04 まさかの店じまい
セリーナはぐるりと店内を見渡して忘れ物がないか確かめた。
オーダーメイドの薬屋で奥の小部屋で調合していて店内はそう広くはない。相談と受取用のカウンターがあって、カウンターの隅にうがい薬や傷薬など消耗品を置いて、一般にも販売していたくらいだ。
今は全ての荷物を運びだして備え付けの棚が残っているだけで、がらんとした空間だった。
「セリ、もう閉めるかい?」
「ええ、アシュリー。お待たせしたわね」
「大丈夫だ、気にするな」
セリーナの夫のアシュリーが肩をすくめた。黒髪に緑目で鋭い目つきが怖そうに見えるが、懐に入れた相手には甘い人だった。セリーナが自分の手で鍵を閉めるのを見守ってくれている。
セリーナの店は店じまいすることになった。賃貸していた建物で大家に鍵を返せば全ては終わりだ。
学園を卒業してわずか五年で店をたたむことになるとは思いもしなかった。
元凶となった家族となるはずだった少女に苦い思いがこみあげるが、彼女は与り知らぬことだろう。苦情の先がなくて、つい重いため息がでてしまう。
「ごめんなさい、アシュリー。貴方には大変な苦労をかけてしまって」
「君のせいじゃないさ」
アシュリーは鍵を手に暗い顔になる妻の肩をそっと抱いた。妻はこてりと茶色の頭を預けてくる。
「あれ、もう閉店ですか? 今日は早いですね」
「あら、レックス君。お久しぶりね」
背後からの声に夫婦で振り向けば、弟の友人のレックスだ。制服姿で下校途中に寄ったらしく、馬車から降りてきたところだ。
「早く閉めるなんて珍しいですね。アシュリー様もご一緒だし、お得意様に呼びだされでもしましたか?」
レックスが不思議そうに尋ねると、セリーナが苦渋に満ちた顔になった。
「ごめんなさい、お店はもうたたむことになったの。わたくしのお薬が欲しければ実家経由で取引してもらうしかないわ」
「え、お店をたたむって・・・。なぜですか?」
レックスが驚いてつい大きな声になってしまった。
突然、スタンリーが留学してから二カ月だ。
姉の店を気にかけて欲しいと頼まれて、時折様子を伺いがてら買い物に来ていた。ミント入りのうがい薬は母のお気に入りで、嫁いだ姉にお裾分けしたら姉も欲しがっていたのに。突然の閉店宣言に戸惑うしかない。
「わたくしの力不足よ。大量注文に応えられなかったの」
「え、でも、セリーナ様のお店は固定客が付いてて承知済みのことでしたよね?」
セリーナ個人の店で顧客一人一人の体質を考慮して作られる薬だ。大量販売には向かないと周知されているはずだった。
「・・・断れないお方からの注文で、こなせなかったのだ」
アシュリーが苦虫を噛み潰した顔になる。レックスはさあっと一気に青ざめた。
セリーナには高位貴族の固定客がついているし、アシュリーは一流の冒険者で指名依頼もこなしていて上流階級にも顔が効く。その二人が断れない上位者となると王族しか思いつかない。
まさか、スタンリーを留学させて遠ざけるだけでは気がすまなかったのか?
