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立ち止まった聖夜(イブ) 1

 すっかり日が暮れるのが早くなった、師走も下旬の帰り道。

 平凡な会社員、柴崎俊介(しばざきしゅんすけ)は家路を辿っていた。

 家路というあたたかい言葉の響きからは程遠い、誰も待たぬ家に。

 郊外の住宅街は、ところどころに明るく電飾がされていたが、俊介には何の興味もわかない。

 自宅は、亡くなった祖母から譲り受けた平屋だが、庭を含めて40坪はあり、独身男が一人で地味に暮らしていくには、充分すぎるほどの広さだった。

 家に帰るには必ず、彼の兄の家の前を通らなくてはいけない。

 今日も斜め向こうに、その家が見えてきた。明るく灯がともっている。

 兄は忙しい身だ。

 まだ今夜も帰ってはいまい。

 そんなことをぼんやり思いながら、日の落ちた住宅街をぬけてゆく。

 つまらない風景。

 つまらない自分。

 と、兄の家の壁際に路駐していたワゴン車の陰から、靴音がして二人の人物の影が見えた。

 一人は彼の姪の絵夢(えむ)、もう一人は知らない若い男だった。

 二人ともこちらに背を向けていて、俊介がいることに気づいていない。

「ごめん、泣いているの?」

 男が尋ねる。

 どうやら少年のようで、学生服のブレザーを着ている。

 背は長身の俊介と同じくらいだが、まだ成長途上らしく、骨ばった体格だ。

「……」

 絵夢はうつむいたままで、少年の言った通り、どうやら泣いているようだった。

 おいおい、まさか修羅場かよ。勘弁してくれ

 このまま、通り過ぎると、きっと二人に見つかってしまう。

 少年はともかく、絵夢はきっと嫌がるだろう。

 出るに出られなくなった俊介は、息を潜めて斜め前の家の路地に身を寄せた。

 といっても今時、隙間の開いた路地などはなく、路地についている小さな扉の前に張りついただけだったが。

「ほんとにごめん、泣かすつもりはなかったんだ。でも考えて欲しい。真面目に君の事好きだった……ずっと前から」

 絵夢は答えない。

 さらに深く顔を伏せたようで、長い髪がゆらゆら揺れた。

「……ごめん」

 もう一度少年は言って深く頭を下げると、くるりと身を翻し、駅の方角──俊介の横をすり抜けて走り去った。

 しばらくして絵夢はやっと顔を上げ、彼の去った方向に目をやった。

 ふと、人の気配に気づいたのか体を傾げ、俊介の方に顔を向ける。

 やばい、見つかる!

「俊さん? 俊兄さんなの? そこにいるの?」

 せっかく苦労して大きな身を縮めたのに、一番見つかって欲しくない相手に見つかってしまった。

 仕方がないので、バツの悪そうな顔をしながら姿を現す。

 絵夢はもう泣いてはいないようだったが、通りの暗い街灯の下でも、大きな瞳がきらきらと潤んでいるのがよくわかった。

 絵夢は、十一歳年の離れた父の弟、つまり叔父である彼を、子どもの頃から「俊さん」と呼ぶ。

「いや、その……偶然通りがかったもんだから、その……帰り道で」

 もごもごと言い訳しかかった俊介を、制するように絵夢は彼に近づいた。

「今日は割合早かったんだ。ご飯まだでしょ?」

「いや別に、く、食ってき……」

「いいの。待っててね! ただいまぁ! おかぁさーん! 俊さん来てるよ!」

 わざとらしく明るい声を上げながら、絵夢は玄関の引き戸を勢いよく開けた。

 今気がついたが、彼女も学校帰りらしく、鞄を手にしている。

 してみると、さっきの出来事は、彼氏に送ってもらった直後のことのようだ。

 大方また、付き合いを申し込まれたんだろうよ。

 それにしても遅いじゃないか。もう八時前だぞ! ったく、今時の高校生は!

 玄関先に突っ立ったまま、訳もなく腹立たしくなる。

「これと、これと、これも! 早く早く」

「二人とも、遅いのねえ。ちょっと待ってよ」

 向こうで何やら、絵夢が騒ぎ立て、のんびり屋の彼女の母が応対しているのが聞こえる。

 それさえも、彼を不機嫌にさせた。

 程なく、紙袋を持って絵夢と彼女の母──俊介の兄嫁、が表に出てきた。

「あらぁ、俊介さん、久しぶり~」

「あ、こんばんは、義姉さん。ご無沙汰しています」

 仕方なくぺこりと頭を下げる。昔からこの兄嫁には頭が上がらない。

「お母さん、ありがと。じゃ行って来る」

「あんまり遅くまでお邪魔したらダメよ~。じゃ俊さん、お願いします」

「はぁ?」

 間の抜けた俊介の返事を聞くこともなく、兄嫁は奥に引っ込んでいった。

 どうやら大好きなドラマの途中だったらしい。

「じゃ、行こ」

 絵夢が紙袋を俊介に押し付けて、玄関脇のフックからコートを取って歩き出す。

 もう制服は着ていない、簡単な家用のワンピースに着替えている。

「ちょ、ちょっと待てよ。どういうことだよ?」

 あわてて先を行く絵夢の後ろを追いかけ、俊介は聞いた。

「どうって、俊兄さんのうちで一緒にご飯食べるの。コレはおかず、ご飯もあるよ」

 紙袋の中をのぞくと、いろんな大きさのタッパが入っている。

 兄嫁の詰めてくれたものらしい。

 どうせひとりで家に帰っても、コンビニ弁当か、もうめんどくさくて食べないかどっちかだったから、おかずをもらうのは嬉しいし、初めてでもない。

 でもなんで、絵夢までついてくることになったのか?

