絶望デブは己を知る
「いらっしゃい、じんくん!」
スポーティな黒レギンスに淡いピンクのジップパーカーを着た愛梨さんが、満面の笑みで手を振りながら近寄ってくる。
淡いライトブラウンの髪が後頭部で束ねられて、まるで帰宅した飼い主に走り寄る犬の尻尾のように元気に揺れていた。
僕は内心の緊張感を努めて隠しながら頭を下げた。
「おはようございます、今日からよろしくお願いします。」
「硬い硬い!リラックスだよ!」
「あ、はい。」
全然隠せてなかった。
そんなことを言われても硬くなるのは当然だ。
なんせこんなところに来るのは初めてなんだから。
「まぁすぐに慣れるよ。こちらこそよろしく、これから二人で頑張ろうね!」
愛梨さんの元気一杯な笑顔を見ていると、少し肩の力が抜けた気がした。
土曜の朝、僕はとあるパーソナルジムに来ていた。
駅近くのビルの3階。
爽やかな外観だけど中に入ると黒を基調とした以外にシックな空間が広がるここは、まだオープンしたばかりのパーソナルジムであり、いま僕の目の前にいる愛梨さんの経営するジムだ。
あの日、別れ際に自分の体型の話をしたらパーソナルトレーニングの勧誘を受けたのだ。
小さい時からこの体型で、皆からいじられてきた僕は運動など体育か子どもの頃の遊びでしかしたことがない。
でも愛梨さんや店長と話していて、いつまでも卑屈なままではいられないと思い、痩せて筋肉でもつければ少しは前向きになれるかも、なんていう安直な気持ちでこうしてジムに来ていた。
今日のところは運動はせず、身長体重等の測定と運動習慣や食事等のヒアリングを受ける事になっている。
測定の結果、身長177cm、体重105kg、BMI33.5、体脂肪率32%だということがわかった。
我ながら見事な肥満巨漢っぷりだ。
「んー、BMIは肥満レベル3か…健康にはあまりよろしくない数値だね。」
「で、ですよね、はい。子どもの頃から太ってはいたんですけど、中学から縦にも横にもどんどん大きくなっちゃって。」
情けなさと恥ずかしさから俯きがちに愛梨さんを見ると、彼女は馬鹿にする素振りなど欠片も出さず、真剣な眼差しで計測結果を見ていた。
初めて見たプロとしての顔に見惚れてしまう。
「スポーツ経験はほとんどないんだよね?」
「あ、はい。部活とかにも入っていたことがないです。」
「ふむふむ……凄いね。」
「…え?」
「身長体重から考えると体脂肪率は決して高くはないよ。それなりに筋肉がある証拠だね。それに体重100kgを超えるのは一種の才能だよ。」
「そうなんですか?」
デブに才能とかあるのかな。
「カロリーさえ摂れば誰でもここまで大きくなれるわけじゃないよ。じんくんには体を大きくする才能があるんだね!」
「それって単に太りやすいってことじゃ…」
「太りやすいってことは筋肉がつきやすいってことだよ!逆に食べてもなかなか太らない人は鍛えて食べても筋肉がつきにくいんだから。」
「あー…それはなんとなくわかります。」
いくら食べても太らないとか言ってる人って、細い人ばっかりだもんね。
「そこらへんは体の代謝が関係してるんだけど……ま、その話はおいおいするよ。」
「あ、はい。」
いきなり難しい話されてもうまく飲み込めないから助かる。
「さて、次はこれからの話をしたいんだけど、じんくんはこんな体になりたいなって希望とかある?」
「えっと…」
咄嗟に思い付かず戸惑っていると、愛梨さんは再び口を開いた。
「理想の体を作ろうとするのをボディメイクって言うんだけど、ボディメイクにはまずなりたい体のビジョンを持たないといけないの。そうじゃないと習慣付けが難しいし、メンタルもぶれやすくなっちゃうからね。」
確かに。
なんとなくで新しいことを始めても長続きしなかったり迷走したりするよね。
「うーん……すみません、理想の体とかあんまりわからなくて。」
生半可な気持ちの自分がちょっと恥ずかしくなったけど、愛梨さんはニコニコ笑いながら頷いてくれた。
「素直でよろしい!それじゃ幾つかおすすめの動画を送るから、暇な時に見ておいてくれるかな。ビジョンを固める為には憧れが必要だよ。それには実際に競技に出てるような人を見るのが一番だからね!」
「はい、わかりました。」
「あと、一週間くらい食事の記録をしてほしいな。」
「食事の記録、ですか。」
「うん!まずはじんくんが日頃どんなものを食べてどれくらいカロリーを摂ってるのか知りたいからね。それから食事の計画とアドバイスをしていくよ。」
「わかりました。」
揚げ物とか大好きなんだけど、暫く控えた方が良いかな…。
「あっ、くれぐれも言っておくけど、ここで見栄張ったりしたら駄目だからね!今までの食事を変えず、ありのままの君を見せてほしいの。本当に体を変えたいならパーソナルトレーナーには嘘をついちゃ駄目。わかった?」
「う……はい。」
見透かされて思わず情けない顔になる。
愛梨さんはクスクスと意地悪そうに笑った。
可愛いなこんちくしょう。




