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お手入れの時間

 爪先に沿って丸くやすりをかけ、ふっと削りかすを飛ばす。

 ほとんどの爪が嚙み切っただけでがたがたになっている。

 ささくれができ、手も荒れ放題だ。

「アロウってさ」

「ん?」

 真剣にシンの爪を検分するアロウにシンは尋ねる。

「なんで触る前に聞いてくんの?『触ってもいいか』なんて聞かれたの初めてなんだけど」

 手を預けて暇なシンは不思議そうにアロウの手元を眺めている。

「なんでって……人に勝手に触られたら嫌だろう?」

「気にしすぎじゃない?だって触るっていうのは……なかよしってことでしょ?」

 アロウは手を止めて顔を上げた。

 シンの目には純粋に疑問の色が浮かんでいる。

 親しい人間がほぼいないシンはいつもどこか寂しそうだ。

 触れてくる手があれば、それは親愛の情の表明ということになるのかもしれない。

 ただ、アロウは知っている。

「……お前さ、俺が手を近づけると反応してるだろ」

「え?」

「頭に手が近づくとびくっとしてる」

「そ、そう?あれー?」

 途端にシンの目が泳ぐ。自覚はあるようだ。

 アロウはため息をついた。詮索をする気はない。

 テーブルから薬屋でもらった軟膏を取り上げ、指先に取る。

「こわがらなくなったら、聞かない。」

 小さなシンの手を包むようにしてクリームを塗り広げていく。

「よくできました、って頭撫でてやるよ」

「あーっまた子ども扱い!」

「いいから反対の手出せよ、お子様」

 ほら、と差し出される手はシンよりずっと大きい。

 本気を出したらシンの手など握りつぶされてしまう。

 シンの中で、人恋しさと、恐れる気持ちが揺れている。

「そんなぴかぴかにしてどうすんの……」

「これはぴかぴかじゃなくて、今のお前がボロボロすぎるだけ」

 呆れた顔をしているアロウだが、シンが自分から動くのを辛抱強く待っている。

 シンは『自分で選んで』、アロウに手を預けるのだ。

「うー……じゃあお願い」

「はいはい」

 なんだかむず痒い気がした。

 いつか、アロウが何も言わずに手を取ってくる日が来るのだろうか。

 再びシンの爪を磨き始めたアロウの後を見下ろしながら想像したが、今はまだよくわからなかった。




 シンはベッドに寝転がると、両手を上げて眺める。

 腕は保湿クリームでしっとり、手のガサガサ痛いのは薬を塗られてヒリヒリ痛いのが治まった。

 がたがただった爪はやすりがけされてつるつる、ささくれは根元で切られてなくなった。

「やっぱり、ぴかぴかだ……」

 ほう、と思わずため息が出る。

 自分の手なのに、なんだか上等なものになった気がする。

「……あいつやっぱりボクを売り飛ばす気なんじゃないの?」

 ごろん、と寝返りを打ってシンは呟く。

 こんな手入れはアロウの仕事の手伝いと何の関係もないはず。

「明日起きたら檻の中だったりして」

 シンはぎゅっと手を握り合わせる。

 つやつやな手の感触。

 まるで繊細な品物を扱うみたいに、丁寧に手を取られた光景が脳裏によみがえる。

 嘘でもこんなに大事に触れられたことはない。

「……それでもいいや」

 シンは口元をふにゃっと緩ませた。

「一晩の夢で、じゅうぶんだよ」

 夢のようにあたたかい布団の中に埋もれて、眠りに落ちていった。

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