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ごほうびの時間

「いい加減にしろ」

「やだあー」

 シンは布団にしがみついている。

 アロウはため息をついた。

 かれこれ一刻はこうしている。

 なにかというと…

「いい加減風呂入れ!」

「やだっさむいよーここにいるぅ」

 一緒にいるうちにわかってきたが、シンは好奇心が強い反面、興味のないことは億劫がる面が強い。これまでの環境のせいなのか水に濡れるのを忌避するので、風呂は特に足が遠のくようだ。

「さっぱりするから」

 シンの体には色々なダメージが蓄積している。

 風呂は代謝を促すのでアロウとしては機会があるたびに入れておきたいところだった。

「このまま寝たいよお」

 シンは目を潤ませて見上げてくる。…うそ泣きだ。

 ちょっとぐらつく心を隠してアロウは秘密兵器を使うことにした。

「そうか、残念だな…。今日は"おいしいお風呂"なんだけどな」

『おいしい』と聞いて食欲の塊なシンの顔色が変わる。

「う、うそだ!お風呂がおいしいなんて絶対ウソ!」

「あーあ、せっかくいいもの用意したのになぁ」

「だまされないぞ!な、なにがおいしいんだよ!」

「風呂に入らないやつには教えられないな」

 ぷいっとアロウはそっぽを向く。

 鞄の中をごそごそしてみせると、好奇心を抑えられなくなったシンが身を乗り出す。

「は、入るから見せて…!」

「はい、確保。」

「あああ…やだあ、でも気になるうー」

 捕獲されたシンは、じたばたしながら風呂場へと連行されていった。


 風呂場にはふんわりと爽やかな香りが広がっていた。

 シンはすんすんと鼻を鳴らしてにおいを嗅ぐ。

「わぁ……なんだろこの匂い。知ってる気がする…」

 アロウは浴槽に布袋をいくつか放り込み、瓶から何かを垂らして混ぜている。

「なんの匂いだと思う?」

「えーっとえーっと……」

 シンは一生懸命首を傾げて記憶をたどっている。

 すっきりしてて、でもほんのり甘い……最近どこかで食べたような。

「…あ!ミカン!!」

「正解。ミカンの皮を乾かしたものとかが入ってる。他にもいろいろな」

 シンはぺたぺたと歩いてきて、浴槽をのぞき込む。

 湯の色は以前と変わりない。

 なのに、においだけはミカンの香りで……

 思わず顔を寄せ、口をつけた。

「おいっ!?」

 慌てたアロウが浴槽からシンを引きはがす。

「なにしてんだ!!」

「いい匂いだから、おいしいのかなと思って」

「なんでも口に入れて確かめるのやめろ!!食用って言葉知ってるか!?」

「食べれたら安全」

「安全に作ったものだけを!食べるんだ!!」

「はあーい」

 ちなみに、ミカン湯はほんのり苦かった。


「とにかく、風呂には入れよ」

「ちぇーたべれないのか…」

 それでも入るといった手前、シンは服を脱ぎ始める。

「お前ほんとに……」

 苦い顔のアロウはため息をつくと、腰のポーチを開く。

 湯桶を持ってくると湯舟に浮かべ、布巾を敷いて取り出したものを載せた。

「ほら、これは食べていいぞ」

 それは本物のミカンだった。

 シンがこの前初めて食べた、ちょっとすっぱくて、甘い果実。

「えっ…!?た、たべていいの?」

「いいよ」

 いいと言われてシンがうろたえる。

「お、お行儀悪い…とか言うんじゃないの?何かの罠??」

「まあお行儀は悪いけどな」

「じゃあダメなんでしょ?」

 上目遣いで見上げられて、アロウは笑う。

「普段ちゃんとお行儀よくしてたら、たまにはちょっと羽目を外す日があっていい」

 シンは慣れないながらも、一生懸命社会のルールを覚えようとしている。

「今日は、最近頑張ってたからご褒美。ほんとはダメだけど。内緒な」

 アロウは微笑んで、シンの頬にそっと手を伸ばす。

 少しひんやりとした手が、するりと撫でていった。

 柑橘のすうっとする匂いと、花の香りのする手だった。

「ちゃんと肩までつかって温まれよ」

 そう言ってアロウは風呂場を出ていった。

「なにそれずるい…」

 アロウがふいに見せるやわらかな笑顔と、予想もつかないご褒美。

 あとには入る前から湯あたりしたかのような、真っ赤な顔のシンが残されたのだった。

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