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 しかし待てど暮らせど、イオルドはアルド村にやってこなかった。

 



 季節は夏から秋へとうつろい、そして冬も間近。


「冷えますねぇ。あったかいものでも飲みましょうか」


 その日は夕立があって、空からパラパラと落ちる雫が、リューンの家をしんしんと冷やした。

 薄雲によって暗くなった室内でぶるりと体をふるわせて、水をやかんにくんで火にかける。お湯が沸くまでの間、ぼーっと突っ立って待ちながら「夕飯は何にしましょうか」と、リューンは家にある野菜を思い浮かべながら「鍋」「肉汁」「シチュー」と、いくつかのメニューをつぶやく。


「イオルドは、チーズがたっぷりかかったシチューが好きでしたね」


 夏が終わるまでは、いつ来てくれるだろうかと毎日リューンは待っていた。

 イオルドが家の前でまちぼうけをしてはいけないと、そう長く家から離れることもしなかった。

 しかし季節は過ぎ去り、秋がきて、もう冬になろうとしている。

 


 もう、リューンは耐えきれなくなり、期待するのをやめた。



「もう作ることもないんですかねぇ」



 そもそも、イオルドはリューンと同じ気持ちではないのだ。

 去り際の「会いに行く」も、社交辞令だった可能性に思い至った。しかも契約期間を満了せずに戦線を離脱したリューンには、補助魔法師としての価値すらない可能性がある。それならば、彼がリューンに会いに来る、意味がないのだ。


「せめて自分の気持ちくらい伝えておけば、こうモヤモヤすることもなかったのでしょうか。……いや、断る側にも負担でしょうし……契約期間をしっかり満了して、今までと変わらない関係を継続することに注力するべきでしたかね。いやいや、それはそれで辛い……」


 もやもや、ぐるぐる、と、この数か月何度も何度も同じことを考えてしまうリューンの耳にトントントン、と子気味良いノックが響いた。


「はぁい?」


 こんな雨の中誰だろう、と思いつつ、小走りでドアへと向かう。

 ノックをしてきたということは、いつもの常連のおばあちゃんたちではない、とリューンは少し身構えた。


 そろり。

 少しだけドアを開けて外を覗き見れば、そこにガッと真っ黒に彩られた長い爪、華奢な指が入ってきて、ドアを強引にこじ開けた。


「……早く、開けて!」


 小雨でかなり寒いというのに、真っ白な太腿を丸出しで、黒いフリルたっぷりのワンピースを着たマリベルが、そこには立っていた。彼女はフンッと鼻を鳴らすと、肩から羽織っていたケープを自分で剥ぎ取り、リューンに押し付ける。


「す、すみません! マリベルさんとは思わず!」

「……ぬれたんだけど」

「タオル持ってきます!」


 小走りでタオルを取りに行くリューン。マリベルは荷物を床に放るとソファーにドカッと腰を下ろし、漆黒のワンピースからたっぷりの白いパニエをのぞかせながら脚を組んで「つかれたぁ」と、甘えた声を上げた。

 できるだけ綺麗でふわふわのタオルを選んで渡したリューンは、マリベルのミニバックをそっとソファーの上へと移動させた。チェーンは銀白色の輝きが強く、透明のやたらとキラキラ光を反射する石が付いている。やっぱりこの人はお金持ちなんだよな……、と、リューンは受け取ったケープからも丁寧に水気をふき取った。


