第十一話 最も警戒すべき敵
最下層に降りて真っ先に感じたのは、違和感であった。
いつもならば、足を踏み入れた瞬間に襲い掛かってくる殺気が、まったく感じられない。
まるで、このフロアに自分たちしかいないような……そんな錯覚に、俺は警戒心を強めた。
「……ユウキ、気配察知は?」
「今のところ反応はないです。でもライカンスロープの匂いは確かに感じます」
……やはり。ということは、今回のボスは単体強化型……それも気配遮断を持ったアサシンタイプか。
最も厄介なタイプが現れやがった、と俺は小さく舌打ちをした。
アサシンタイプの主は、冒険者が最も警戒すべき敵の一つだ。
音もなく忍び寄り、強烈な一撃を食らわせ離脱。その隠密性は、フィールド補正により気配察知スキル持ちですら至近距離まで気づくことができず、また単体強化型であるが故に攻撃力も高い。
とりわけ警戒すべきなのがマスターへのダイレクトアタックで、対応を誤れば全滅の可能性もあった。
俺も一回だけここの迷宮でアサシンタイプと交戦したことがあるが、正直蓮華の霊格再帰がなければDランク組を何枚か落としていたかもしれない。それほどの、強敵だった。
『飛行組は上空で待機、ユウキは気配遮断で俺の後をついてこい。鈴鹿とイライザは俺の護衛だ』
リンクで指示を伝え、了解の意思が返ってきたのを確信すると俺は安全エリアから足を踏み出した。
通いなれたはずの夜の森は、敵が暗殺者となったというだけでその姿をがらりと変えていた。
一歩一歩進むたびに敵の襲撃がないか警戒し、自分が踏んだ枝の音にすら神経をとがらせるのは、まるで自分がホラー映画の登場人物になったかのような錯覚を俺に与えた。
慎重に辺りを伺いながら進むこと数分、一向に敵の襲撃がないことにやや疑問を持ち始めたころ、俺はようやくお目当ての立地を見つけることができた。
そこは、森の中にポッカリと現れた小さな湖のほとりであった。
敵の襲撃よりも先に、目的の場所にたどり着けたことにホッと胸を撫で下ろしつつ、俺たちは湖を背に陣取った。
アサシンタイプとの戦闘において、森の木々に囲まれるのは自殺行為である。
ただでさえ見通しの悪い夜の森の中、遮蔽物に身を隠したアサシンを見つけ出すのは、もはや不可能だ。おまけにそこに木々を利用した立体機動まで加わっては、状況はより絶望的だ。
しかし、この湖のほとりならば視界はある程度開けているし、襲撃の方向も左右と前方に絞ることができる。
背面に回り込もうとも、さすがの気配遮断も水音までは消すことはできない。
とは言え、到着して数分のうちは湖にも警戒を払う必要があった。
なぜならば、俺たちが到着する寸前に湖に潜って機を窺っている可能性があるからだ。
そうして数分ほど湖も警戒しつつ、気泡の一つも上がってこないのを確認した俺たちは、ライカンスロープを迎え撃つための用意を始めた。
広場を取り囲むように木々にワイヤーと小さな鈴を張り巡らせ、足元にはビー玉サイズのペイントボールを無造作に巻いていく。蓮華にも霊格再帰してもらい、仲間へのバフをしてもらった。
ライカンスロープの巨体で、ワイヤーの隙間をくぐるのはまず不可能。木々を使ってワイヤーを強引に飛び越えようとしたとしてもどうしても物音は多少発生するし、何よりも無数のペイントボールを踏めば足跡が残る。
これが、前回の遭遇で思いついた俺なりのアサシンタイプ対策だった。
そうしてすべての準備が終わり、あとは敵の襲撃を待つだけとなった……のだが。
『……なかなか来ませんね、マスター』
『ああ……匂いや気配察知に何か反応は?』
『今のところ、何も……』
『うーん……』
最下層に入ってからすでに二十分。
いままで何度もこの迷宮に挑んでいるが、こんなに主との戦闘まで時間が空いたのはこれが初めてだった。
これがゴーレムなどの感覚が鈍いタイプなら俺たちを見つけられていないとか、あるいは出現地点から一歩も動いていないとかのケースが考えられるのだが、ライカンスロープは違う。
