第7話:魔族の生活と彼の素顔
ルシリオンの城に囚われてから、どれほどの時間が経っただろう。
最初は警戒心ばかりで周囲を見渡す余裕すらなかった。けれど、ここでの生活に慣れるにつれ、少しずつ周りの様子が目に入るようになった。
魔界ーーそこは恐怖と闇に満ちた世界だと思っていた。そう教えられてきたし、セレナ自身もそう信じていた。
しかし、目の前にある光景は想像とはまるで違っていた。
ルシリオンと視察に出かけた城下町の広場では、魔族たちが日々の仕事に勤しんでいた。
屈強な兵士たちは街を見回り、商人たちは食料や布を取引している。
市場では、果物を売る商人が値引き交渉をする声が響き、子供たちが楽しそうに駆け回っていた。
ーーまるで、人間の街と変わらない。
セレナは無意識のうちに歩みを止め、じっとその光景を見つめた。
「どうした、珍しいものでも見たような顔をして」
不意に、背後からルシリオンの低い声が聞こえた。振り向くと、彼はすぐそばでセレナを見下ろしていた。
「……ただ、少し驚いただけ」
「何が?」
「魔族の生活が……あまりにも普通だから」
「普通、か」
ルシリオンは小さく笑った。
「魔族が獣のように生きているとでも思っていたか?」
「……」
そう、セレナはそう思っていたのだ。
王国で教えられてきた魔族の姿は、野蛮で残忍な怪物たちだった。人を喰らい、破壊を楽しみ、悪の限りを尽くす存在――そう教えられてきたのに。
目の前に広がるのは、街を守り、家族を守り、日々を一生懸命に生きる者たちの姿だった。
「……彼らも、生きているのね」
ポツリと呟くと、ルシリオンが少し驚いた顔をし、そして仄かに笑みを浮かべた。
「……気づくのが遅いぞ」
そんな時だった。広場の端で、小さな魔族の子供がつまずいて転んだ。
「きゃっ!」
泣きそうな声を上げる幼い少女。
セレナとっさに駆け寄ろうとしたが、すぐに足を止めた。
ーー私は魔族に触れられない。
聖女の力を持つ私は、魔族に直接触れるだけで相手にダメージを与えてしまう。たとえ力が弱くなっていたとしても、幼い子供に少しの傷も与えたくはない。
どうしよう。助けてあげたいのに、触れることができない。
セレナはぎゅっと拳を握りしめ、周囲を見渡した。誰かーー
言葉にする前に、すっと影が動いた。
ルシリオンは、セレナの頭を軽く撫でると、少女に近づき、当たり前のように優しく助け起こしていた。
「ほら、もう大丈夫だ」
少女は目に涙を浮かべながらも、小さく頷く。
セレナはポケットからハンカチを取り出し、触れないようにそっと彼女に渡した。
「泣かないで、怪我はしてない?」
「……うん」
少女は鼻をすすりながらも、ぎこちなく微笑んだ。
――その姿を見た瞬間、セレナは王国にいる弟のことを思い出していた。
幼い頃、弟もよく転んで泣いていた。セレナはそのたびに彼を抱き起こし、「大丈夫」と微笑んで安心させた。
あの時と、まったく同じ光景。
魔族も人も、変わらないんじゃないないかしらーー?
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
◆
城へ戻る道すがら、ルシリオンはセレナを街の高台へと誘った。そこからの景色をセレナに見せたいという。
移動しながら、彼がぽつりと呟いた。
「……お前は変わったな」
「……どういう意味?」
「最初は俺や魔族たちに怯えるか、睨みつけてばかりいたくせに、今は違う」
「それは……」
否定しようとしたが、できなかった。
確かに、セレナはここに来た当初とは考えが変わっていた。
魔族たちは決して怪物ではない。家族を大切にし、平穏な生活を望んでいる。
彼らが戦う理由は自分たちを守るためであって、無意味な殺戮を楽しんでいるわけではない。
「……魔族は恐ろしい存在だって、ずっと教えられてきた。でも、それは偏見だったのかもしれない」
そう呟いた瞬間、ルシリオンの瞳がわずかに揺れた。
「ようやく気づいたか」
彼の声は、どこか満足そうで、けれど少し寂しそうでもあった。
「お前は王国と魔族の戦争をどう思う?」
不意に、ルシリオンが問いかけた。
「どうって……魔族は人間を脅かす存在だと教えられてきたし、王国はそれを止めるために戦っている……と……」
でも今は、その考えに迷いがある。
すると、ルシリオンは小さく息をついた。
「俺は、無意味な戦争をするつもりはない」
「え?」
「俺が望んでいるのは、魔族の民が安全に暮らせること。無駄な戦いを仕掛けていのは、むしろ王国の方だ」
「そんな……」
思わず息をのむ。
王国の方が戦争を仕掛けている?
「王国は聖女の力を盾に、魔族を従わせようとしてきた。だが、それに従えば魔族はただ滅びるだけだ」
彼の言葉には、一切の迷いがなかった。
「だから、俺は戦う。俺の民を守るために」
その瞳に宿る強い意志を見て、セレナは何も言えなくなった。
ルシリオンはただの暴君ではない。自分の民を守るために戦う王だった。
ーー本当に魔王は……ルシリオンは、悪なの?
そんな疑問が、セレナの中で大きくなっていくのを感じた。




