デブトレーニーは早く筋トレがしたい
ボディメイク開始時の刃くんの代謝の件です。
私の書き方が悪かったのかもしれませんが、基礎代謝ではなく一日の代謝がおよそ3000kcalという意味です。
五限の講義が終わり校舎の外へ出る。
もうすぐで夏季休暇に入る。
夏の空はこの時間でもまだ青く澄み渡っていた。
「ねぇ、ちょっと。」
今日はジムに行く日だ。
朝から筋トレのことばかり考えてしまって体がウズウズしていた。
いざ行かんと一歩踏み出したところで後ろから声をかけられ、振り向くと腕を組んでニヤニヤ笑う空木さんがいた。
取り巻きの男女数人も一緒だ。
「…なに?」
思わずぶっきらぼうに返事する。
馴れ馴れしくするなって言ったくせに何で話しかけてくるんだよ、という気持ちもあったが、それ以上に早くジムに行かせてほしかった。
「何よその返事。ダイエットやってるかなんか知らないけど、調子乗ってるんじゃない?」
何でダイエットしてたら調子に乗るんだろう、よくわからない。
というかそれよりも。
「何でダイエットしてるって知ってるの?」
「はぁ?あんたみたいなデブが痩せてたらわかるでしょ。それより、あんたみたいなクズの犯罪者が今更痩せたって意味ないから。」
「え……」
「ふんっ、どうせ痩せたら周りから良い目で見られるとか勘違いを…」
「ほ、ほんと!?」
空木さんの言葉に驚き思わず遮ってしまう。
「え、は…なによ…」
「ほんとに、僕、痩せたかな?」
「はぁ?ちょ、なんなのこいつ…」
「よっし!よし!愛梨さんに報告しよう。」
「おい、お前話聞いてんのかよ?」
空木さんの横にいた男が口を挟む。
「え、あ、ごめん、よく聞いてなかった。」
「なっ…!」
「それより、話はそれだけ?ならもう行っていいよね。」
早く愛梨さんに報告したい。
そんで筋トレだ!
今日はベンチプレスの新記録が出そうな気がする。
スキップしそうな気分で歩き出そうとすると、後ろから男に肩を掴まれた。
「ちょっと待てよ!」
「………なに?」
「っ…!!」
自分でもびっくりするくらい低くて冷たい声が出た。
男が目を剥いて手を離す。
朝から筋トレのことばかり考えていたんだ。
周りからわかるくらい痩せてるってわかって更にテンションとモチベーションが上がってた。
その出鼻を挫かれてついイラッとしてしまった。
「邪魔しないでくれる?僕、急いでるんだ。」
「え、あ……」
「それじゃ。」
返事も待たず僕はその場を去った。
さぁ、筋トレをしよう。
筋トレ後に軽くストレッチと愛梨さんのマッサージを受けて、プロテインを飲んでジムを出た。
大学を出た時にはまだ空が青かったのに、既に夕陽が沈みかけていた。
「それじゃ今日もお疲れ様!またね!」
「お疲れ様です、ありがとうございました。またお願いします!」
ニコニコ笑顔の愛梨さんに手を振り返す。
今日の筋トレは調子が良かった。
ベンチプレスも自己最高記録の95kgを挙げられたし、愛梨さんにも沢山褒めてもらえたし。
二ヶ月ちょっと前まで60kgがギリギリ挙がるかどうかだったのが嘘みたいだ。
けど100kgの壁がなかなか高い…。
今日一度だけチャレンジしたんだけど、ラックアップしただけで95kgよりはるかに重く感じて全く挙がらず潰れてしまった。
夏休みには100kg挙げられるようになりたい。
「帰ってご飯食べなきゃ。今日は親子丼作ろう。」
親子丼も鶏モモじゃなくて皮なしの鶏胸肉を使えば脂質とカロリーをかなり抑えられる。
鶏胸肉のタンパク質、卵のタンパク質と良質な脂質、米の糖質を摂取できる筋肉飯だ。
おまけに玉ねぎからイヌリンという食物繊維も摂ることができる。
そして何より美味い。
愛梨さんに教えてもらってから、ほぼ毎日食べていた。
「あ、買い物して帰らないと。あそこのスーパーが今日は肉が安いはず…鶏胸肉をまとめ買いしよう。でも早くご飯食べたいし……うん、さっと買って帰ろう。」
筋トレ後は筋肉の合成が高まっている、つまり筋肉を大きくするのに効率の良い時間なので、早くご飯を食べたい。
でも帰ってご飯を食べて、また買い物に行くのは面倒だ。
手早く買い物を終えられるようにと歩きながら買う物を頭の中で整理していく。
鶏胸肉と卵はまず買わないとな。
あと鯖か鰯の缶詰も補充しときたいな。
米はまだあるし…あ、オートミールがなくなりそうだった。
夕方に筋トレしなかった日の夜飯は米じゃなくてオートミールにしてたりするんだよね。
愛梨さんに怒られてからは牛乳やチーズは使わないようにして、お粥やお茶漬けで食べるようにしている。
色々試したけど、お茶漬けが一番美味しい気がする。
愛梨さんは卵粥にして食べるのが好きって言ってたな。
それにしても大学で空木さんに話しかけられたのはびっくりした。
この二ヶ月くらい大学で誰とも話してなかったから。
