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魔王を倒すはずの聖女ですが溺愛されて封印されました  作者:


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第6話:偽りの愛に惑わされない(つもり)

 ルシリオンは変わらない。それが、セレナにとって一番の苦痛だった。

 彼が宰相と交わした会話を知った翌日も、その翌日も、彼の態度は何ひとつ変わらなかった。

 まるで、あの冷たい声で語られた言葉が幻だったかのように。


「こっちにおいで」


 何気ない仕草で手を差し伸べ、彼はいつも通りに甘く囁く。

 微笑み、優しく、まるで彼にとってセレナが何よりも大切な存在であるかのように。


 ――けれど、セレナはもう知っている。


 その優しさの裏にあるものを。あの手は、セレナのためではなく聖女の力を奪うために差し伸べられているのだと。

 偽りの愛で惑わせ、聖女の力を無力化する。それが彼の目的。


(だから、私は惑わされない。)


 そう心に誓いながらも――彼の優しさが全て嘘とは思えないという想いが、ひどくセレナの胸を締め付けていた。



   ◆



「今日は肌寒いな。手は冷えていないか?」


 ルシリオンが何の前触れもなくセレナの手を取った。


「えっ……」


 彼の大きな手のひらが、セレナの指先をそっと包み込む。

 驚いて抵抗する間もなく、温かな熱がじんわりと伝わってきた。


「やはり冷たい。少し温めよう」


 彼は至極自然に、セレナの手を自分の頬に当てた。

 吸い込まれそうな赤い瞳が、真っ直ぐに彼女を見つめる。


「お前の指先が冷えてると、俺まで寒く感じる。だから、温めさせてくれ」

「……っ!」


 違う、こんなの嘘。

 私を惑わせようとしているだけ。


 分かっているのに、胸が苦しい。

 彼の体温が、指先だけでなく心にまで入り込んできそうで――怖かった。


「……っ、やめて!」


 セレナは強引に手を引っ込めた。


「あまり馴れ馴れしくしないで」


 なるべく冷たく、突き放すように言う。

 それでも、セレナの声が微かに揺れてしまったことに、彼は気づいたのかもしれない。

 ルシリオンは一瞬、何かを考えるようにセレナを見つめた。

 けれど、すぐにいつものように微笑む。


「馴れ馴れしく、ねぇ……。俺は今までと何も変わってないぞ?」


 ーー変わってない……それが問題なのよ。


 セレナは黙ってスプーンを握りしめた。食事の味なんて、もう分からなかった。



   ◆



 その日の夜、セレナは自室の窓辺で、静かに深呼吸を繰り返していた。


 ーー落ち着け、惑わされるな。

 ルシリオンの甘い言葉も、優しい仕草も、全ては私を欺くためのもの。

 私は絶対に、彼に心を許してはいけない。


 けれどーー聖女の力が、前よりももっと弱まっている。


「嘘、どうして……?」


 答えは分かっている。

 セレナが、ルシリオンに 心を開きかけているからだ。

 彼に惹かれるほど、聖女の力は失われる。それこそがルシリオンの狙いなのだ。


 ーー絶対に、このままじゃダメ。


「私は聖女……。魔王に惑わされるなんて、あってはならない」


 何度も、何度も、そう言い聞かせる。

 けれど、頭では分かっていても、心がそれを拒んでしまう。

 彼の言葉が、仕草が、瞳の奥に見えた愛情が、本当に全て嘘なのだろうか――?



   ◆



 翌日。

 セレナは自ら、ルシリオンと距離を取ろうとした。必要以上に話さず、彼が近づいてもできる限り距離を保つ。

 けれど、ルシリオンはそれすらも察していた。


「……最近、俺に対する態度が冷たくなったな」


 夜の廊下で、彼は壁に片手をつきながらセレナの前に立ちはだかった。

 逃がさないとでも言うように、鋭くも甘い眼差しを向けてくる。


「何か気に入らないことでもあったか?」

「……別に」

「そうか?」


 ルシリオンは僅かに首を傾げ、低く笑う。


「なら、何故、俺から距離を取る?」

「……っ」

「避けられると、余計に追いたくなる」


 彼はセレナを壁際に追い詰め、彼女の顎を軽く持ち上げ、強引に目を合わせさせる。

 その仕草に、心臓が跳ね上がるのを感じた。


「……あなたの言葉なんて、全部嘘でしょう」


 それだけを搾り出すように言う。

 ルシリオンの瞳が僅かに揺れた。

 けれど、次の瞬間には再び柔らかく微笑む。


「何が嘘だと?愛しいお前が俺から逃れようとしたら、追いたくなるのは当然のことだろう?」

「そんなはず――」


 頑なに彼の腕から逃れようとするセレナに、ルシリオンは少し寂しそうに微笑んで言った。


「やはり、あの夜ーー聞いていたのだな」


 あの夜ーー彼が何を指しているのか、すぐに理解できてしまう。

 ルシリオンは、宰相との会話をセレナが聞いていたことに気づいていた。

 セレナは息を詰めた。あの夜、ルシリオンが宰相に告げた言葉ーー


『彼女を愛し、愛されることで、彼女の力は完全に封じられる』

『そのために、俺は聖女を妃として扱っている』


 自分への愛情が、聖女としての力を封印するためのものだったと知ってしまった。


 セレナの沈黙を、ルシリオンは肯定と受け取ったのだろう。

 彼はふっと目を細め、どこか寂しげな微笑を浮かべた。


「できれば、お前には何も知られず、俺の愛を受け止めて欲しかった」


 穏やかな声音だった。それが、余計に胸を締め付ける。


「聖女が魔王を愛することで、聖女の力が封じられるのは本当だ。お前も、もう気づいているのだろう?」


 セレナは手を握りしめる。その奥で、今にも消えそうに微かに揺らぐ聖女の力を感じた。


 ルシリオンは、セレナとの距離を詰めた。


「だがーー」


 そして、セレナを優しく抱きしめた。


「俺がお前を愛しく思うのもーー真実だ」


 甘い声。柔らかく触れる指先。まるで本物の愛のように錯覚してしまう温もり。

 セレナは強く唇を噛みしめ、振り払うように言った。


「信じられるはずがないでしょう!?あなたは、私の聖女の力を封じるために……!」


 言い切る前に、ルシリオンの腕がセレナの腰を引き寄せた。


「もしそうだったとして、それでもお前を抱きしめる理由は他にないと思うか?」

「……!」

「俺は、ただお前を傍に置いていたい」


 耳元で囁かれる言葉が、ひどく優しくて、ずるいほどに甘かった。

 それでもセレナは信じてはいけないと、必死に思う。

 だが、その一方で――彼の瞳の奥に揺れる何かが、どうしても嘘には思えなくて。


 セレナは自分の中に生まれた矛盾に、深く、深く苦しむことになるのだった。

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