デブトレーニーはまかないを作る
「茎田、休憩入って良いぞ。」
「はい!」
客足が落ち着いたタイミングで厨房に顔を出した栄井店長に言われ、やっていた皿洗いを一通り終わらせて休憩に入った。
同僚に断って使っていないコンロを使わせてもらい、手早くまかないを作っていく。
まかないに使って良い材料に特に決まりはないが、暗黙の了解で廃棄に近いものを使うようになっていた。
冷蔵庫を開けてもうすぐ廃棄となる食材が集められた一角を物色する。
「んー、鶏肉か牛の赤身でもあれば良いんだけど……あ、サーモンがある。ラッキー!」
脂質の低い肉でタンパク質を摂取しようと思っていたけど、200gくらいはありそうなサーモンの柵を見つけてそれを貰うことにした。
鶏胸肉なんかよりは脂質はあるけど、今日は脂質をかなり抑えていたので十分許容範囲内だ。
それにサーモンの脂は脂肪を燃焼させるのに効果的って愛梨さんも言ってたし。
まぁ魚の脂は酸化しやすいから冷蔵してたやつにどこまで効果を期待できるかわからないけど、お客に出すには時間が経ちすぎるから廃棄前になってるだけで、このサーモンだって十分に新鮮なレベルだ。
愛梨さん曰く魚は生に近い方が良いらしい。
けど僕はあまり刺身が好きではないから少しは火を通したい。
というわけでこれを炙りにしよう。
サーモンを濡らしたキッチンペーパーで軽く拭いてステンレスパッドに置く。
ガスバーナーで表面を焼いて脂の焼ける良い匂いがしてきたら、手早くサーモンを切る。
中は鮮やかなオレンジ色だ。
ちなみにサーモンは本来白身の魚なんだけど、オキアミなんかを食べる事で、オキアミの持つアスタキサンチンっていうカロテノイドの影響でこんな風に赤身っぽい色になるらしい。
このアスタキサンチンには強い抗酸化作用があって、アンチエイジングケアに効果的だから愛梨さんもよくサーモンを食べているんだって。
そんな事しなくても十分綺麗だと思うけど……いや、そんな事してるからあんなに綺麗なんだろうか。
とか考えてるうちにサーモンの切り付けが終わった。
深皿に白ごはんをよそって、その上にサーモンを並べていく。
更にサーモンの上から刻んだ葉わさびをパラパラとまぶし、醤油をさっとかけたら炙りサーモン丼の完成だ。
ここにチーズやマヨネーズなんかがあればめちゃくちゃ美味しそうだけど、ただでさえ脂質のあるサーモンにそんなことをすればあっという間に脂質オーバーなカロリー爆弾の出来上がりだ。
少し前にオートミールを食べる時に牛乳やチーズを沢山使って愛梨さんから怒られてしまって以来、個々の食品の栄養素にもしっかり気を遣うようになった。
料理はパズルであり、食品というピースを使って栄養素という枠組みを埋めるものである、と愛梨さんに力説されてしまったのは良い思い出だ。
「…うん、なかなか美味い。我ながらいい腕してる……いや、サーモン炙って切っただけだけど。」
炙りサーモンって胡椒とかチーズが合うんだけど、醤油で食べても意外に美味しいんだよね。
ちょっと表面に火を通してるだけなのに、刺身とは全然違うんだから面白い。
「ほう、美味しそうなものを食べているな。」
「あ、店長。お疲れ様です。」
スタッフルームで食べていると栄井店長が入ってきた。
「お疲れ様。相変わらずの減量食か。」
「相変わらずってほどまだ続いてないですけどね。それに減量食っていってもそれほど質素なもの食べてるわけでもないですよ。」
店長のイジるような声音に苦笑しつつ答える。
ボディメイクを始めてまだ二ヶ月。
毎日ボディビルダーの動画を見てるお陰で今のところ全く飽きはこない。
「それは確かに。普通に美味そうだからな。」
店長がじーっと僕の炙りサーモン丼を凝視してくる。
まるで人を警戒しつつ餌を貰おうとする野良猫みたいだ。
「…た、食べますか?」
「ふむ、そこまで言うなら一口いただこうか。」
食べるんかい。
しかもそんなに強く言ってないし。
「では、どうぞ。」
「うむ………」
箸を渡そうとしたら店長は顔を寄せて雛鳥のように口を開けた。
え……これなに、どうしたらいいの。
顔近いし綺麗だし可愛いし良い匂いするし。
何で耳に髪かけるの何で目閉じてるの何で静止してるの。
「……む?」
何でくれないんだみたいな顔しないで下さい。
睨まないで下さいおちょくったわけじゃないんです。
「ど、どうぞ。」
仕方なく一口分摘んで店長の口元に持っていく。
「うむ……ふむ、美味いな。絶妙な炙り加減だ。葉わさびの風味が良い仕事をしているな。」
「そ、そうですか。」
僕だけが動揺してて馬鹿みたいだ。
それもこれも店長が綺麗なのに可愛くて目閉じて口開いてるのがなんかちょっとエロかったのが悪いんだ。
なお、栄井店長は美味しいものが好きでサーモンにしか目がいってなかったらしく、後で自分の行動を省みて恥ずかしくなってロッカーに頭をぶつけたのなんて僕は知らない。
【教えて、愛梨せんせー!!】
「愛梨先生、プランクっていう体幹トレーニングあるじゃないですか?」
「うつ伏せになって肘を床につけて爪先立ちで体と膝を浮かせるやつね。」
「それです。あれで基礎代謝を上げられるって聞いたんですけどどうなんですか?」
「んー…筋肉をつけて基礎代謝を上げるって意味なら、正直プランクは非効率だなぁ。」
「え、そうなんですか。」
「ほとんどの体幹トレーニングは等尺性筋収縮運動っていって、筋肉が伸びも縮みもしないように"耐える"動きなんだよね。」
「あー確かに。」
「アイソメトリクスは見た目を引き締めるのには有効なんだけど筋肥大の為にはあんまり効率的じゃないのよ。筋肥大の為のトレーニングの鉄則は最大伸展と最大収縮……つまりなるべく伸ばしてなるべく縮めるってことなの。それがないアイソメトリクスは筋肉を大きくしにくいから、基礎代謝のアップには繋がりにくいかなぁ。」
「じゃあ体幹トレーニングでは代謝は上がらないんですか?」
「基礎代謝が長期的に上がることはあんまりないと思うよ。でも運動であるのには違いないから一時的な代謝のアップにはなるし、さっきも言ったけど見た目を引き締めるのには効果的だね。私もよくやるし。」
「なるほど……ちなみに昨日試しにやったら15秒くらいしか耐えられなかったんですけど、何秒くらい維持できたら良いんですか?」
「トレーニングは限界を超える事が大事だよ。それはベンチプレスもプランクも変わらない。30秒できる人は31秒、15秒できる人なら16秒できたら、それでバッチリだよ!あとはその記録を伸ばしていくだけ。」
「なるほど。わかりました、ありがとうございます。」