 絵夢の家から俊介の家まで、五分もかからない。

 味噌汁の冷めない距離とはよく言ったものだ。

 俊介の母と父は再婚同士で、彼は母の、兄は父の連れ子だから、その娘の絵夢とも姪とはいえ、血はつながっていない。

 兄とは十五歳も歳が離れていたが、血を分けた弟同様に可愛がってもらった。

 父が小学生の時になくなり、中学3年で母も亡くなったが、そのとき既に結婚した兄は、よく世話をしてくれた。

 学生だった俊介を気遣い、一緒に住もうと言ってくれたが、独立心の強い俊介はそれを断り、近所に残されていた祖母の古家で一人暮らしを始めた。

 しかし、当時受験生だということもあり、夕飯はおろか弁当まで兄嫁に作ってもらい、日常のことでも世話になりっぱなしで。闊達な性格の兄嫁からは息子ができたようで嬉しいとよく言われたものだ。

 だから、姪っ子の絵夢のことも、小さい時分からよく知っている。

 彼女は俊介によくなついていたが、おとなしい性質で、わがままを言って困らすようなこともなく、彼のそばでいつも絵本などを読んでいた。

 そんな風に四人家族のように過ごしていた一時期もあったが、俊介が就職した頃から少しずつ足が遠のき始め、兄の世話になることが少なくなった。

 それでも絵夢が中学生の頃までは、毎日夕飯をもらっていたのだ。


「まってね、すぐ暖めるから」

「いいよ、タッパのままで」

 着替えをしに隣の部屋へ行きながら、俊介はぶっきらぼうに答えた。

「よくないよ、ちゃんとお皿も洗ったげるから」

 居間に戻ると、絵夢はエプロンをして手際よくお膳立てをし、お茶を入れてくれている。

 わびしい一人住まいが彼女のおかげで、ぱぁっと明るくなるような気がする。

「ビールは?」

「いい。」

 ふたりはそれから、絵夢の母の作った夕飯を黙々と食べた。

 食事中はなぜか、お互い目を合わせようとはしなかった。

 食事が終ると絵夢はすぐに片づけを始める。

 簡単なワンピースの腰をエプロンで縛り、そのすぐ上で真っ黒なストレートヘアが揺れている。

「お前、高三だろ? 勉強はいいのか?」

「いい、どうせ短大の推薦入学だから」

「え? 成績いいんだろ? なんで四年制に行かない?」

「だって、別にやりたい勉強ないし、大学は勉強したい人が行くところでしょ? だからいいの、これで」

「今どき、大学勉強するとこだなんて、思ってない奴の方が多いぞ」

 かちゃかちゃと食器が鳴る。食器が片づいていく。

「……で?」

「ん?」

「何で、来たんだ?」

「……」

「どうせ、またさっきの男の事なんだろ?」

「……」

「絵夢?」

「うん、そう」

 高校に入って、それまで子どもこどもしていた絵夢は、一気に綺麗になった。

 色が白く、博多人形のようだと俊介は思う。

 当然、つき合いを申し込む男も多く、その度絵夢はもじもじと断っていたようだ。

 そして、その都度、俊介のところに話を聞いてもらいに来る。

「また断ったのか?」

「……返事はしてない」

 ふきんを洗いながら、絵夢は小さな声で答えた。

「お、進歩じゃないか。つき合うのか?」

「付き合わない。」

「じゃ、なんできっぱり断らなかったんだ? 相手は期待してしまうぞ」

「だって、ホントに今まで、いい友達だと思ってたコだったから……友達を失うかもしれないって思うと」

「でも、恋人としては見れないんだろ?」

「……うん」

「いい奴なんだろ?」

「うん、とっても。でも友達だって思ってたのに」

「迷ってるんなら、一度つき合ってみたらどうだ? 相手の別の面も見えるかもしれないし」

 背中を向けている、絵夢の頭が傾く。

「そうだ、そうしろよ。絵夢は美人なんだから、今まで彼氏がいないのが不思議なくらいだぞ」

 俊介は、発破をかけるように明るく言った。

 食器を片付ける手がゆっくりと止まった。

「絵夢?」

 絵夢はシンクに両手を突き、肩を震わせている。

「お、おい、急にどうしたんだよ? 泣いてるのか?」

 俊介は立ち上がり、細い肩を取って振り向かせた。

 黒くて大きな瞳から、ぽろぽろぽろぽろと大粒の涙が白い頬を伝う。

 その様があまりに綺麗で、俊介は思わず言葉を失った。

「何でわかってくれないの!?」

「おい、絵夢? どうした?」

「わっ、私がどんな思いで今日ここにきたと思ってるの!」

「……」

「佐倉君にキスされたとき、私っ!」

「キス? あいつがお前に?」

 俊介の中に、訳のわからない感情が沸きあがる。

 先刻、車の陰で二人の影が揺らめいていたことが生々しく思い出され、絵夢の肩を掴む手が強くなる。

 ぱさり、と不意に絵夢の細い体が、俊介の胸に飛び込んできた。

「絵夢?」

「大好き、俊さん!」





ものすごい昔、まだ「ぷんにゃごぱぁくす」という、自分のホームページを持っていた頃の書いた話が出てきたので、サルベージしました。

まだ3点リーダの意味も知らない頃です。修正大変でした。

季節外れのクリスマスネタです。

次回完結です。

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