第四話
結局セシリアはアンジェラの正体をジェラルドに伝えなかったため、ジェラルドはアンジェラと別れることなく、学院卒業から数か月後に盛大な結婚式を挙げた。
ところが式の最中に、セシリアの弟のアーサーが「僕を愛していると言ったのは嘘だったのか? この裏切り者!」と激高してアンジェラに斬りかかるという事件が起きた。母親の露骨な依怙贔屓を受けた育ったアーサーには「自分は人から特別に愛される存在である」という刷り込みがあったため、余計にアンジェラから選ばれなかった事実が耐え難かったのかもしれない。
アンジェラはかすり傷で済んだものの、アーサーはその場で近衛騎士に切り捨てられて死亡。嫡男の起こした不祥事に、公爵家は領地没収のうえ爵位はく奪。公爵夫妻は平民落ちしたとのことだった。
それから数年のちのこと。
ジェラルドは隣国を訪れた際、とある劇場の貴賓室で見覚えのある姿を見かけた。
最新流行のドレスに身を包み、飲み物を手にくつろいでいる美しい女性。
「君……まさかセシリアかい?」
「……ジェラルドさま?」
振り向いた顔には、学生時代の面影があった。
「そうだよ。ジェラルドだ。ああ本当に懐かしいな。あんな形で別れたから、君のことをずっと案じていたんだよ」
「まあ、そうなんですの」
優雅にほほ笑むセシリアには、かつての張りつめた雰囲気はなく、むしろ成熟した貴婦人の余裕さえもうかがえた。
「君ひとり?」
「いいえ、夫と来ております。今知り合いと話しているので席を外しておりますの」
「そうか、結婚したんだね」
「ええ、三年ほど前に」
「君の夫はどういう人なんだい? ここは貴族専用の部屋なはずだけど」
「この国の伯爵ですわ」
「ふうん、伯爵の後妻になったのか」
「いえ、後妻ではありません」
「いやだなぁ、見栄を張らなくてもいいよ」
ジェラルドはにやりと笑ってみせた。
実家から勘当された女性が、真っ当な形で伯爵家に迎え入れられるわけがない。すでに息子も孫もいるような老伯爵の後妻におさまったに決まっている。
「まあ落ちぶれたのはお互い様だからね。俺が廃嫡されたのは知ってるだろう? 王族の身分も失って、今じゃ一介の子爵だよ」
「噂でお聞きしました。今はこちらで生活しておりますので、あまり詳しいことは存じませんけど、確か女性問題が原因だとか」
「ああそうだよ、アンジェラのせいだ」
ジェラルドは苦々しげに吐き捨てた。
近衛騎士団が刃傷事件の背後を探るためにアンジェラの身辺を調べたところ、彼女はアーサーのみならず、ジェラルドの側近たちとも関係があったことが判明。すっかり嫌気がさしたジェラルドは、マデリーンという可憐な女性に心を移し、側妃として迎え入れることにした。
ところがそれを聞いたアンジェラが、マデリーンを階段から突き落とそうとしたのである。
幸いすぐに取り押さえられてことなきを得たが、セシリアの件を含めて三度にわたる痴情沙汰に、これは相手の女性ではなく王太子の側に原因があるのではないか? と噂されるようになった。
折あしくジェラルドが責任者として進めていた案件が大失敗に終わり、ジェラルドはトラブルメイカーのうえに無能者の烙印を押された。
かつての側近たちとはアンジェラの件で疎遠になっていたこともあり、ジェラルドは孤立無援のまま第二王子派に追い落とされて、ついには廃嫡の憂き目にあったのである。
信頼を失ったジェラルドは新たに家を興すことも許されず、結局数年前に断絶した子爵家の爵位と領地を引き継ぐことになったとのこと。
「本当になんであんな女と結婚してしまったのかと悔やまれてならないよ。妊娠したというから責任を取ったのに、それも狂言だったしさ。学生時代はアンジェラのいうことを鵜呑みにして君を悪だと決めつけたけど、もしかしたら君にも言い分があったんじゃないかって、最近つくづく考えるんだ」
「昔のことですわ、気になさらないでください」
「君はずいぶん変わったね」
「そうでしょうか」
「ああ、大人っぽくなったし、なんていうか、あのころよりずっと美しくなった」
「ありがとうございます」
「今の君とだったら、婚約破棄なんてしなかったのにな」
「は?」
ジェラルドは身を乗り出すと、そっとセシリアの手を握った。
「なあセシリア、俺たちやり直せないかな」
「離してください」
「そういうなよ。君だって好色な年寄り伯爵のお相手なんて、もううんざりじゃないのか?」
「おかしなことを言わないで、とにかくその手を離してください」
「なあ、君はずっと俺が好きだったろう? アンジェラのことは俺が何とかするから、今度こそ二人で――」
「おやこれは懐かしい、ジェラルド殿下ではありませんか!」
愛想の良い声と共に、黒髪の男が二人の間に割り込んできた。その瞬間、セシリアはジェラルドの手を振り払って、男の背後にさっと隠れた。
「ああ今はもう殿下ではないんでしたっけ? お久しぶりですジェラルドさま」
「君は確か……セシリアの……」
「ええ、従僕のオリビエですよ。今はセシリアの夫ですが」
「夫? セシリアの夫は伯爵じゃなかったのか?」
「事業での功績が認められましてね。こちらで爵位をいただいたのですよ」
「そうだったのか……」
つまり後妻ではないというセシリアの言葉は、紛れもない事実だったわけである。
「半分は妻の功績です。教養も立ち居振る舞いも、どんな貴婦人にもひけをとらない最高のレディだって、こちらの社交界では評判なんですよ。おかげで貴族相手の商談がとてもやりやすくてね。彼女がいなければ、とてもここまでこられなかったでしょう」
オリビエはにこやかな笑みを崩さないまま、ジェラルドの肩に手をかけると、その耳元に囁きかけた。
「あのとき婚約破棄して下さったこと、心から感謝しております。ですから、今回だけは見逃して差し上げましょう。――二度と私の妻に近づくな」
底冷えのする声に、ジェラルドの背筋に戦慄が走る。
身動きできずに固まっているジェラルドを一瞥すると、オリビエはセシリアの手を取って歩き出した。
「遅すぎるわよ。おかげで変なのに絡まれちゃったじゃない」
「すみません。貴方に似合いそうな首飾りがあると聞いて、ついつい話し込んでしまったんですよ。記念日の贈り物にどうかと思いましてね」
「あら、結婚記念日はまだ先のはずよ?」
「私と貴方が出会った記念日ですよ」
「ああ、私が貴方を拾った日ね」
「その言い方はやめてください」
そんなやり取りを交わしつつ、寄り添うように去っていく二人を、ジェラルドはただ茫然と見送ることしかできなかった。




