第116話 田原一葉1
時間は少し遡り、善次郎と華が防衛省を訪れた週初。
勇者一行の二人と『赤き旋風』の4人。彼らは依然バレン南ダンジョンの第2層の探索を続けている。
先週の途中までは何部屋確認したのか覚えていたが、既にそういったことは放棄して、機械的に探索を進めていた。レンジャーの田原一葉は、日を追って不機嫌になっていく勇者の山田圭子と今ではほとんど口をきいていない。もちろん神殿に帰ってからも同様だ。
勇者一行は、これまでの探索で何個かのスキルブックやアイテム、それに金貨などを手に入れているが、それらは神殿に持ち帰っている。モンスターの死骸については放置しているが、ミミックの死骸と蜘蛛の毒糸だけは『赤き旋風』が回収している。彼らによるとミミックの死骸と蜘蛛の毒糸は錬金素材として希少かつ高価であるということだった。契約上ダンジョン内で収得したものは全て神殿の所有になるので、放っておいても良かったが、あくまで『赤き旋風』のサービスで神殿に届けている。そういったサービスもこのおもりがもうすぐ終了することからくる余裕から生まれている。
「もうこんなことばっか、いつまで続けるのよ!」
山田圭子が目の前に迫った蜘蛛の頭を切り飛ばしたところで、8本の足をつけた胸の部分が腹部を付けたまま走り回り、近づいてきたところで上から長剣を振り下ろしたら蜘蛛の胸は縦に半分になってしまった。その際薄黄色の体液が飛び散り山田圭子の顔にも降りかかった。
ほとんどモンスターとの戦いに関与していない田原一葉は何も答えないし、『赤き旋風』の4人ももとより何も答えない。
「こんなことなら三千院さんと一緒だったほうが良かった。あの人、攻撃魔法はうまかったものね」
田原一葉はそれでも黙っていたが、もう山田圭子とはやっていられないと思っていた。
話に出た三千院華は神殿へ帰る途中馬車から逃げ出したまま、神殿に帰ってはいない。まさか野垂れ死にはしていないだろうから自力で生きている。または誰かに助けられたのかもしれない。今から考えると、なぜあの場所でいきなり馬車から飛び出したのか気になる。どこか行く当てでも見つけたのではないか? そう言えばあのことがあって以来、あの道を馬車は通っていないハズだ。何かある。
レンジャーの田原一葉は正解に近づいていた。
山田圭子も田原一葉も週末の1日だけは休みなのだが、神殿を出ることは許されていなかった。
田原一葉はこれまでは未開の街など興味ないと言って、休みの日にはベッドの上でゴロゴロしたり、神殿の侍女たちにマッサージをしてもらってすごしていたのだが、次の週末には街に出ることを許可するよう、大神官に直談判してやろうと心に決めた。
その際、三千院華が失踪したあたりを調べてみようと思っている。探検Lv3のおかげであの場所は正確に覚えているので好都合だ。
田原一葉は週末を待ちわびつつ、自分勝手かつわがままになってきた山田圭子に我慢しながら第2層の探索を続けた。勇者となった山田圭子の体力からいってそこまで辛い階段ではないはずだが、田原一葉と『赤き旋風』の4人が黙って300段の階段を上り下りしているあいだ、山田圭子は終始悪態をついていた。山田圭子の日課にもなっているようだ。
大神官は護衛を付けることを条件に週末神殿を出ることを許したので、朝食を断った田原一葉は早朝から神殿を出ていった。護衛という名目で彼女の後ろには4名の神殿兵が付き従っている。おそらく急な出発を告げられた彼らも朝食はとっていないはずだ。
田原一葉が神殿を後にしたとき、山田圭子はまだベッドで寝ていた。
田原一葉はまず神殿兵をまくため朝から開いていた食堂に入っていった。小遣いとして神殿からもらった金貨が10枚ほどがポケットの中に入っている。
「わたし、お腹が空いたからここの食堂で何か食べるわ。あなたたちも食べた方がいいわよ」
神殿兵にそう言って食堂の席に着いた田原一葉は定食を注文した。定食が出てくるまで特に腹が空いていたわけではなかったが、皿におかれた温かいハムステーキと温野菜を見ていたら急に食欲がわいてきた。
見た目はそれほどいいものではなかったが、熱々のハムステーキをナイフで切ってフォークに突き刺し、フーフーいいながら口に入れたら涙が出るほどおいしかった。彼女に自覚はなかったが、実際彼女の両目からはわずかに涙が流れていた。
隣のテーブルでは神殿兵たちが食事している。
「トイレにいくからついてこないでよ」と、神殿兵にことわり、田原一葉はテーブルの上のものを3分の1ほど残して席を立った。皿の裏には金貨を1枚入れている。
トイレに向かった田原一葉は途中に厨房への入り口があったので、そのまま厨房に入り、唖然として見ている店のおばさんに、
