05 まさかの恩を仇で返してしまった・・・
パトリシアは翡翠色のドレスにイエローダイヤモンドの装飾品で飾りたてられていた。全身クリフォードの色で全て彼からの贈り物だ。
「よく似合っているわ、パトリシア。我がバートレット家が王家と縁続きになれるいい機会です。殿下のご不興をかわないように気をつけなさい」
「・・・はい」
パトリシアが頷くと、伯母は招待客を出迎えに行った。入れ替わりで入室したのはクリフォードだ。彼はじっくりと上から下までパトリシアの装いを確認している。
「パティ、支度はできた? ダンスは間に合わなかったって聞いたけど、その他は大丈夫なの?」
「はい、殿下。家庭教師からは及第点をいただいております」
「及第点、かあ。もっと頑張ってほしいなあ。君はそのうち公爵夫人になるのだから」
「はい、ご期待に添えるよう尽力いたします」
不満げな顔をしたクリフォードはパトリシアの返答にひとまずは溜飲を下げたようだった。
今日は侯爵令嬢になったパトリシアのお披露目会だ。
婚約者のいないパトリシアのエスコートは身内となった侯爵や長男がするものだが、クリフォードから申し込まれたので彼らの出番はなしだ。
クリフォードからはドレスに装飾品にと一式をプレゼントされて、すでに婚約者のような扱いをされている。侯爵家でそのことに物申す者は誰もいなかった。却って、婚約内定を知らしめるいい機会だとさえ思われている。
パトリシアの淑女教育はお披露目に必要最低限なことから優先された。挨拶やマナーができていれば、少なくとも合格点だ。本当はパートナーと息ぴったりのダンスを披露できれば満点なのだが、身体が弱かったパトリシアは運動は苦手だ。ダンスまではマスターできなかった。
「まあ、ダンスもそのうち必要になるから。頑張って覚えてね」
「はい、殿下」
クリフォードに手を差し伸べられて、パトリシアは淑女の笑みでその手をとった。
会場には派閥は関係なく、ほとんどの高位貴族が招待されていた。公・侯爵家に伯爵家の中でも上位の家ばかりで重鎮や社交界の有力者が勢揃いだ。
パトリシアは緊張で顔が強張りそうだったが、淑女の仮面でなんとか乗り切っていた。隣のクリフォードはパートナーを手助けするでもなく、王族らしく他者から敬われて当然だと泰然としている。
「パトリシア嬢、久しぶりだね。伯母上と和解されて養子に迎えられたとか、おめでとう」
「ええ、本当によかったこと。ご両親もさぞかしご安心なさったことでしょう」
「まあ、ベンソン老公爵様、奥様。本日はようこそおいでくださいました」
上品な老夫婦にパトリシアが会釈を返した。シトリン男爵家のお得意様で重要取引相手だった公爵家の先代夫妻だ。
「殿下もお久しゅうございますな」
「ああ、ベンソン老公。息災で何よりだ」
「殿下がパトリシア嬢のエスコートなのですね」
「ああ、老公のおかげでパティと知り合えて幸運だったよ」
「それはようございましたわ」
夫人がにこやかな笑みを浮かべて、パトリシアもにこりと微笑み返した。
「伯母と和解できたのは殿下のおかげですの。殿下のお言葉で伯母と話すきっかけができて誤解が解けたのです」
「そうだったのか。殿下、お見事ですな」
「ええ、さすがですわ」
老夫妻に讃えられてクリフォードがまんざらでもない顔になる。老公がほっとしたように頷いた。
「殿下と君ならうまくいくと思っていたよ。こうして並んでいるところはお似合いだ。幸せそうで何よりだ」
「・・・まあ、ありがとうございます」
パトリシアはなんとか笑顔を引き攣らせることなく返答した。
「そういえば、老公の孫も大きくなっただろう? そろそろ、お茶会に参加できると思ったけど?」
側近候補に高位貴族が欲しいクリフォードが話をふった。数歳下くらいならまだ候補の範囲内だ。
孫息子の話に老夫妻が顔を綻ばせて饒舌になった。パトリシアが少々手持ち無沙汰でいると、令嬢が連れと一緒に挨拶にやってきた。学園で顔を見かけたことがある相手だ。
バートレット家と繋がりがある当主夫妻や先代夫妻が多く招待されている中で学園生は珍しかった。
「バートレット侯爵令嬢、お初にお目にかかります。エイリー家が次女、ミッシェルと申します。
本来ならば、姉夫婦がご挨拶に参りますところですが、生憎と義兄が隣国の風土病に罹患してしまいまして。姉も罹った可能性がございますので、誠に申し訳ありませんが姉夫婦の代わりに参上いたしました。
本日はおめでとうございます。姉夫婦からもせめてものお祝いで花束とカードを預かっております」
エイリー家は夫人が体調を崩して領地で静養中だ。夫も付き添っていて、跡継ぎの長女夫婦が王都で社交を担っていたはずだ。
家庭教師から教え込まれた招待客の情報を頭から引っ張りだして、パトリシアは返答した。
「まあ、エイリー様。ご丁寧にありがとうございます。
学園でお見かけしたことがございます。二学年の方でしたかしら?」
「はい、本日は婚約者と参りました。こちら、わたくしの婚約者のレックスですわ。ボガート子爵家の嫡男ですの」
「・・・ご紹介にあずかりましたレックス・ボガートです。お久しぶりですね、こちらをどうぞ」
にこやかな笑みと共に大きな花束を差しだしてきたのは元婚約者の友人だ。
レックスから好みの花ばかりで作られた花束を渡されたパトリシアは実に複雑な気分になった。パトリシアの好みはスタンリーからリサーチされたに違いない。
「そういえば、薬処『緑の手』が閉店したのはご存知ですか? なんでも、多数の高価で厄介な依頼を押し付けられて店が成り立たなくなったそうですよ」
「え?」
パトリシアは驚きで目を見張った。
薬処『緑の手』はセリーナの店だ。ベンソン公爵家が一番のお得意様でもある。まさか潰れるなんて思いもしなかった。
顧客には大量受注は無理だと周知されていたはずなのに、一体何があったのか?
