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第82話 Side大司教


〈大司教視点〉






「お久しぶりですね、ジェレミー様」






「その名で呼ばれるのはもう何年……いや何十年ぶりだろうか」


私の前任だった大司教が亡くなってもう二十年ほどになる。私は自分の名前すら思い出せないようになっていた。






私の部屋にやって来た老女は顔まですっぽりと隠していたマントを脱いだ。






「お茶でも……」


そう言った私に老女はゆっくりと首を横に振る。






「聖騎士を勝手に辞めて行方知れずとなった者にもてなしは不要で御座います。いわば私は死者と同等。もうこの世には存在しない者です」






彼女に会っていることがバレれば、私も何らかの責を負うのかもしれないが、私は恩人を門前で追い返すほど薄情ではない。






「王太后様が亡くなられ……私はもう用なしです」


彼女は勧めた椅子にも座らず、話を続けた。王太后の死。彼女は王太后に仕えていた聖騎士だった。






「長い間、ご苦労だった。現聖女の元には?」


他の聖騎士は主を現聖女へと変えた。しかし、目の前の彼女はいつの間にか姿を消していた……とそう聞いていたのだ。






彼女は目を閉じゆっくりと否定するように首を振った。






「私の聖なる力はもう殆ど残っておりません。そう考えると、命の灯火もあと僅かだと思えます。もう聖騎士として生きていくには歳を取りすぎました。それに私が仕えるのは王太后様だけです」


彼女と王太后の間には、強い絆があった。私はそれを知っている。






「それで……私に話と言うのは?」






彼女が私を訪ねてくるなど、大司教になってから初めての事だった。きっと火急の用があるに違いない。私は彼女に話をするように促した。






「聖なる水晶の事で御座います。あれはもう魔の力で黒く染まり、粉々に砕け散ったとお聞きしました」


「その通りだ。この国の宝を私は守りきれなかった。不甲斐ない自分に腹が立つよ」






代々の大司教に申し訳が立たない。私は自分の愚かさを恥じた。陛下に言われるがまま、門外不出であった水晶を持ち出すべきでは無かった。あんな事に使うべきではなかったのだ。


いくら陛下に私が強く言えないからと……本当に取り返しのつかないことをしてしまった。






俯く私に細く節くれ立つ指がそっと触れた。






「ジェレミー様。今から言う事は、老婆の戯言としてお聞きください。何の根拠もありませんから」


根拠のない話をする為に、彼女はここまで来たというのだろうか?






「何の話だろうか」


「王太后様の聖なる力を感じます。王太后様の亡骸は既に埋葬されておりますが、私は感じるのです。しかも王宮から」


王太后の亡骸は王都の郊外の丘に埋葬されている。王宮ではない。






「どういう事だ?」


「それは私にもわかりません。聖なる水晶があるのならば説明はつきますが、無いのに何故……と。最初は気の所為かと思っておりましたが、どうも気になって。ジェレミー様は何かお感じになりませんか?」






「……母の力を?」






私は思わず『母』と呼んでしまっていた。私の母。前聖女であった王太后。








私は母の不義の子として生まれた。母が王妃であった頃の話だ。私の父は母の幼馴染だった。


その頃母は夫であった国王との関係が上手くいかず、悩んでいたらしい。我が国では側妃を持てない。その代わり国王にはたくさんの愛妾がいた。そんな母を陰で癒やし支えていたのが父だった。






私の存在は王家でもトップクラスの秘密だ。母が聖女でなければ、私の存在は闇に葬られていただろう。






乳母すら雇うことも出来ず、私は母から乳を貰うだけ。その私を母に代わり育ててくれたのが、この目の前の老女だ。


彼女は若い頃から母に付いていた聖騎士だった。私の存在を知っていたのは母と彼女、それと国王と前大司教のみ。── いや、もう一人いる。私が大司教になった時に私が種違いの兄弟だと知った現国王だ。








私は彼女からの問いに困惑した。母の力など今の今まで感じた事はない。それぐらい私と母の関係は希薄だった。






「いや。何も感じないが……」


「私には感じるのです。王太后様の温かな力を」


彼女は力強い声でそう言った。彼女は私の母に心酔していた。そこには主従関係以上の絆があるように私はずっと感じていたが、何故なのかまでは分からなかった。








彼女は私に「力の事は心に留め置いてください。お元気で。私はもう二度と貴方の前に現れる事はありません』と言って、教会を出て行った。


来た時と同じようにマントで顔を隠し、既に自分の存在を全て消し去っているようだった。


私は何となくその背を見送りながら、彼女と会うのは本当にこれが最後になるだろうという確信にも似た気持ちを抱いたのだった。







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