好きにしていいと許可を得たので、明日から本格的に畑仕事に取りかかれるという。
「明日にはコボルドも手を貸してくれるそうなので、畑そのものはそこまで難しくなくできます。問題はその植える種なのですが……サティ様の要望で妖精界にあるサツマーィモゥとジャッガイモゥーの実と思われる野菜を幾つか取り寄せましたので、検分をまずはお願いします」
「検分!!」
調理場に案内され、食材を見せて貰うことになった。
ウキウキで実物を見ると確かに形や見た目は、サツマイモとジャガイモっぽい。こんなにあっさり見つかるとは思ってなかったが、問題はここからだった。
「こちらはサツマーィモゥに似たもので《イポメィティア》と言います。果肉の殆どが猛毒でして食べたら死にます」
「似ても、焼いても?」
「はい」
(どうみてもサツマイモにしか見えない。そういえば、南米のアンデス高地ではヤーコンって名前の食べ物があったけれど……名前からして似ている。でも問題は毒なのよね)
このままでは、どうあっても食べられない。
そもそもその問題点に関しては《白の妖創塔》に居たときから考えていた。毒があって食べられない。ジャガイモの芽のように部分的なのか、あるいは全体的なのか、皮だけなのか。そして全体全てが毒だったとしたら──。
「(ずっと調べて、考えて、研究してきた。諦めなかった成果を試してみたい!)アルバート様、私が構築した錬金術を使ってみても良いですか?」
「構わないが……、君は春の妖精としての資質を持っているし、魔力量も高い。どうして錬金術に拘るんだ?」
その問いかけは今まで私のやってきたことを、つぶさに見てきたような言い回しだった。もしかしたらノワールを通して見ていたのかもしれない。
ふと、自分の出生を話していなかったと思い至る。
(あれ? 私、アルバート様に、あのことを話して……ないわ)
超重要なことだが、ミデル公爵との対応ですっかり失念していた。しかも婚姻関係を結んだ後で、この情報はかなり酷い。
詐欺あるいは、虚偽による離婚申し立てレベルじゃないだろうか。全身から冷や汗がでてきた。
(あれぇ? これってすっごくまずいような……)
「サティ?」
「ええっと……ですね。私の体、エーティンの肉体の一部から作られた複製体なんです」
「え」
「それもあって魔力量が多いのですが、魔法を使うと肉体の負荷が大きくて……。それに妖精貴族と結婚して無事に転属できないと寿命が四年しかないそうなんです……」




