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第87話


私達はまた、ひたすら王都への道を急いでいた。


だがしかし、その間もアナベル様の苦情にも近いお願いが続く。





「お腹が空いたわ」


「アナベル……君のせいで足止めを余儀なくされて、この旅程が予定より延びたお陰で食料は底をついた。ゆっくりするより、少しでも先を急ごう。王宮にはまだちゃんと食料があるはずだから……」


ウィリアム様も随分とアナベル様への口調はきつくなったと感じられる。




皆、疲れている。気が立っても仕方ない。






「それは食料を他の皆に分け与えているからだわ。私と……殿下達だけが食べれば良いでしょう?疲れたのなら、そこの魔女に癒してもらえば空腹でも動けるでしょうし」


アナベル様は苛ついたように腕を組み、私を指差した。






「何を……っ!お前に人の心はないのか?それにクラリスは魔女じゃない!」


ロナルド様がアナベル様に掴みかからんばかりに怒っている。


私はそれをそっと手で制した。彼女に何を言っても無駄だ。






「失礼ね!私は聖女よ?この国で一番尊い存在なの。何故それが皆にはわからないの!」


彼女はそう叫びながら、何故か辛そうに顔を歪めた。


魔王はもういない。聖女という存在はこれからどうなっていくのか……それは誰にも分からなかった。






彼女もそれに薄々勘づいているに違いない。不安なのは仕方がないが、彼女が精神的に不安定になればなるほど、周りの目は冷たいものへと変化していく。


私は思った。ここにも『聖女』に囚われた人がいるのだ、ウィリアム様と同じように。








夜になり、近くの川でディグレが魚を獲ってきた。私達は焚き火を囲み、それを焼く。パチパチと皮が爆ぜる音と、香ばしい香りが夜風に乗って漂っていた。


アナベル様だけは『獣の咥えた物など食べられない』と言い放って、テントに引っ込んだままだ。






「アナベル様は何もお食べにならないんでしょうか?」


私の言葉にロナルド様はあからさまに嫌な顔をした。






「あいつがどうなろうと知ったこっちゃない」


「でも……」


「クラリス……君は優しすぎるよ」


ウィリアム様も横からそう言った。






「別に優しいわけでは── 」


「放っておけ」


ロナルド様は焼けた魚を串ごと私に渡しながらそう言った。






孤児院では食べ物を他の人に譲る癖がついていた。お腹いっぱい食べることなど出来ない日々。皆同じだ。


食べ終わった子ども達が私の手元の皿を覗き込んで羨ましそうにするのを、見て見ぬふりは出来なかった。


夜空腹で眠れない時には、孤児院の裏庭にある井戸水で飢えを誤魔化した。


そんな時に見上げた空に浮かぶ星のきらめきを今も覚えている。数えたってキリがないのに、空腹を紛らす為に星を数えた夜が、私には幾つもあった。






聖女の印が肩に浮かび、私は期せずして貴族になった。飢えを感じることも、夜空の星の数を数える時間も無くなったが、私が居た孤児院……いや、他の施設であったって、今でも空腹を抱え眠れぬ子が居るに違いない。






私は隣に座るロナルド様を見つめる。彼なら……きっとこんな国を変えてくれる。私はそう信じて止まなかった。






「何だ?俺の顔に何かついているか?」


私の視線に勘づいた彼は、手の甲で乱暴に頬をゴシゴシと擦る。すると、魚を焼いた時の焦げが黒く頬に広がった。






「フフフ。今、頬に付いてます」


私はポケットからハンカチを取り出してロナルド様の頬を拭いた。






「あ、ありがとう」


ロナルド様の顔が赤く染まる。焚き火に照らされているからなのか、私が強く擦りすぎたせいなのか、それとも……。


いや、そんなわけはない。彼はこれから王都に帰れば王太子になるだろう。そして彼の隣には、相応しい女性が並び立つのだ。私のような付け焼き刃の貴族ではない、本物の貴族のご令嬢が。






このまま王都なんて着かなければいいのに……そんな馬鹿な考えを振り払うように私は首を軽く振った。


そんな自分に嫌気がさして、私は思わず立ち上がった。






「ど、どうしたんだ?急に」


突然立ち上がった私にロナルド様は驚いた。






「え?あ、あぁ、そろそろ馬たちの様子を見に行こうと思いまして……」


私は咄嗟に嘘をついた。


だが、そう口にしながらこれは良い考えだと思った。このままロナルド様の側に、私はいない方がいい。どうせ、後で馬たちを癒しに行くつもりだったのだから。






「俺も行くよ」


ロナルド様が立ち上がろうと腰を上げたのを、私はすかさず制した。






「わ、私一人で大丈夫です!ディグレもいますし」


当然のように私について来るつもりのディグレは、その大きな前脚をグーッと伸ばして、大きく伸びをしていた。私に付いてくる準備をしているのだろう。


舌なめずりをしてから、大きな欠伸をする姿はまるで大きな猫だ。




「だけど……」


「じゃあ行ってきます」


ロナルド様の言葉を待たずに私は彼らに背を向けた。




王都にたどり着かなければ……なんて醜い考えを持つ私に誰も気づきませんように……と祈りながら。





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