もしもの備え
アロウが帰ると、シンはパンの詰め合わせをテーブルの上にのせて準備万端といった感じで座っていた。
顔が期待にキラキラ輝いている。
「なんだ、まだ食べてないのか」
買い出しの荷物を置きながらアロウは言う。
シンははじめのうち自分の食べ物は隅でがっついて食べていたのが、最近ではアロウがテーブルにつくのを待ってから落ち着いて食べるようになっていた。
「一緒に食べようと思って」
そうは言うもののシンはすぐ食べたそうにしている。
誰に教えられたわけでもないだろうに、意外と律儀。
貧しさが人をどれほど荒ませるかを目の当たりにしてアロウは居た堪れない思いだった。
アロウが卓につくとシンはパンを半分に分ける。
そんなにいらないアロウが自分の分を少し渡してやると、嬉しそうに受け取った。
シンは山盛りになったパンを2つだけ皿に乗せると、あとは包みに戻した。
「食べないのか?」
「取っておこうと思って」
そう言って包みを大事そうに抱える。
「だってさ、明日もちゃんとパンが買えるかわからないし」
今の生活がずっと続くとシンは信じていない。
実際、アロウも自分の明日がどうなるかはわからない。
そうなればシンは路地裏にまた取り残される。
「だからってパンをとっておいても悪くなる」
「5日は持つよ」
「味が悪くなるだろ……」
ため息をついて、アロウは考える。シンの心配を取り除く方法。
「じゃあ、代わりにこうしよう」
そう言ってアロウは壁際のチェストから小箱を取り出した。
先日の依頼中に手に入れたその箱は、魔法の鍵がついていて、合言葉を唱えると開くという仕組みだ。
「今日の稼ぎから今後の備えとして銅貨を1枚入れておく」
ちゃりん、と銅貨が音を立てる。
「これはこの部屋に置いておくから、どちらかがいなくなった時にはもう一人が自由に使っていい。」
そう言ってチェストの上に箱を置いた。
貯金という概念がなかったシンはぽかんと口を開けて眺めていた。
「報酬をもらうたびに1枚ずつ入れていく。……これで何かあっても安心だろ。」
「かしこい……!」
「もし何もなかったら、貯まった分でうまいもん食べに行こう」
そう言ってアロウはシンの頭をわしゃわしゃ撫でた。
「だからパンはちゃんと食べておけよ」
「……うん」
シンはおとなしく頷いて、包みのパンを半分皿の上に戻した。
「でもちょっとだけおやつに取っとくね」
「はいはい」
恥ずかしそうな食いしん坊に、アロウは思わず噴き出した。
「魔法の鍵の合言葉、どうするの?」
「さてどうしようか」
そんな相談をしながら賑やかな昼食が始まった。
- 後日 -
「ねえ箱いっぱいみたいだよ!」
シンが嬉しそうに箱を振る。
金属音が鳴るが、転がる音ではなく狭い場所で硬貨同士がぶつかる重たい音がするだけだ。
「じゃあ開けるか」
「やったー!ボク開けるね!」
シンはいそいそと座り込んで箱を抱えて小さい声でごにょごにょと合言葉を唱えた。
「……あ!」
そこでアロウが思い出したように声を漏らした。
「え?どうかした?」
シンが見上げると、アロウは明らかに「しまった」という顔をしている。その視線は箱の上だ。
……なにかまずいことでもあるのだろうか。
疑惑の目でシンはじっと見つめるが、アロウは顔をそらすだけで何も言わない。
ちらちらと箱の方を見ているが、もうどうしようもないとあきらめている感じがする。
シンは鍵の開いた箱を逆さにして膝の上に置いた皮袋に中身を移す。
じゃらじゃらと落ちる硬貨の隙間に、何か白いものが見えた。
折りたたまれた紙片だ。
「それ貸して……」
「ダメ。」
却下されて黙るアロウ。
シンは取られないようにアロウに背を向けて紙片を読み始める。
何枚かある紙片にはそれぞれ表書きがある。
宿の女将、月宵亭の店主、冒険者協会、それに知人と思われる個人に宛てたものだ。
それぞれに万一の場合の処分についての依頼が書いてある。
そのすべてにシンに便宜を図るよう書かれていた。
「……もうこれいらないよね?」
ぐすんと鼻をすする音がした。
「まあお前個人にコネも腕もあるし不要だな」
保証人がいなくてももうシンは一人でやっていける。
そして必ずしもアロウと組む必要はないのだ。
「そうじゃなくて」
「あー……」
気まずそうにアロウは頭をかいて言葉を濁す。
「勝手にいなくなったりしない。」
傍にしゃがむとそっとシンの頭を撫でた。
珍しくシンはおとなしくしている。
「……約束ね。」
「ああ」
「全部これまでどおり?」
「そうだな」
「じゃあこれからもご飯はアロウがくれるんだよね」
「……ん?ちょっと待て」
今まで依頼料の一部を渡して食費はアロウが負担していた。
それをシンが一人前になったということで折半にしたのだが。
「これまでどおり」ということは、食べ盛りのシンの食費はアロウがもつことになる。
「食費は自分で持てよ!お前どれだけ食べてると……」
「えーじゃあごはんくれる他の人のとこに」
「だめだ!」
アロウとシンの間に契約はない。
シンが出て行ったらそれまでだ。
「お前……」
「んふふー」
シンはキラキラした目でアロウを見上げている。
絶対わざとだ。
アロウの弱みを知って自分に有利な方にもっていこうとしている。
「……食費だけだぞ」
「やった!」
しぶしぶといったていでアロウが折れると、シンは無邪気にはしゃぐ。
はずみで皮袋が滑り落ち、中の硬貨があちこちに散らばる。
「あー!」
「お前な……散らかすなよ」
ぶつくさ言いながらアロウが拾い集める。
「何食べに行こうねえ」
「お前は飯の話ばかりだな」
「だってアロウと食べるごはん楽しいもん!」
「ぐ……」
嬉しそうなシンに見上げられてアロウは黙りこむ。
この無邪気さにはかなわない。
一度食いついたら離さないこの野良狼に、骨まで食い尽くされることになってしまったようだ。
あの日と同じきらきらした目に見つめられて、アロウは自分の運命をちょっと呪った。ちょっとだけ。




