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雨の面影

冒険者のアロウのもとに居候する前、シンは路地裏で一人で生活していた。

この町ではシンの銀色の髪は珍しく、昔話の悪い狼の色に似ていると迫害を受けていた。

そんなある日の出来事。

「やーいオオカミの子!」

「あっちいけー」

 心無い言葉に追われ、シンは雨の中を走っていた。

 せっかく軒下で休んでいたのに、追い出されてしまった。

 追ってくる子供達は、家に帰れば暖かい部屋と着替えがあるのだろう。肉付きがよく活力に満ちた体。

 本当に狼だったら、たべてやるのに。

 シンは自分の体を見下ろす。

 棒切れのような手足に、あばらの浮いた体。髪の色素は薄く、雨に濡れてぺったり頭皮に張り付いていた。こんな体ではできることは限られている。

 急いで角を曲がると、真っ暗闇だった。

 …ではなく、黒衣の男が立っていた。

 小柄なシンにとっては天を見上げるほどの大男。

 ぶつかる前に止まれてよかった。

 不用意にぶつかって機嫌を損ねたら、何をされるかわからない。

 慌てて横に回り込んで通り抜けようとするシンに、遅れてきた子供たちが物を投げつけてくる。

 そこら辺に転がっていた小枝や小石、木片。

「わあっ」

 シンは慌てて頭を抱えて地面にうずくまった。

 ボロボロの服が泥にまみれていく。

 惨めだった。ぽろぽろと水たまりに雫が落ちていく。

 けれど、予想していた痛みが降りかかることはなかった。

「…あれ?」

 振り向くと、先ほどの男が立ちふさがっていた。

 男がシンの方へ掲げた外套からぱらぱらと小枝が落ちていく。

 シンが振り向くと、子供たちはなぜか一様におびえて後ずさった。

「や、やっぱりばけもの!」

 捨て台詞を残して一斉に走り去っていく。

「なんだよもう…」

 シンは改めて男を見上げる。

 黒い髪に鋭い目つきの、背の高い男。腰には不思議な形の銀色の剣。

「ありがと」

 シンが恐る恐る声をかけると、男は肩越しに振り向いた。

 意外にもちょっと困ったような顔をしている。

 男は身振りで路地の奥を指さす。

 屋根の張り出した箇所がありそうだった。

 どうやら同じ雨宿り場所を探す仲間だったみたいだ。

「あーあ、どろどろ」

 屋根の下、そこらで拾ってきたがらくたを積み上げてシンは腰を下ろす。

 男はその隣で所在なさげに佇んでいる。

 さっきから一言もしゃべっていない。

 しゃべれないのだろうか?

 と思ったが、わざわざ聞くことでもないとシンはじっと男を観察した。

 視線に気づいた男は居心地悪そうに服を探る。

 あちこちごそごそした挙句にレースのハンカチを引っ張り出して、シンに押し付ける。

 これで拭けということのようだ。

 場違いすぎる代物をシンは突き返した。

「いいよ、そのうち乾くし。」

 返すだけのその動作で、綺麗なハンカチにシンの指のあとがつく。

「…ごめん」

 男は気にした様子もなく、首を横に振る。

「雨、止まないな」

 シンは男の視線をそらすように空を見上げた。視界は少しぼやけていた。

 隣に立つ男は厚い雲の下、町を抱く山の方を眺める。

「昔巨大な灰色狼が悪さをしたとかで、あの山に封じられたんだって。いい迷惑だよ」

 シンがこぼすと男は困ったように頭をかいた。

 そんなこと言われても困るだろう。

「ごめん、ただの愚痴。寒いからさ…ボクもう寝るね」

 シンは手足を縮めてガラクタの上で丸くなる。

 体が冷え切っていて感覚がない。

 明日の朝、ちゃんと起きられたらいいけど。

 このまま目が覚めなくても、それならそれで…もう追いかけられることがないなら。

 膝に頭をうずめて目を閉じると、真っ暗闇が広がる。

 いつもなら恐れるそれは、隣の男の黒ずくめの姿と重なって、もうこわくはなかった。


 翌朝、にぎやかな音でシンは目をさました。

 ガラクタの上から飛び降りる。

 空は珍しいことに晴天だった。

 表通りへ顔を出すと、通りは飾り付けられ活気に満ちていた。

 人や馬車が行き交い、たくさんの露店が出ている。

 お祭りだ。

 人の流れに引かれて、シンも裏通りを縫って町の中心部へと向かう。

 この町の大きなお祭りといえば、灰色狼をやっつけた英雄をたたえるものだ。

 広場にはその銅像が立っている。

 今日はお祭りということで銅像は飾り立てられ、周りにはお供え物が山と積まれていた。

「いいなあ…分けてくれないかな」

 どうせ英雄は食べれないんだし、とシンは通りの影から銅像を眺める。

 銅像の英雄は、膝をついている。

 狼を倒した功績でお姫様との結婚を許されプロポーズしているシーンだと言われている。

 差し出された手の先に、お姫様の銅像も立っている。

 お姫様は、狼にかみつかれて負傷した英雄に、自分のハンカチを巻いて手当てしたとか…

「…あれ?」

 伝説にのっとってか、英雄の腕にはハンカチが巻かれていた。

 遠目だが、それが泥に汚れているように見える。

 ちょうど昨日シンが、控えめにつまんだみたいな、3本の指の跡。

 位置も同じような……

「まさかね」

 路地から出てもまた邪魔者扱いされるのがオチなので、シンは路地裏から出られない。

 もう一度銅像を眺めて、シンは顔を引っ込める。

 雨に打たれたはずなのに、服はすでに乾いて体はポカポカしていた。

 隣にいたはずなのにもう顔を思い出せない男の後ろ姿だけがぼんやりと胸の奥に残っていた。


「お前、なんで髪を染めるの黒なんだ?」

「ん?なんかおかしい?」

 アロウに問われて、シンは首をかしげる。

「おかしいっていうか…黒って逆に目立たねえ?ここらではそんなに多くもないし」

「そうかもだけど…うーん、なんか強そうじゃん?」

 へらっとシンは笑う。

 もうずいぶん前のことで忘れてしまったが、昔、強そうな大人に会ったことがある。そんな気がする。

 その人は背が高くて黒髪で、灰色みたいな濃い色の目をしていて…とてもあたたかかったのだ。

 そんな風になりたいと思ったのかもしれない。

「ああ、そういやこの町の英雄も黒髪らしいもんな」

「そうそう、あんなふうになれたらいいよねー」

「…珍しいな、お前が誰かをよく言うなんて」

「どういう意味だよ!」

「割と悪口しか言わな…おい枕投げんな!」

 今晩も白狼館の206号室は騒がしい。

 狼が住む山は、今は静かに町を抱いて眠っていた。今はまだ。

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