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ぬくもりの在処[はじめてのお風呂]

山奥の村に着いた冒険者のアロウとみなしごのシン。

宿に入り旅装を解く二人。

アロウはシンを宿の女将に任せたのだが…

「ふぎゃあああやだあああ」

 廊下に響き渡る悲鳴に、歩き去ろうとしていたアロウはため息をついた。

 音の発生源は、風呂場だ。

 迷惑になりかねない騒音に、急いで引き返す。

 風呂場の扉をたたいて声をかけた。

「女将、すまん」

「アロウさん…この子水がだめみたいで」

 風呂場から顔を出した宿の女将の視線を追うと、立ち込めた湯気の向こうにシンの小さな背中が縮こまって震えていた。

 こじんまりとした温泉を擁する配達先の村で、シンに風呂の入り方を教えてもらうように頼んでいたのだが…来る途中で川に落ちたせいで水がトラウマになってしまったようだ。

「シン、その湯は足がつくだろ?大丈夫だ」

「でも足がついても溺れたじゃん」

 アロウが声をかけてもシンはかぶりを振る。

 実はシンの言い分は正しく、膝程度の高さの水でも溺れることはある。

 警戒感を持つのは正しいが、ちょっと過剰反応になっていた。

「じゃあ浸からなくていいから体だけ洗ってもらえば…」

「アロウがして!」

 がばっとシンが顔を上げて、アロウに飛びついてきた。

「ええっ!な、なに言って…」

「行かないでええ」

「お、お前なあ」

 シンにしがみつかれてアロウが視線をさ迷わせると、女将は「あらあら」と口に手を当てて困った顔をしている。

 しかしその目は興味関心にキラキラと輝いていた。

 たぶんこの騒動は今晩中にゴシップに飢えた村中に知れ渡るだろう。

 アロウはため息をついた。


「アロウ、ちゃんといてね!?そこにいる?!」

「いるよ、っていうか手を繋いでるだろ。なんでお前が目をつぶってるんだ」

「こわいから!」

「怖くて目をつむったらもっと怖くねえか…?」

 謎の理屈にアロウは困惑する。

 上着だけは脱衣所に置いてきたが、着衣のまま風呂場でシンの介助をしているので服がびちゃびちゃになってしまって閉口してもいた。

 シンは手を取ってやると一応大人しく湯に浸かったが、問題はそのあとだった。

 頭から湯をかぶるというのが、目を閉じなければいけなくて「こわい!」と言い出してダメだった。

 仕方なく桶に湯を入れて支えてやり、頭を浸けさせるという方法で洗うしかなかい。

 ちなみに髪の染料は風呂程度で落ちないように魔法薬に切り替えてある。

 体を洗うのは見えている分大丈夫らしく、女将に補助してもらってぎこちなくこなす。

 水に囲まれているのがこわいらしく、シンは終始落ち着きがなかった。

 一通りきれいにして、もう一度湯に浸かって温まったころには三人ともぐったりしていた。

「次から自分でできそうか?」

「……ドアのところにいてくれる?」

「わかったよ…」

 アロウは承諾したが、健康な若い男子として内心(なんの拷問…?)という気持ちが湧き上がってきたのを慌てて打ち消したのだった。


 女将が去り際に気を利かせて替えの衣類を置いていってくれたので、アロウはついでに自分も風呂を浴びることにした。

 もともと長湯をする方ではない。

 びしょ濡れになった衣服を脱ぎ、手早く体を洗って少し湯に浸かると体を拭く。

 脱衣所の扉を開けて出ようとするが、湯気越しに人影を認めて慌てて扉を閉める。

「部屋に帰ってろって…!」

 言ったのに。シンが脱衣所の隅にちんまりと座り込んでいた。

 シンにとっては今日は生まれた土地を初めて離れ、見たこともないものにたくさん触れ、危ない目にも遭った。

 アロウだけが唯一の変わらないものとしてシンの安心材料になっているのかもしれない。

 ため息をついて、アロウはシンに声を掛ける。

「シン、出るからそこの着替え取ってくれるか」

「ん。これ?」

 とたとたと軽い足音がして、扉の隙間から衣服が差し出される。

「なんでこっちで着替えないの?」

「あのなあ、着替えを見たり見られるのは恥ずかしいもんだろ」

 半分本当で、半分は嘘だ。

 ただの同居人なら着替えくらい気にしなくたって、別にいい。

「そうなの?」

 けろりと答えるシンは、何を考えているのだろう。

 同性だと思っているから?見慣れているから?

 生い立ちも何もかもが違うシンの考えを推し量るのは難しい。

 頭を悩ませながら女将が置いていってくれた服に着替え、アロウは脱衣所に出た。

 途端にシンが駆け寄ってくる。

 いつもより距離が近いのはやはり不安なのだろうか…

「っておい、なにしてる」

 シンはアロウのシャツを掴むと、すんすんと鼻を鳴らしている。

「なんかいいにおいする」

 ちょっと理性がぐらついた。

「お前なあ……」

 頭痛をこらえてアロウはシンを引き剥がす。

「それは石鹸の匂いだろ」

 ふとシンの肩に落ちた髪の一房が目に入り、すくい上げた。

「お前も同じ匂いだ」

 軽く顔を寄せるだけでふわりと石鹸の爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。

 それ以外にふわりと甘い香りを感じてアロウは慌てて髪を離した。顔が熱くなる。

「あ、ほんとだ。お揃いだね」

 シンはアロウの反応には無頓着に自分の服の袖をふんふんと嗅いでいる。

「お前ワンコか何かか?」

「むっ、匂いは大事なんだぞ。危ないこととか、食べものとかわかるし」

「まあ確かにな」

 アロウは耳に頼ることが多いが、五感が鋭ければそれだけ危険を早く察知できる。

 シンもそういった感覚が優れていて、これまで生き延びてきたのだろう。

「…お前はえらいな。今日はよく頑張ってた」

「えへへ」

 アロウが褒めると、シンは嬉しそうに目を細めた。

 褒められることも、もしかしたらシンにとっては貴重な体験なのかもしれない。

 部屋に帰るまでシンはアロウの袖にまとわりついていたが、ベッドに上がるなり寝こけてしまった。

 やはり疲れていたのだろう。

 それでもシンの指先はシャツの袖を握りしめていた。

 アロウはため息をついて傍に腰を下ろす。

「ここにいるよ。…ゆっくりおやすみ」

 窓の外では、膨らみ始めた月がゆっくりと空を降りてきていた。

 穏やかな夜だった。

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