番外編 最愛の人は最強です
二話目はヒューゴーとシャーリーのお話です。
「ヒューゴー、結婚するわよ!」
「はっ?」
突然、乱入したシャーリーにヒューゴーは目を白黒させた。シャーリーはお構いなしで一冊のノートを広げる。
『シトリン家家族会議結果』と題されたノートにはシャーリー以外にも、セリーナやスタンリーの筆跡で何やら書かれていた。読みとる間もなく、シャーリーから追撃を受ける。
「スタンは卒業後すぐに式を挙げたいって言ってるから、わたしたちはその前に夫婦になっておいたほうがいいわ。次期男爵夫妻として、あの子たちの後ろ盾にならないといけないもの。
だから、式は半年後ね!
大至急準備をしなくちゃだわ。忙しくなるから、覚悟しておきなさいよ」
「え、結婚って、スタンが? いつ、婚約したの? まだ、パトリシアを忘れられないんじゃ?」
「もちろん、スタンはパティと結婚するわよ。でも、その前にわたしたちが結婚しなくちゃなの」
「わたしたちって、誰が?」
「んもう、話を聞いてたの?」
シャーリーが怒って眉を吊りあげるが、ヒューゴーには何がなんだかさっぱりだ。
「わたしたちだってば!」
「えーと、わたしたちだから、シャーリーだよね? 誰と結婚するのさ」
「何を寝ぼけてるのよ? ヒューゴーに決まってるでしょ!」
「え、えええー! な、なんで? 何がどうなってそうなるわけ⁉︎」
ヒューゴーは大混乱して喚いた。
シャーリーとは幼馴染の延長でずっと友人のままだった。恋人同士にもなってさえいないのに、いきなり結婚とか。
プロポーズはどこに行った? いや、その前に婚約が先か、え、まさか、いつの間にか婚約はしてたっけ? 全然、記憶にないけど?
ヒューゴーがぐるぐると結婚の手順を思い浮かべていると、シャーリーがこてりと首を傾げた。
「だって、ヒューゴーはわたしのことが好きでしょ? それとも、他に結婚したい相手がいるの?」
「いないけど⁉︎ い、いや、す、好きって、今言った? え、ちょっ、まっ!」
ヒューゴーは真っ赤になって絶句した。
まさか、シャーリーに気づかれているとは思っていなかった。アプローチはしていたけれど、聖女見習いで仕事に熱心だったシャーリーは結婚願望が薄そうだと思っていた。
「乙女心としては、意中の相手からプロポーズされたいところだけど、時間がないのよ。ヒューゴーが腹をくくるのを待っていたら、間に合わなくなるわ。
だからね、ヒューゴー。諦めてわたしに捕獲されてちょうだいな」
シャーリーはにっこりと微笑んだ。
とても綺麗な笑みなのに、なんだか肉食獣に睨まれた感覚がしてならない。ガクブルとなって、涙目でヒューゴーは頷くしかなかった。
ヒューゴーは男爵家の次男だ。シトリン家のように領地を持つ貴族ではなく、商会を営んで家業としている。
曽祖父が近衛騎士で手柄を立てた恩賞としてもらった貴族位だ。曽祖母の実家が薬問屋だったから始めた商会で、領内ではメジャーな薬屋だった。
叔父や叔母など分家も家業を継いでいるから、薬屋はもう十分間に合っている。ヒューゴーは商人の道を進むが、薬屋以外を目指すことにした。
薬草が特産品のシトリン領だが、領外へはベンソン家と取引して薬の加工から販売まで任せている状態だ。
薬草以外で取引できそうなものは染め物だった。あまり需要のない薬でも一定量の栽培は欠かせない。間引くのは花を咲かせてからにして染料に使用している薬草があった。
草木染めは淡く儚げな色で衣服には向かないが、色紙にはちょうどよい。
レターセットはもちろんのこと、一目でわかるように書類を色分けしてもよし、と紙産業に参入しようとしていたところで、シャーリーに捕か・・・、もとい、逆プロポーズされた。
シトリン男爵家を継ぐシャーリーの補佐役になるのだ。領政にも関わらなくてはならない。
シャーリーが跡継ぎになる事情を聞いたヒューゴーはシトリン家の本気に唖然となったが、パトリシアとスタンリーのことは幼い頃から知っている。
偽装がバレなければ、まあいいか。二人が幸せになることだし、と納得した。
ヒューゴーは短い準備期間の合間にシャーリーの両親、現男爵夫妻からも教えを受けている状態だった。あまりの忙しさに身体がもう一つ欲しいくらいだ。
人間って分裂できなかったっけ・・・? などと、本気で考えるくらいには追い詰められていた。
スタンリーが留学から一時帰宅したのはヒューゴーが人間の生態に思いを馳せている時だった。
「ヒューゴー、なんだか顔色がよくないけど、大丈夫?」
「す、す〜た〜ん・・・。一体、誰のせいだと・・・」
目の下に隈をこしらえて睨んでくる近未来の義兄にスタンリーはぱあっと顔を輝かせた。
「ヒューゴー、直接会ってお礼を言いたかったんだ。ありがとう!