その習性は、縄張りに入ってきた侵入者の排除。嗅覚も犬以上で、獲物は決して逃がさない。
俺たちが最下層に足を踏み入れるなりすぐさま襲い掛かってくるのがこれまでの常だったのだが……。
そこで鈴鹿がポツリと呟くように言った。
『ねぇ……もしかしてぇ、もう他の冒険者に一足先に倒されちゃったとか?』
『う!?』
そ、その可能性があったか……。
俺たちよりも一足先に来た奴が、すでに主を倒してしまっている……というのはあり得ないことではなかった。
そう思いつつも、俺はどこか半信半疑であった。
この迷宮は夜の森という不人気なタイプだ。昨日あの冒険者と会っただけでも驚いたのに、それ以外にもほかに潜っている奴がいて、しかも俺たちよりも先に主を倒しているとは……。
俺の意識が、警戒よりも思考へと割り裂かれた——その瞬間。
「マスター!」
「ッ!?」
バシャリという水音が背後でするよりもわずかに早く、ユウキの鋭い声が響いた。
振り返るよりも先に、リンクの感覚共有を通じて背後を見た俺の目に飛び込んできたのは、湖から勢いよく飛び出してきた黒い影であった。
その大木すらへし折る剛腕の振るう先にいるのは当然、俺。
馬鹿な! なぜ!? あり得ない! ふざけんな!
——そんな思考よりも一瞬早く、動く金色の影があった。
『事前に決められていた作戦の通り』庇うのスキルを使用したイライザが、瞬間移動とも言える速さで俺の前に現れ、その人狼の一撃を受け止めたのだ。
人狼の渾身の一撃は本来の目標から逸らされて地面を穿ち、しかしその代償としてイライザの両腕は小枝のようにへし折れ、その体もゴムボールのように俺の後方へと吹き飛ばされていった。
体勢を立て直した人狼が二撃目をふるう前に、彼女が戻ってくるのは不可能だろう。
となれば、俺の守りはユウキと鈴鹿の二枚のDランクカードのみ。単体強化型の主の前には、頼りない手札だ。
だが、問題ない。
すでに、『鎖』は発動しているのだから。
「ッ!?」
黒い毛並みを持つ人狼が俺を金色の瞳で睨む。地面から腕を引き抜き、今度こそ俺の身体を引き裂こうとしたその瞬間。ズルリと何かに足を滑らせた。
泥に足を取られたわけではない。メアのスリップの魔法によるものだ。
わずかに動揺したようにも見えた人狼であったが、Cランクともなればさすがにその反応も早く、摩擦がゼロになった地面の上でも器用にバランスを保つ。
「——あは」
そこに、流れるように鈴鹿の足払いが決まった。それは人狼にダメージを与えられるほどのものではなかったが、摩擦のなくなった地面の上でなんとかバランスを保っていた人狼を転ばすには十分なものだった。
その隙に、ユウキが俺の身体を安全な後方へと運ぶ。
その体を泥まみれにした人狼は、一瞬だけ俺を憎々し気に睨むもすぐに思考を切り替えたのか身を翻す。
暗殺に失敗したとなれば、すぐに撤退し仕切りなおす。その判断力の高さも、アサシンタイプの厄介なところだった。
しかし、一度絡みついた『鎖』はそう易々と敵を逃しはしない。上空より放たれた白く輝く魔法の糸が、湖へと飛び込もうとする人狼の身体へと絡みつく。
二重三重に胴体に巻き付いた糸は、周囲の木々や地面にも張り付き、アンカーのように人狼を縛り付けた。
ユウキの腕から地面へと降りたとき、そこには完全に束縛されて身動き一つできなくなった人狼の姿があった。
そこへ容赦なく降り注ぐ状態異常と攻撃魔法の雨。ウィークネス(衰弱)、ライトニング、パラライズ(麻痺)、スリープ(眠り)、アースピアース……。
体力を削られ、麻痺し、電撃で体を焼かれ、一瞬だけ眠りについた体を岩の槍で貫かれる。
滅多打ちにされているライカンスロープの姿を見ながら、俺は顎に流れた冷や汗を拭った。
「あ、危なかった……まさか湖から来るとは」
まさかライカンスロープが水中で活動できるようなスキルを持っているとは想像できず完全に不意打ちを食らってしまった。水棲系のスキルでも持ってたのだろうか?
