第79話 Side ウォルフォード侯爵
〈ウォルフォード侯爵視点〉
馬車は静かに目的地の前で停まる。
私は一人馬車を降り、待ってくれていた人物へと声をかけた。
「レオナ嬢、侍女は全てを話してくれました」
レオナ嬢はホッとした表情を浮かべた。しかし、また少し厳しく表情になると、おずおずと私に尋ねる。
「彼女の証言でクラリス様を助けることは出来そうでしょうか?」
「そのことですが、もう一つお願いしたいことがあります」
私はそう言って胸ポケットから手帳を取り出し、ペンを走らせた。
そのページを一枚千切り取ると、それをレオナ嬢へと手渡す。
「これをうちの執事に届けていただきたい。出来れば急いで」
彼女はそれを受け取ると、直ぐに近くに居た護衛に声をかけた。
「侯爵、ではその侍女のご家族の元へと参りましょう」
私からのメモを渡された護衛が走り去るのを確認して、レオナ嬢は私の目を見て言った。
「はい」
私は『はい』と返事をしながらも、複雑な思いを抱えていた。
侍女はアナベルの言いつけを守ったに過ぎない。頭では理解しているが、心が追いつかない。
レオナ嬢はそんな私に、優しく言った。
「真実が明らかになった時、罪を犯した者は必ず裁かれるでしょう。しかし、それが侯爵の望むことでしょうか?侯爵の望みは私と同じ。クラリス様の身の潔白を証明し、あの森から救い出すことではないですか?今はその為に出来ることを」
「……貴女の言う通りだ。今は余計なことを考えている場合じゃないな」
「いえ……侯爵様のお気持ちは理解出来ます。私だってずっと歯痒い思いをしていました。誰に何を訴えても取り合ってもらえない。両親にも諦めろと言われましたから。でも一筋の光が目の前に。さぁ、行きましょう。この一歩が全てを変えてくれるかもしれません」
彼女はにっこりと笑う。私も気持ちを切り替えてレオナ嬢を馬車へと案内した。
馬車の扉を開く。侍女はレオナ様の姿を見て目を丸くした。
「……レオナ様……」
「お久しぶりです。貴女とは最終試験に向かう前に会ったきりですね。お元気でしたか……と尋ねなくても分かります……顔色が悪い。弟君のことが心配なのでしょう。大丈夫、私は癒やしの力に自信がありますから」
レオナ嬢はにっこりと笑う。
「せ、聖なる力を勝手に使えば……レオナ様の立場が……」
「どうせ封印される力です。せめて誰かの役に立ちたい。さぁ、行きましょう、時間はありません」
レオナ嬢の言葉がきっかけになったように馬車はまた走り出した。またこの侍女の家まで戻るために。
「ありがとうございます……ありがとうございます」
侍女の母親だと名乗る女性はレオナ嬢に何度も何度も礼を言いながら、涙を流した。
「病は治しましたが、随分と床に臥せっていた事で、筋力の低下が著しいです。それを治すには何度か治療が必要かもしれません。それよりも栄養価の高いものをたくさん食べて、良い空気を吸って少しずつ外を歩く練習をした方が、身体に負担なく治ると思いますよ。聖なる力は便利ですが、急激に身体を治療します。基礎体力のない者には稀に負担がかかる事も」
レオナ嬢の言葉に、私は続けた。
「直ぐに食料は届けさせよう。それと……約束通り、ここを立て直す資金も」
母親はその言葉に顔を青くさせた。
「そんな!ロンを治していただいただけで十分ですのに……」
「いや……これは私とお嬢さんとの間で交わした約束です。ただ……ローナン公爵家の侍女は辞めてもらう」
彼女は大切な証人となる。もし私と接触していることがバレて、彼女の身に何かあったら大変だ。
彼女は私のウォルフォード侯爵家で匿うつもりだった。
「辞める?」
侍女が不思議そうに尋ねる。
「あぁ。ローナン公爵家には戻らない方がいいだろう。全てが解決し、男爵位を買い戻す事が出来たら……ご実家に戻りたまえ。その後のことはそこからゆっくり考えたらいい」
彼女も私の言葉の意味を理解したようだ。
このことが公になれば……ローナン公爵家はどうなるか分からない。その上彼女は既に私側の人間だ。アナベルの敵になったことを彼女自身、気づいたのだろう。
侍女の弟のロンは、青白かった顔にみるみる生気が蘇り、頬に赤みが戻っていた。さっそく「お腹すいた」と言っていたところをみると、本当に病気は完治したのだろう。
レオナ嬢の聖なる力を目の当たりにし、皆驚いていた。
侍女の実家を後にして、彼女を公爵家の近くで降ろす。
「直ぐに公爵家を辞め荷物を纏めたらウォルフォード侯爵の屋敷へ来なさい。君が私と接触していた事がその前にバレれば厄介だからな」
私の言葉に侍女は大きく頷いた。
そしてレオナ嬢に深々と頭を下げる。
「弟を助けていただき、本当にありがとう御座いました。このご恩は一生忘れません」
「貴女が感謝しなければならないのは、ウォルフォード侯爵よ。侯爵が私にこの話をしてくださらなければ、私は貴女に力を貸すことも出来なかった。恩は侯爵に返して下さい」
扉が閉まる。
馬車の姿が見えなくなるまで侍女は頭を下げ続けていた。
そして私は馬車の中で、事のあらましをレオナ嬢に話して聞かせた。