「王都からいらしたんですか? 遠かったでしょうに、どうしたんですか」

「……どうした、って。リューンが、来ないから」


 マリベルは至極当然といった顔で「……嬉しいでしょ?」と同意を求めてくる。

 どうやら、リューンが基地にも王都にもいかなかったため、マリベルの方から会いに来てくれたということらしい。


 まさか別れ際の言葉が社交辞令ではなく、本気だったとは。

 驚きつつも、本当に嬉しいリューンは顔をほころばせた。


「うれしいです!」

「……一回、一人暮らしの友達の家に、お泊り、してみたかった。……周りの友達は、みんな実家か、結婚してるから」

「え、あの、と、泊まるんですか? いや、いいんですけど、なのにその小さな荷物で?」


 何が入るんですか、というようなミニバックしかもっていないマリベルに目を点にしたリューンが問う。しかし本人はサッとカバンを手に取ると「……ばっちり、のはず」と、やたらと薄いレースのひらひらした下着を取り出して見せつけてくる


「……『お泊りは、コレさえあれば大丈夫』って、売ってた」

「そ、それは……その、そういった意味合いの『大丈夫』ではないかと」

「……じゃあ、どういう意味?」


 それは彼氏とのお泊りで使うたぐいのものでは、と思ったリューンはこめかみを抑えた。まっすぐな瞳で「ねえ?」と問いかけられ、言葉に詰まる。


「カワイイって意味かと。あの! パジャマなどは、私のを貸しますね。そんなヒラヒラの下着で寝たら風邪ひきます。ごわごわで肌荒れしたとか言わないでくださいね!」

「……言わない。先週は土に穴掘って寝てた」

「そっか、マリベル様でも野営とかするんですね」

「どういう意味?」


 少しばかり冷えたマリベルの声に、やかんのピーッという沸騰音が被さる。リューンは紅茶でいいですかと問いかけて、二人分の温かい紅茶を淹れた。蜂蜜の瓶とミルクを添えてテーブルへと運ぶ。

 マリベルは蜂蜜をひとさじ溶かし、こくりと飲んだ。


「……これ、いい蜂蜜」

「ええ、まあ」

「……どうせ、イオルド様でしょ」


 ごふっ、とリューンはむせる。

 げほげほとせき込むリューンを指さして、マリベルはフッと皮肉な笑みを浮かべた。


「……こんなボロ家に住んでいる人は、この大瓶を買わない。これは高い。貰ったんでしょう? しかもこれ、味が濃厚でクリーミーだから夏の蜂蜜。つまり、ドラゴン討伐の前にやってきたイオルド様のお土産」

「正解です」


 正確すぎる推理に、思わず拍手をするリューン。

 フンッと鼻から息を吐いて満足げなマリベルは「……それで?」と、身を乗り出す。


「……イオルド様とは、どうなの」

「連絡もとってません。別に、私たちそんなんじゃないですし」

「……はぁ? ……こんなド田舎まで、お土産を持って来て、わざわざ口説いてきた男が? ……気がない? そんなワケない」

「口説きに来たって、そりゃ聖女として、ですから」

「……はぁ、面倒くさい女」


 マリベルが両手を前につきだして「イライラして炎が出そう」などと言うので、リューンは慌てて付け足した。


「でも、その、来てくれないかな~なんて、ずっと待ってましたよ……秋までは」

「……今は?」

「もうあきらめモードです」

「……待ってればいい。ちゃんと来るから、絶対」



 しょげた様子で肩を落とすリューンが「だって、つらいんです」と背を丸めたのを、マリベルはため息をついてパシン! と、その背中をひと叩きした。


「……まあ、気持ちは分かる。だから……私がこれ以上アレコレ言っても無駄なのも、分かる。……だからもうこの件に関しては、おしまい」


 気持ちが分かる、と言われて初めて、リューンはとある可能性に思い至った。


 どんな状況で『俺は誰も愛さない』なんて言葉が出てきたのかを考えずに今まで過ごしていたが……マリベルはあの時、告白してフられていたのではないだろうか、と。

 だとしたら今までモダモダとリューンが言うことを、マリベルはどんな気持ちで聞いていたのだろう。

 焦るリューンの表情に、マリベルは無言でリューンを引っ張って立たせると、キッチンへと連れて行った。


「……何を考えてるのかは知らないけど、私は、もういい。……それより、前に言ってた超絶美味しい〝芋煮〟ってやつ、作って」


 幸い、芋煮はリューンの家にあるもので出来る料理だ。

 わかりましたと請け負ったリューンに、マリベルは「……私ちょっと出てくるから」と、立ち上がる。

 お嬢様が一人でこんなところに来るわけがないし、護衛でもどこかに居るのだろうと、リューンは深く考えず、その背中に「傘が玄関にありますからねー」と声をかけるのだった。