君のおかげで僕はパティと添い遂げることができる。姉上はちょっとアレだけど、大丈夫。ヒューゴーなら手綱を握れるから頑張って!」
薔薇色の未来を約束されたスタンリーはうきうきと上機嫌だった。嫡男だが、男爵家当主の座に未練は全くなしだ。
姉に後継を譲るから、自室の整理に戻っただけでまたすぐに留学先に帰る気満々である。
スタンリーはレポート提出と卒業試験で優秀な成績を収めることを条件にして、卒業までずっと留学したままでいられる許可を得ていた。パトリシア改めフェリシアと少しでも一緒にいるためである。
フェリシアも隣国の貴族学園に特別措置を申請していた。身体が弱いので通学して学園生活を送るのは負担がかかる。家庭教師のもとで学び、各試験で平均点以上の成績を収めれば卒業資格が得られる、というものだ。一科目でも平均以下の場合は留年で構わないと申し出て、申請を通したらしい。
フェリシアの養子先、セザンヌ伯爵家もゴリ押ししたとか。
幸せ街道爆進中の友人にヒューゴーは死んだ魚の目を向けた。
「スタン。お前が幸せそうで何よりだ。だが、だがなあ〜、少しは周囲への影響を考えやがれ。
オレの将来設計は木っ端微塵だぞ? どうしてくれる?」
「ええ〜、ヒューゴーは姉上に気があったじゃないか。姉上の性格なんて子供の頃からわかってて惹かれてたんだから、今更だよね?」
不思議そうな顔をするスタンリーに、ヒューゴーははあああっと重いため息をつく。
「シャーリーに不満があるわけじゃない。ただ、平民夫婦と男爵夫妻とじゃ、全然心構えも役割も仕事も違うだろ?
おじさんたちはまだ現役で頑張るから、焦らなくてもいいって言ってくれてるけどさあ・・・」
ヒューゴーは男爵家の次男だが、スペアとして当主教育は受けていなかった。貴族位はあるが、商人の生活をしている一族なのだ。生粋の貴族とは言えないと思っていた。
「でも、ヒューゴーは貴族相手の商売をしているから、一般的な平民ではないでしょう。貴族向けの商人スタイルを常時発動させてるって思えば、男爵夫妻もやっていけるよ」
「そう簡単に言ってくれるけどなあ〜」
「ヒューゴー、僕はもう二度とパティと離れる気はないんだ。また、横槍を入れられたら困るからね。
パティがいない人生なんて、僕にはなんの価値もなくて無意味なんだ。
もちろん、ヒューゴーなら、僕の気持ちをわかってくれるよね?」
スタンリーが笑顔なのだが、背筋が凍るようなオーラを放っていた。シャーリーに捕獲された時と同じだ。
あの可愛かった弟分のスタンはどこに行ってしまったんだ・・・、と現実逃避しかけて、ヒューゴーは最後の抵抗を試みた。
「パトリシアのことは聞いてる。偽装死なんて大胆だと思ったけど、結果は最良だと思ったさ。
お前たちが幸せになるのは嬉しいし、シャーリーと一緒になれるのも喜ばしい。
ただ、今まで商人として培ってきた全てが無になって虚しさを覚えるというか・・・」
「あれ、姉上から聞いてない?」
「え、何を?」
首を傾げるヒューゴーにスタンリーが説明した。
サナトリウムに薬草を卸すだけでなく、草木染めも導入する予定だった。
療養中の患者が家族や友人と連絡を取るには手紙が一番だ。ヒューゴーの案のレターセットや色紙をサナトリウムで取り入れるから、よろしく頼むねと言われて、ヒューゴーが目を丸くした。
「え、そうなのか?」
「ねえ、ヒューゴーと姉上って、ちゃんと情報共有してるの?
式の準備で大忙しにしても、話し合うのは大事だよ」
義弟予定に諭されて、ヒューゴーは気まずげに頷いた。
「あら、ヒューゴーには言ってなかったかしら?」
シャーリーが可愛らしく首を傾げている。
可愛い顔してもダメだぞ、と心の中でだけ呟いて、ヒューゴーも首を傾げた。
「聞いてないよ。どういうことなんだ?」
「あら、やだ。お父様たちには連絡済みだったから、ヒューゴーにもつい伝えたつもりになっていたわ。ごめんなさい。
サナトリウムの発展がスタンたちの将来に関わってくるでしょう?
療養効果を高めるだけでなく、他にも一押し何か欲しいと思っていたの。療養生活で患者の心の支えが手紙のやり取りだと聞いて、ヒューゴーが扱っている商品がぴったりだって思ったわ。
それに草木染めは衣類に使うには薄すぎるというけど、ハンカチやタオルなど身近な小物にはちょうどいいのよ。
患者さんにアンケートをとったら、『白一色は味気ない、淡色のほうが落ちつく』という意見が多かったから、お試しで草木染めの商品を扱ってもらえる話になったの。
両親はまだまだ現役で当主業をこなせるって張り切っているし、ヒューゴーにはこれまでのノウハウをサナトリウムで発揮してもらうつもりだったのよ」
珍しくシャーリーがしゅんとなって落ち込んでいた。
「ヒューゴーが商人として頑張っていたのはよく知っているし、今までの経験と知識を活かしてもらおうと思っていたのに、伝達ミスするなんて・・・。
あーあ、情けない。商人の妻としては不甲斐ないわね」
「え、商人の妻って。シャーリーは男爵を継ぐだろ?」
「ヒューゴーは男爵になるわたしを支えてくれるのだから、ヒューゴーの妻になるわたしが貴方の願いを手助けするのは当然でしょ?」
ヒューゴーはぐっと言葉に詰まった。
シャーリーとの婚姻で手放したと思った道がまだあるなんて思いもしなかった。友人時代のように対等でいてくれる最愛の人に泣かされそうだ。
シャーリーはふふっと微笑んだ。
「スタンもわたしもヒューゴーを頼りにしているんだから、これくらいで泣いたりしないでよ?」
「あ、当たり前だ。ちょっと、目にゴミが入った、だけだよ」
ヒューゴーは乱暴に目を拭って、任せておけと力強く請け負った。
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