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第88話



馬の首を撫でながらも考えるのはロナルド様のことばかりだ。





「今すぐ森へ帰ろうかしら……」


誰に聞かせるでもなく、私は一人呟いた。


ディグレが私の足元に顔を擦り寄せる。


私はディグレの頭を撫でた。






「お前も早く森へ帰りたいの?」


グルグルと喉を鳴らすディグレ。


ディグレも別に王都へ行きたいわけではないだろう。ただ、ただ私を守ろうと、この子は私のそばに居てくれているだけなのだ。






でも……アナベル様があの調子ではこの馬たちを癒す者はいない。瀕死だった聖騎士は聖なる力を殆ど失ってしまっている。彼女にこれを託すのは酷というものだ。






「お前たちを置いては帰れないわね」


私の言葉にディグレが「フンッ!」と鼻を鳴らした。その視線は私を少し非難しているようだった。


期待させてしまったことを申し訳なく思っていたその時、ディグレの耳がピクリと動いたのが目の端に入る。それと同時に私の背後から草を踏む音が聞こえた。






「誰?」


私が振り返ると、そこにはウィリアム様の姿があった。






「驚かせてすまない」


「ウィリアム様……どうされました?」


「いや……どうしたというか……ちょっと君と二人きりで話したかったんだ」


その言葉が気に入らなかったのか、ディグレが私とウィリアム様の間にスッと体を入れた。






「二人きりではありませんが」


私は苦笑しながら、白い獣の頭を撫でる。ディグレは嬉しそうに目を細めながら、私にすり寄った。






「あ……そうだな、お前の存在を忘れていたよ。すまない」


ウィリアム様もそう言って苦笑した。






「それでお話というのは?」


「改まって話そうとすると……照れくさいな」


ウィリアム様はその柔らかそうな金色の髪をポリポリと掻いた。






「どこかに座りますか?」


「いや……このままでいいよ。クラリス、はっきりと言おう。僕は君に惹かれてる」


ウィリアム様は真っ直ぐな瞳で私にそう言った。






「えっ……?」


私はそう言ったっきり言葉が出なかった。




初恋の人……ウィリアム様からそんなことを言われるとは夢にも思っていなかったが、私の心が躍ることはない。






「君が魔王と戦っているのを見て、純粋に凄いと思った。自分の身を挺して僕を守ってくれたことも心から感謝しているよ。君の姿を見ながら、胸が苦しくなった。こんな気持ちは初めてだ」


ウィリアム様は照れたように微笑んだ。






「ウィリアム様、私は……」


「……と言っても僕は王太子ではなくなる。そんな僕に君を好きだと言う資格がないことは百も承知なんだけどね」


ウィリアム様は私がそれについて答える前に、彼は私の言葉を遮った。






しかし……彼が王太子かどうか、それはもう関係ない。私は王都には戻らないつもりでいた。




王都の近くまでは馬を癒やしながら彼らに同行するつもりではあるが、どこかで目を盗んで彼らからこっそりと離れるつもりでいたのだ。


もちろんロナルド様からの提案通りにウィリアム様と結婚するつもりもない。






「資格だなんて……そんな。それを言うなら私は魔女ですよ?」


ほんの少し茶化したつもりだった。


だけど、ウィリアム様は私の言葉に歯を見せることなく、重く、そして静かに言った。






「そもそも、元々の聖女選びの段階から我々は間違ってしまったんだ。アナベルは聖女に相応しくなかった……聖女としての資質に彼女は著しく欠けている。やはり試験を全て教会に任せてしまっていたことが失敗だったのだろうか……」






未だ『聖女』という存在に支配されているようなウィリアム様を見て哀れに思う。


聖女なんていない……いや、裏を返せば聖なる力を持つ者は等しく聖女と名乗って間違いないはずだ。






「魔王の封印に力の強い聖女が必要だったことは確かでしょう……しかし、そもそもそれを一人に任せてしまわなければならなかったのでしょうか?聖なる力を持った者全てで協力することだって出来たはずです。聖騎士の制度についても思う所がありますが、別に一人の聖女と一人の王族に拘る必要などなかったのではないでしょうか?」


私の言葉にウィリアム様はハッとしたように目を見開いた。


そんな考えてなど今まで一度も浮かんだことが無かったようだ。






「それは……本当にその通りかもしれない」


「それに……私、思うのです。いつの日かこの国に聖なる力を持った子どもは生まれなくなるんじゃないかって」


「そ、そんな……っ!そんな、馬鹿な」


「私は聖なる力と魔力は、もしかすると表裏一体なのではないかと思っています。魔の力があるから聖なる力が生まれる。聖なる力があるから魔の力もまた生まれていたのかもしれません。どちらが先か……それは私にも分かりませんが」


魔王と戦ってからというもの、私はそう強く考えるようになっていた。二つの力の性質はとても良く似ていると。






聖なる力が回復を魔の力が破壊を生み出すように二つの力は陰と陽。お互いに引かれ合って生じてしまうのかもしれないと。






「では……この国からいつか聖なる力はなくなると?」


「あくまでも私の予想です。それがいつになるのか……数年先か数百年先か……それも分かりません。でも良いではないですか。魔王は消え去りました。もうこの国がそれに怯える必要はありません」


「だが……他国から攻め入られでもしたら……!」


「ならばウィリアム様は聖なる力を戦争に使うおつもりですか?」


私の言葉にウィリアム様は言葉に詰まった。






「確かに……今までは聖なる力が他国への抑止力となっていたのかもしれません。長い間我が国が侵略を受けたという記録もない。でも聖なる力はそのために存在していたのではありません。今こそ……国力を上げ、侵略を防ぐ。その時です」






私の言葉にウィリアム様は短く「その通りだな」と呟いた。







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