なんにせよ……うまく『チェーンコンボ』が決まってくれてよかった。
————リンクの第三段階、チェーン。リンクを通じて鎖のようにスキルを繋げて発動していく技術。
通常は状況を判断してからスキルを発動していくのに対し、チェーンは他のカードのスキルの発動をトリガーに反射のレベルでスキルを連動させていく。
今回の場合は、イライザの『庇う』をトリガーに、メアのスリップと鈴鹿の武術、蓮華のマジックウェブをチェーンでコンボにした形になる。
思考を省き反射のレベルでスキルを発動させるチェーンは、一度嵌ればコンボの終わりまで抜け出せなくなるが、歯車が一個でもズレれば大きな隙ができてしまう諸刃の剣でもある。
いまいち使いどころの難しい技術だったが、イライザの庇うで攻撃を防ぐだけではヒットアンドアウェイの形で奇襲されては逃げられてしまい、苦しい戦いとなってしまう。そのため、リスクを承知で敵を初撃で拘束する賭けに出たのだった。
賭けの結果は、ご覧の通り。イライザこそ初撃を庇ったせいで多少の負傷をしてしまったものの今ではすっかり傷も癒え、ライカンスロープは多くの状態異常を重ね掛けされ一歩も身動き出来ない。
このまますんなり勝てるかもしれない……そんな淡い期待を俺が抱いた、その時。
『マスター!?』
「……!?」
突然ユウキが俺を抱え飛ぶ。
一体何が? と思うよりも早く、リンクを通じて彼女の感覚が流れてきた。
『白い影』が、先ほどまで俺がいたところへと腕を振り下ろしている。
スローモーションで舞い散る土くれの向こう側で、あり得ぬはずの獣の瞳と眼が合った。
「馬鹿な……!」
驚愕と共に振り向くと、そこにはいまだ拘束された『黒い毛並みの』ライカンスロープの姿と、やはり驚愕した表情でこちらを見る蓮華たち。
二体目!? 単体強化型じゃなかったのか……!?
いや、違う!!
そもそもCランクであるライカンスロープが複数いる時点でおかしい!
頭に過るのはかつての水虎だが、今回はそれとは話が違う。
ライカンスロープを複数呼び出せるモンスターなど存在しないのだから。
つまり、これは——。
『マスターッ』
ユウキの声にハッと振り向くと、そこにはこちらへと腕を振り上げる三体目の『赤褐色の毛並みを持つ』人狼の姿があった。
『イライザァァァァアアアア!』
余計な思考を挟む暇もなく、絶叫するように縋ったのは、我らがパーティーの盾。
すでに二体目の襲撃が判明した時点で動き出していた彼女は、ギリギリのタイミングで俺の前へと立ちふさがってくれた。
「……ガハッ!」
『イライザ……!』
赤い人狼の腕がイライザの胴体を貫通する。
さすがの彼女といえども、このタイミングで攻撃を逸らしたり防いだりすることは無理だったのだろう。それでもなんとか体を張って俺へのダイレクトアタックだけは防いでくれたのだ。
そこへ、蓮華の弾幕が降り注ぐ。
素早い動きで身を躱す人狼たちとすれ違うように、俺はユウキの手で蓮華たちの元へと運ばれていった。
これで一先ずは死地を脱したわけだが……。
『無事か、イライザ……!』
『イエス、マスター。……しかし、すいません。不覚を取りました。傷が……癒えません』
『ッ……!』
夜のフィールドであれば不死身に近い筈のイライザの身体が……回復しない。
それは、彼女が聖なる武具で攻撃されたことを意味していた。
見れば、新たに現れた白と赤褐色の毛並みの人狼たちの腕には、銀色に輝く鉤爪が装備されている。
聖なる武具は、銀製の武具を魔道具加工して作られるもので、イライザのようなアンデッド系のモンスター対策として市販されているものだ。
市販品の武具をモンスターたちが装備している……それは一つの事実を意味していた。
————これが、他の冒険者の襲撃であるということを。
【Tips】チェーン
リンクでカード間のスキルを連結し、次々とスキルを発動させる技術。うまく決まれば相手に強力な連携攻撃を叩き込めるが、わずかでも歯車が狂えば大きな隙を生み出してしまう諸刃の剣。
その使用には、リンクの上手さといった技術とは全く別の、戦術家としての才能を要求される。