「……ふぅん。そこそこ美味しい……おかわり」

「はいはい」


 きれいに食べられた空の器を受け取って、くるりと背を向けたリューンは『本当に可愛い人だな』と、笑顔をこぼれさせた。鍋にもう一度火を入れて、煮立つのを待つ。芋煮は熱々が一番おいしいのだ。

 せっかく気に入ってくれたマリベルには、できるかぎり美味しい状態で出してあげたいと、リューンは鍋に蓋をしてじっと待った。


「そうだ、ご飯はいりますか?」

「……本当は夜は食べないんだけど、今日は食べる」

「はいはい」


 今度は思わず顔を見たまま笑ってしまうと、マリベルが「……なによ、文句ある?」と半眼で睨んできた。リューンはさらに笑みを深めながら茶碗も回収する。


 野良猫が懐いたかのような、そんな気持ちに近い。


 マリベルは結局、おかわり分もぺろりと平らげてくれた。

 そして「お風呂入りたい」「喉かわいた」「さむい」などと、あれやこれやと世話を焼かせてくるので、久しぶりにイオルドのことを考えず、リューンは楽しい夜を過ごすことができたのだった。













 まだ太陽も上がりきらぬ早朝、マリベルは出て行った。


「……じゃ、私帰るから。王都に来るときは……連絡して」

「はい! こんな朝早いなんて、何かご予定ですか?」

「……お見合いしてくる」

「は⁈」


 爆弾発言にリューンが声を上げるも、振り返ることはない。田舎道には似つかわしくないたっぷりとしたパニエをゆらし、分厚い靴底で朝露にぬれた泥をはね上げながら、マリベルの華奢な背中は遠くに消えていった。途中で人影が合流したので、おそらく護衛か従者を連れてきていたのだろう。


 呆然としたリューンが家に戻ると、一枚の紙がキッチンの作業台の上に置かれていた。それは見慣れないキラキラした透かし紙で、やたら丸っこい字で走り書きがされていた。



『一宿一飯の恩は返す。しばし待て』



 おそらくマリベルからのメッセージだろう。直接言えばいいのにどうしてと、その紙をつまんでリューンは首をひねる。

 しかしそう長くも悩まず、リューンはまず家じゅうから洗濯物をかきあつめる作業にとりかかるのであった。



「せっかく早起きしましたし、予定を前倒しで消化していきましょう!」



 マリベルが使ったタオルやらシーツやら、客人が去ったあとは洗濯物も多い。

 張り切ってリューンは家事にとりかかった。


 その後も村の老人の手伝いやら、補助魔法の仕事やら、合間に家の中の掃除やら。日中忙しく過ごしていれば、日暮れ前にはすべてのことが終わってしまった。

 夕飯も今日は昨日の芋煮の残りがあり、あとはもうすることもない。

 ぴかぴかの室内で、ゆっくりと足をのばしてソファーに寝転んだリューンは、ただ時間が過ぎるのを待っていた。一日中動き回っていたため、脚に疲労がたまったのをたまにもみほぐしつつ、ごろりと寝転んでダラダラと過ごす。


 ぐぐっと伸びをして、体をほぐす。

 心地よい筋肉の伸びに「うーん」とリューンがうなったところで、軽いノックの音が響いた。



 立ち上がるのもおっくうだったが、居留守を使うわけにもいかない。





「はぁい」





 リューンはとりあえず、声だけで返事をするのだった。













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