「追われているの、裏口があれば教えて」
店のおばさんは、田原一葉を裏口に案内して、
「後は任せな、ちゃんと逃げるんだよ」そう言って、見送ってくれた。
護衛対象がトイレに立ったまま帰ってこないので、神殿兵たちは慌てだし、店の者にあれこれ聞いたが要領を得ず、トイレを探そうとしたところで、店のおばさんが大声で騒ぎ始めたため、神殿兵たちは店を出て、田原一葉を探すことになった。
神殿兵たちをまいた田原一葉は、それからしばらくして三千院華が馬車から逃げ出した屋敷街の一角に立っていた。
「馬車が止まったのは確かこの辺り」
通りに面して塀に囲まれた大きな屋敷が連なっている。どこかの屋敷に三千院が逃げ込んだと思うが、どの屋敷に逃げ込んだのかは定かではない。もちろん一軒一軒聞いて回れるはずもない。
あてもなくその辺りを行ったり来たりしていたら、とある屋敷の前を通りがかったところで、何やら嗅いだことのある臭いがわずかにした。
「排ガス? 油の臭いは確かだと思うけど、ガソリンかな? 自動車の排ガスの臭いってあまりしないからはっきりとは思い出せないけど、やっぱり排ガスだわ」
なんでこの世界で自動車の排ガスの臭いがするのか分からないが、気になる。
臭いがするのはこの屋敷だと当たりをつけて近づいていったところ、屋敷の塀越しにわずかにエンジン音のようなものが聞こえてきた。
「この音はエンジンよね。一体どうなってるの?」
あれこれ考えても理由など分かるわけがない。そうこうしていたら、4人の女の子が2台のそれほど大きくはないががっしりした荷車を引いて田原一葉を横目で見ながら通り過ぎ門の横の通用口を開けて、中に入っていこうとした。
「ちょ、ちょっと待って!」
4人は立ち止まって田原一葉を振り返った。光線の加減か、立ち止まった女の子たちの髪の毛が、妙にさらさらして輝いていた。
「あなたたち、この屋敷の人なんでしょ? この屋敷に三千院華って16、7歳の女の子はいない?」
「ハナおねえさんならいますよ。今はご主人さまとお仕事に出かけています」と、黒髪おかっぱの女の子が答えた。
やはり、この屋敷の中に三千院が逃げ込んで匿ってもらい、その対価か何かのために働いているのだ。
「あなたたちのご主人さまってどんな人?」
「とっても優しくて、カッコいい人です」
ほかの3人の女の子も頷いている。
「名まえは?」
「ゼンジロウって言います」
田原一葉にはゼンジロウという名前に心当たりはなかったが、どう見ても日本人の名だ。
「そのゼンジロウさんに会いたいんだけど、待たせてもらっていいかな?」
「屋敷の中で?」
「そうだけど、ダメなら玄関先でもいいわよ」
「そんなことはできないから、ちょっと待っててください」
そう言って、一葉と受け答えしていた女の子は通用口の中に入り、どこかに駆けていったようだ。
2分ほどしてその女の子が戻ってきて、
「屋敷の中に入ってご主人さまが帰ってくるのを待っててください。今日は昼食にハナおねえさんと一緒に戻ってくると言ってたそうです」
一葉は子どもたちが荷車を通用口に入れるのを手伝って、一緒に玄関に向かった。途中物置小屋があり、そこから排気ガスの臭いもしてエンジンの音が聞こえた。小屋から玄関に向かってどう見ても電気のコードも繋がっている。
『えっ! どうなってるの? ここって、まさか地球なの?』
不審に思っていたが、口には出さず、女の子たちについて玄関の扉をくぐった。
「ここで待っててください」
一葉が通されたのは、応接室だった。
一葉は通された応接室の椅子に座っていたら、しばらくして、先ほど応対してくれた黒髪おかっぱの女の子がトレイの上にお茶を乗せて運んできてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
お茶をテーブルの上に置いて少女はすぐに部屋を出ていった。
部屋の中には調度品とか何もなく、天井からぶら下がったシャンデリアはろうそくが並べられたもので、電気製品ではない。おそらくあのエンジン音と電線から考えて、あの音は発電機だと思ったが、電気製品が見当たらない以上、何とも言えないような気もしてきた。
ゼンジロウ氏は昼には戻るという話だったが、昼までまだ3時間ほど時間がある。退屈ではあるが部屋から出てフラフラ出歩くわけにもいかず、椅子におとなしく座っていたら、部屋の外、おそらく玄関ホールを挟んだ向こうの方から、ピアノの音が聞こえてきた。
ピアノの音は、単純に『ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド』を繰り返すだけだったが、妙に懐かしかった。