レックスの顔色から状況判断ができていると悟ったアシュリーが声を低めた。
「厄介な相手と揉めるのは面倒だからな、店をたたむことにしたが、幸いにも特級薬師の資格はまだある。隣国で心機一転するつもりだ。
君もあまり吹聴しないように、な」
レックスはこくこくこくと激しく振り子人形になって、忠告を受け入れることにした。
パトリシアはクリフォードが見舞いに来たとメイドに告げられて、寝台に起きあがった。軽く身支度を整えてもらってから、クリフォードを迎え入れる。
「殿下、お見舞いに来てくださってありがとうございます」
「うん、元気そうでよかったよ」
クリフォードは薄化粧で顔色を誤魔化してあるのには気づかなかったようだ。パトリシアは無理やり淑女の笑みを浮かべた。
「無事に侯爵家に迎え入れてもらって気が緩んだようですの。
熱はすぐに下がったのですけど、無理せず休養したほうがいいと言われましてお休みにしました。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「そうなんだ。侯爵家で教育を始めたと聞いてるけど、無理のないようにがんばってね。
君には僕に相応しくなってもらわないと困るから」
「はい、殿下。光栄ですわ」
にこりと微笑むパトリシアにクリフォードは鷹揚に頷く。
クリフォードは臣籍降下する場合には王領の土地を少し分けてもらって公爵家を新たに興す予定だ。
公爵夫人に相応しい相手を探していて、バートレット家の血を引くパトリシアはちょうどよかった。身分が子爵令嬢なのがイマイチだったから、バートレット侯爵家で養子縁組してもらった。
後はパトリシアが侯爵令嬢らしい立ち居振る舞いやマナーに教養を身につければ済む。
「今日はお見舞いにこれを持ってきたんだ。今度、つけてきてよ」
「まあ、なんて綺麗。殿下、よろしいのですか?」
パトリシアは得意げに見せられたブローチに目を見張った。ビロード張りの台座に収まっているのは大きなエメラルドで、クリフォードの瞳と同じ色だった。
「僕たちの婚約は来年だからね、侯爵家とのコネ目当てに言い寄られたりしたら迷惑でしょ? そういう不逞の輩への牽制用に、ね」
「殿下、お気遣いありがとうございます。伯母が喜ぶと思います」
「だから、それまでにマナーくらいは身につけておいてよ。せっかく、宮廷薬師に口利きして薬を融通してるんだし、早くよくなってね」
「ええ、心得ております」
上品に淑女の笑みで答えたパトリシアはこほっと咳き込んだ。お付きのメイドが慌てて背中を摩ってくれる。
「パティ、まだ治ってなかったの?」
「だ、大丈夫です。少し咽せただけですわ。お茶をいただけばおさまりますから」
「そう? 本当に大事にしてよ。僕はそろそろお暇するから」
「はい。殿下、ありがとうございました」
クリフォードが退出して、パトリシアはほっと肩の力を抜いた。メイドのリディアが薬湯を手渡してくる。
「お嬢様、無理はなさらずにお休みください。蒸しタオルを用意しますので、それでお化粧を落としたら、横になりましょう。
まだ、本調子ではないのですから、明日の登校ももう少し様子を見ては?」
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ。伯母様にもこれ以上、迷惑をかけられないから」
「お嬢様・・・」
リディアは心配そうに顔を歪めた。
リディアは平民の出だ。
平民層の学舎で成績優秀者に与えられる紹介状でパートレット家に雇われた。住み込みのメイドのはずが、身分が平民だからと下女のような雑用ばかりさせられていた。契約内容と異なると苦情を言えば、さらに扱いはひどくなった。紹介状なしの解雇も匂わされては黙って従うしかない。
契約終了まで我慢するしかなかったところに、養子になったパトリシアのお付きに抜擢された。侯爵令嬢のお付きとなるとメイドの上級職である侍女がつくものだが、パトリシアは名ばかりの子爵令嬢だったから平民のほうが馴染みやすいだろうとのことだ。
一応、リディアはメイドとして雇われたのだから、令嬢の身の回りの世話くらいできるだろう、いや、やれと無茶振りをされた。
下女扱いで邸内には馴染んでいなかったのに、いきなり令嬢のお世話とか。何をするにも段取りが悪く、叱責覚悟でお仕えしていたが、パトリシアは優しい主だった。
いきなり、侯爵令嬢なんて慣れないのはわたくしも同じよ、とリディアの失敗も大目に見てくれた。お嬢様付きとなったリディアを妬む者もいたが、さりげなく庇ってくれたりして忠誠を抱ける主だ。
リディアは薄化粧を落としたパトリシアの顔色の悪さに医師を呼ぼうとするが、断られてしまう。
「大丈夫よ、リディア。少し、気疲れしてしまっただけだから。わたくしは休むから、殿下からのお見舞いを片付けておいてちょうだい」
「はい、かしこまりました」
リディアは案じながらも主の言いつけを守って宝石箱にブローチを収めた。
ふと、中身がはみ出ている絹布が目に入り、リディアはそれを手に取った。
絹布に包まれているのは侯爵令嬢の持ち物には相応しくない水色のガラス玉の髪飾りだ。大切な思い出の品だから記念にとってあると聞いている。
リディアは壊れないように包み直してそっと髪飾りをしまい直した。




