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熊が出た

「熊の射殺を許可した自治体に抗議の電話が多数、かかって来る」

 というニュースに対して、

「それはきっと熊が抗議の電話を入れているに違いない」

 などというジョークがある。

 実際に熊が出没している地域の人々にしてみれば文字通り死活問題なわけで、表層的な感情論のみで抗議するやつらはあまりにも浅薄であり、想像力に欠ける。

 としか、いいようがない。

 おそらく、だが、抗議している人々は結局のところ、実際の熊という生物について、具体的な生態などについてまるで知識がなく、絵本などで知った程度の漠然としたイメージしか持たないのだろう。

 結局のとこと、熊と人間はその生活圏が接近し、あるいは重なり合い過ぎて、こういうことが起こっているのだと思う。


 などということを漠然と思っていたある日、出社すると森田課長が熊になっていた。

 より正確にいうのなら、身長二メートルほどの熊が、見覚えのある森田課長のスーツを身につけ、眼鏡をかけ、森田課長の席に座っている。

「え?」

 おれは思わず間の抜けた声を発し、森田課長の席に座った熊を指さしたままの姿勢で固まった。

「砂原くん。

 人を指さすのは失礼だよ」

 固まったままのおれに、北野次長が声をかけてくる。

「森田課長が、どうかしたのかね?」

「どうかした、って、ええと」

 おれは、しどろもどろになって、そう答えた。

「あそこに座っていらっしゃるのは、森田課長ですよね?」

「それ以外に、なんに見えるのかね?」

 北野次長はおれ顔を睨みつけて、そういった。

「まさか君は、あそこに座っているのは森田課長の服を着たぬいぐるみだ、とでもいいだすつもりかね?

 だとすればそれは、かなりの問題発言だよ。

 昨今、どこでもコンプライアンスには敏感なんだから」

「あ、いや」

 そこまでいわれると、おれとしても言葉を濁すしかない。

「着ぐるみっていうか、どうみても本物にしか見えないんですけど、あれ」

「なにの本物にしか見えないとか、口が裂けてもいわないことだな」

 北野次長はそういっておれを睨んだ。

「下手をすると、社会的に死ぬぞ」

「はい」

 おれは慌てて姿勢を正し、即答する。

「今後一切、口外いたしません」

 森田課長が熊になった、あるいは、熊が森田課長になった。

 実際にはどちらなにかはわからなかったが、この異変について詮索するのはタブーであるらしい。


 翌日、北野次長も熊になっていた。

 森田次長は相変わらず熊のままだ。

 二人とも、あの格好で家から会社まで出勤してきたのだろうか?

 そもそも、家でもあの格好のままなのだろうか?

 疑問は尽きないのだが、昨日、まだ人間の姿であった北野次長から釘を刺されたこともあって、おれも表面上はなにも気にしない風を装って過ごした。

 他の社員たちも、平然とこの異変を受け入れて、というより、なんの異変も起きていないかのように、熊の二人にいつも通りに接している。

 いつもの通り過ぎて、かえって不自然に思えるほどだった。

 職場の同僚がいきなり熊になったら、もう少し騒がないか、普通。

 おれとしてはそう思うしかなかったが、昨日の北野次長の態度を思うとそういう態度こそが今の社会では問題視されるのかも知れない。


 一週間もすると、おれ以外の全員が熊に置き換わっていた。

 姿こそ熊だが、言動や声は元の人間と同じで、仕事も普通にこなしているのでおれは混乱する。

 混乱し続けている。

 おれ以外の熊たちは、本当に、前とまったく同じ態度で何食わぬ顔をして仕事や生活を続けているのだ。

 仕事自体も、以前の通りにこなしている。

 え?

 これ、おれがおかしいの?

 何度となくそう思ったが、いくら考えても結論は出ない。

 少なくとも、通勤途中の町中や地元では、熊が人に混ざって生活している光景は見ていなかった。

 ネットやニュースなどでも、特に騒がれていない。

 かなり局所的な現象であるか、おれにしか、こういう状態には見えていないのかも知れない。

 ひょっとして、おれだけが熊に見えているだけ?

 ここ何日か、内心でそんな疑問がぐるぐると頭の中で回り続けている。

「ああ、砂原くん」

 そんなおれを、森田課長が席に着いたまま、ちょいちょいと手招きする。

 混乱したまま、おれは森田課長に近寄った。

「砂原くん。

 最近、どうも様子がおかしいようだが」

 そういって森田課長は眼鏡越しにおれの目を見据えた。

「まさか君、最近、熊にでもなったんじゃないだろうね?」

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