「さる高貴なお方からの注文で断りきれなかったようでして。『緑の手』閉店に伴い、シトリン家にも少なからずの影響があったそうですよ」
「そ、そんな・・・」
パトリシアが息を呑んでいると、チラリと横を眺めたレックスが恭しく礼をとった。ちょうど、隣の会話が一段楽したらしく、暇乞いの挨拶をしているところだ。
「何はともあれ、侯爵令嬢の未来に幸あれとお祈りいたしております。どうか、お幸せに」
「ご多幸をお祈りいたします」
ミッシェルも揃って礼をとり、二人は素早く下がった。息ぴったりの様子で仲睦まじく寄り添って、他へ挨拶回りに行くようだ。
「パティ、その花はどうしたの? ずいぶんと素朴な花が多いけど」
呆けたように見送るパトリシアははっとした。ガーベラやミニチューリップなど可愛らしい花々でまとめられた花束は色とりどりで華やかだが、確かに豪華さには欠ける。
「次期エイリー伯爵夫妻がご病気なのですって。それで、次女の方がこれを持参してくださったの」
「ああ、エイリー家は切り花を長持ちさせる薬品の開発に成功したっけ。
そのおかげで庶民でも手軽に花を楽しめるようになったって聞いてる。それを示したかったのかもしれないけど、侯爵令嬢にこれってセンス良くないよね」
「いえ、わたくしはバラやユリよりもこのような可愛らしいお花が好きなので、嬉しい贈り物ですわ」
「ふうん、そうなんだ? でも、これからはもっと君に相応しい花を好んだほうがいいよ。バートレット家に似合うものをね」
「・・・はい、伯母はバラを好みますので、わたくしも見習いますわ」
パトリシアは内心の動揺を押し隠して花束を控えていた侍女に渡す。部屋に飾っておいて、と指示をだして、後でリディアに『緑の手』が本当に閉店したのか確認してもらおうと思っていた。
お披露目が無事に終了した翌日、パトリシアは緊張した面持ちで伯母の執務室へ出向いた。
リディアに確認を頼んだところ、『緑の手』閉店は事実だった。屋敷の侍女の中には男爵家や子爵家の次女や三女など貴族家の者もいる。貴族社会では一時期有名な話題だったようで、すぐに情報が集まった。
「伯母様、お話があります。薬処『緑の手』が閉店したのは、伯母様の指図でしょうか?」
「あら、パトリシア。いきなり、どうしたのです?
『緑の手』は確かシトリン家の長女の個人店だったと思うけど。それが閉店したからといって、わたくしになんの関係があるのです?」
「無茶な大量注文をされて閉店になったと聞きます。『緑の手』にはベンソン家がお得意様になっているのに・・・。
ベンソン家の意向が通じない相手となると、王家ぐらいしか思いつきません。伯母様が第三王子殿下に何か仰ったのでは?」
伯母は書類仕事の手を止めてしばし考え込んだが、難しい顔になった。
「まあ、イヤだわ。パトリシア、貴女の恩人に何かするわけないでしょう。
多分、殿下のお節介が裏目にでたのよ。シトリン家に何かお礼をしたいと仰っていたから。でも、殿下が特定の貴族家に懇意にするのは良くないでしょう。だから、長女のお店にしたと思うわ。
『緑の手』は高価な薬も調合できる貴重なお店だったわ。きっと、良かれと思って、大量注文をしたのよ。それができなかったからといって、殿下のせいではないわ。
シトリン家だけでしか作れない薬草や薬なんてないのだから、他の薬師や薬店を頼ればよかったのに。
お気の毒だけど仕方のないことだわ。
それよりも、恩人を気にするのもいい加減になさい。貴女はもうただの子爵令嬢ではないの。我がバートレット家の令嬢になったのだから。
お披露目は成功させたけど、貴女はまだまだ侯爵令嬢としては足りないものだらけよ。来年には殿下との婚約が正式に整うのだから、それまでに殿下にも我が家にも恥をかかせないように励みなさい」
「伯母様! でも、シトリン家の皆様に申し訳ないわ」
「シトリン家自体には十分なお礼を渡してあるわ。シトリン家が傾いてるなんて情報もないし、大丈夫よ。
貴女はもう彼らのことは忘れなさい。いいわね?」
「・・・伯母様」
パトリシアは俯いたものの、伯母の圧には敵わない。呼び鈴で侍女を呼ばれて、ダンスの練習の時間だと急かされる。
パトリシアの顔色がいつもよりも悪かったことに案内の侍女は気付きもしなかった。




