立ち止まった聖夜(イブ) (結び)
俊介はしばらく反応することが出来なかった。
腕の中の柔らかい生き物は、シャツにしがみついて一向に離れようとしない。
髪から甘い香りが立ち上り彼の鼻孔に届いた時、痺れるような刺激が駆け抜け、逆になんとか自分を取り戻すことができた。
「ちょ、ちょっと待て、絵夢。とにかく体を離せ!」
必死の思いでしがみついている肩をつかんで押しやると、絵夢は素直に顔を上げた。
涙に塗れた目が、まっすぐに俊介を見つめている。
「私、俊さんのことが好き」
「お、おい」
「俊さんは私のことが嫌い?」
「嫌いとかそういう問題じゃないだろう? 身内なんだから」
「身内だから好きなの?」
温厚な性質の絵夢だが、めずらしく食い下がってくる。
「そういうわけじゃないが……」
なんと答えたらいいというのだ。この思いつめた瞳に対して。
「俺は来年三十路を迎える、ただのオヤジだぞ。お前なら、これからいくらでも将来有望なイケメンを選べるんだ。そんなバカなことを思いつめるのはよせ」
「バカなことなんかじゃない! 本当にずっと好きだったの!」
「……絵夢」
「私、小さい時から俊兄さんのことが好きだった。でも、高校生になったぐらいから俊さんは急に冷たくなって……悲しかった。とても」
「それは……その、お前が急にキレイになるから……どう扱っていいか、わからなかったというか……男友達もいるって言うし」
「だって、男の子のことで相談に行ったら、少しは私のこと気にしてくれるかと思ったの」
「……」
そりゃ、気にしてたさ。腹立たしいくらいな!
俊介の男心を少女は知る由もない。
「誰か付き合ってる女の人いるの?」
「……今はいない」
「じゃ、誰か好きな人がいるの?」
「いない」
「なら、私を恋人にしてくれない? 私じゃダメ?」
「だから! 俺は出世にも興味のないただのオヤジで! お前にはふさわしくない」
「私がこんなに好きでもだめ?」
いつの間にか、再び顎を彼の胸につけて見上げてくる黒ガラスのような瞳。
だめだ! 流されるな、俺。
「絵夢、頼むから俺を試さないでくれ」
「じゃあ、言って! 姪っ子以上には見れないから帰れって! そしたら、そした……ら」
再び涙が静かにあふれ、黒髪の幾筋かが頬に張り付く。
唇がどうしようもなく震えるが、止めようもなく、絵夢は目を閉じ、その言葉を待った。
俊介は、十一歳の時に絵夢が生まれてからずっと、彼女の成長を見てきた。
初めは兄のように家族に対する感情で。
いつごろからだろう?
日々美しくなる絵夢を、まともに見れなくなってきたのは。
もう人の世話になる歳ではないからと、兄の家から足を遠ざけ、なるべく彼女と会うことを避けてきた。
平気だと思っていた。なのに……。
「言えるわけがないだろう。ちくしょう!」
「え?」
絵夢は顔を上げる間もなく、のしかかるように強く抱きしめられた。
「こんなはずじゃなかった!」
眉がくっつくほど眉間がしかめられ、歪んだ唇から搾り出すような言葉が漏れる。
「くそっ! 一生シラを切り通すつもりだったのに! お前にも自分にも! 自信はあったんだ!」
「怒ってるの?」
「ああ! 自分自身にな!」
「……」
「お前が怖かった……あんまり無防備に俺に近づくもんだから……」
「俊さん?」
「好きだ、めちゃくちゃ好きだ。絵夢」
「しゅ……!」
いったい、どのくらいの間抱きしめていたのか。
ようやく体を離したとき、絵夢はもう泣いてはいなかった。
びろうどのような瞳が、まっすぐに俊介を射抜いている。
「じゃあ、俊さんのお嫁さんにしてくれる?」
「ばか。俺の台詞を取るな」
「高校を卒業したら、この家に来てもいい?」
「そりゃダメだ! 兄貴に殺される」
「お父さん? 大丈夫、私が話すから」
「俺の役目を取るなって、言ってるだろ? とにかく大学には行くんだ」
「行くよ。ちゃんと勉強して卒業もする。でも、俊さんのお世話もしたいの」
「生意気だぞ、こないだまで赤ちゃんだったクセして!」
「今は? 今は違うでしょ?」
「うう」
確かに、この美しい娘は赤ん坊ではない。異性の魔力を全身から発して俊介を魅了している。
「俊さん?」
もう少しで唇に触れそうになり、彼は必死で自分を押しとどめた。
このまま口づけをしてしまったら暴走し兼ねないほど、切羽詰った自分に内心驚いている。
「ああ! もう! 確かにこんなお前を野放しにしてたら、世の男がかわいそうだ」
「なにそれ?」
「負けたよ。この正月に兄貴に話す」
「ほんとう! 俊さん、本当に!?」
「ああ。だけどもう遅いぞ」
「何が?」
「後でいい男が現れて、そいつを好きになっても、俺はもうお前を離せない」
「なんだ、そんなこと」
「なんだとはなんだ! 現に今日だって」
「キスされたこと? びっくりしたけどでも、ある意味、佐倉君には感謝してるの」
「なんだって!」
若い男にキスされて感謝してるとは、不愉快の極みだ! と、俊介が問い詰めようとした時。
「だってその時、俊さんの事が頭に浮かんで、どうしようもなく悲しかったもの。それでわかったの。やっぱり、私は俊さんしか考えられないって」
「く……お前」
「だから」
「なんだよ」
「キスして? 俊さん」
「!?」
──この誘惑をはねつけられる男がいるのだろうか?
夜空はよく晴れていた。
「今年はそんなに寒くないね?」
「そうだな」
絵夢の家までのわずかな道のりを、二人は並んで歩いていた。
「俊さん、今日は何の日だか知ってる?」
「ん? ああ、さっき義姉さんが終業式だとか言ってたな。ひょっとして成績下がったのか?」
「ん! もう! クリスマス・イヴだったら!」
「あ、そうか! すまん、絵夢」
「なんで?」
「何にも買ってやらなかったし」
「なーんだ」
「ツリーもケーキもないし」
「いいの! 最高の物を貰ったから」
自宅近くまで来ているのに、絵夢は大きく回れ右をした。
「絵夢、お前な」
「大好き! いつかもっとしてね! えへへ」
「ああ。いつかな」
「やったー!」
「絵夢……好きだ」
二人は今日、何度目かのキスを交わす。
聖夜は恋人達の夜だ。
20年くらい前に書いた短編です。
文章の拙さは悲しいくらいですね。
まぁ、埋もれさすのもなんなので、賑やかしに置いておきます。
発掘シリーズですが、需要がないなら、これで打ち止めです。