僕に話しかける人なんて今はもういないし、皆遠くからヒソヒソ噂してるだけだから。
その噂もだいぶ廃れてきたんだけど、空木さんみたいに未だに笑い者にしようとする人もいる。
前まではストレスに感じてたけど、最近はそれもほとんど気にならなくなってきた。
それよりも筋トレや食事、バイトのことを考える方が楽しいし、気付いたらそのことばっかり考えてる。
それが良いことなのかどうかはわからないけど、今の生活は間違いなく楽しいと思える。
愛梨さんに褒めてもらえるのは嬉しいし、栄井店長とも前より仲良くなれてるような気がする。
噂がなんだ、僕には愛梨さんや店長がいる、筋トレがある。
きっとこれからも楽しく過ごしていける。
そう思っていた。
「……刃?」
スーパーまでもう少し。
向かいから歩いてきた彼が僕の前で止まる。
何度も聞いてきた懐かしい声なのに、ひどく遠くのものであるかのように感じた。
心臓がぎゅっと掴まれたような錯覚を覚える。
呼吸の仕方を忘れたように息苦しくなる。
「な、直斗…」
ワックスでツンツンに立てられた茶色の短髪。
男らしいキリッとした目つきの整った顔立ち。
僕とは正反対の引き締まった細身の体。
彼の名は羽月直斗。
僕の、幼馴染だ。
【教えて、愛梨せんせー!!】
「昨日プロテインについて色々調べてたんですけど。」
「勉強の意欲があって大変結構!」
「ありがとうございます。それで、BCAAとかEAAとかっていうのを知ったんですけど、これ何なんですか?」
「BCAAとEAAか……刃くんはプロテインって何のことかわかってる?」
「タンパク質、ですよね?」
「なら、タンパク質とは?」
「えっと…人間の体を作っているもの…?」
「その認識でひとまず良いと思うよ!それで、そのタンパク質は20種類のアミノ酸っていう物質が集まってできてるの。」
「アミノ酸…聞いたことあります。20種類しかないんですね。」
「ヒトの体を作るタンパク質は、だけどね。とにかく、人間の体はタンパク質でできていて、そのタンパク質はアミノ酸でできるってこと。」
「なるほど。」
「EAAっていうのはその20種類の内の9種類のアミノ酸の総称なんだよ。この9種類は必須アミノ酸っていわれてるの。」
「必須?何で必須なんですか?」
「人間が体の中で作れないからだよ!他の11種類のアミノ酸は、他の物質から作ることができるの。」
「あぁ、なるほど。食品として摂取しなければならないって意味で必須なんですね。」
「ざっつらいと!そしてBCAAっていうのは、必須アミノ酸の中の3つのアミノ酸をまとめていうんだよ!」
「ややこしいですね……20種類のアミノ酸の中の9種類がEAAで、更にその中の3種類がBCAAですか。」
「そゆこと!」
「ダイエット中に摂るとしたらBCAAとEAAどっちが効果的なんですかね?」
「どっちもいらない。」
「え……」
「どっちもいらない。大事なことなので二回言いました。」
「あ、はい。」
「ぶっちゃけそれを買うくらいだったらプロテイン買って飲んだ方が安いし効率的だよ。」
「そうなんですか?」
「ボディメイク…特に減量において大事な考え方でダイエットヒエラルキーってのがあるの。」
「ダイエットヒエラルキー?」
「そう!ダイエットする時に何をしたらいいのかの優先順位だよ。1位がカロリー収支、2位がPFCバランス、3位が食事内容。」
「ふむふむ。」
「まず大事なのは、当たり前だけど摂取するカロリーを消費カロリーより低くすること。これをしないと絶対に痩せない。もう一度言うけど絶対に痩せない。」
「以前までの僕ですね。」
「次に同じカロリーを摂るにしても、糖質や脂質ばっかりでタンパク質が低かったら痩せにくい。PFCバランスを整えてこそ効率的に痩せられる。」
「以前までの僕ですね。」
「そして同じ栄養を摂るにしても食事内容によって細かいところが変わってくる。例えばご飯やパンなんかにもタンパク質は含まれてるけど、肉や魚や卵の方がタンパク質の質が良い。」
「それはどうしてなんですか?」
「その食材のタンパク質を構成しているアミノ酸のバランスが違うからだよ。肉や魚は20種類のアミノ酸がバランスよくたくさん含まれてるの。」
「ふむふむ……あれ、BCAAとEAAの話はどこに…?」
「要するにカロリーを抑えてPFCを整えて食事にもこだわるのがダイエットで一番大事ってこと!タンパク質を必要量摂れていればわざわざ9種類や3種類しかないものを摂らなくて良いし、肉や魚を食べればちゃーんとそれらは摂れるんだから!」
「わざわざ高い金払ってBCAAやEAAで摂る必要は、ないということですか。」
「そのとーり!肉や魚でタンパク質が足りない時にプロテイン飲むくらいで良いのよ。プロテインもそれぞれのアミノ酸がバランス良く入ってるから、やっぱりBCAAやEAAは必要ないの!」
「わかりました、ありがとうございます。」




