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名も知らぬ者、やがて隣人

「ありがとう。俺の名前は‥‥‥」


 カイテルさんは、そう言いながら私のすぐ近くに腰を下ろした。


 ‥‥‥ここに座る前に「ここに座ってもいいか」と一言ぐらい聞いてほしかった。そしたら私は「いや、ダメです。あっちに行ってください」って言えたのに‥‥‥。


「はい、カイテルさんですね。そっちはジルさん、高いのがファビアンさん、黒髪がマーティスさん‥‥‥でしたっけ?」


「‥‥‥覚えてるのか?」


「私は、けっこう物覚えがいいですよ」


「よ、よかった」カイテルさんは、少し引きつった笑みを浮かべてから聞いてきた。


「それで、リーマはどこへ行くつもりなんだ?」


「街に行きます」流石に、森で暮らしています、なんて答えるのはちょびっと恥ずかしいわね。


「どの街?」


「‥‥‥‥‥考えています」どの街って、むしろ教えてほしいぐらいだよ、カイテルさん。


「どういうこと?行き先が、決まっていないのか?」


「‥‥‥‥‥だから考えています」わかっていたら、今ここにいないよ、カイテルさん。


「行き先も決まっていないのに、こんな森を放浪しているんのか?女ひとりなんだから、危ないんだろう?いったい何を考えてるんだ?」


 ファビアンさんが説教を始めようとしたけれど―――心配無用。


「私には騎士という人たちでも戦いたくない二匹のホワイトウルフが付いていますよ」


「‥‥‥まあ、そうなんだが」ファビアンさんは、苦笑いしながら言葉を引っ込めた。


「ふふっ、行き先がまだ決まっていないなら、俺たちと一緒に王都に行かない?」


「‥‥‥王都?王都って、遠いですか?」遠いならお断りだね。


「ドラゴンに乗れば、一日で着くよ」


 ふむ!?何だと!?


「どど、ドラゴン?ドラゴンちゃんが、本当にいるんですか!?」


 ドラゴンちゃんはとても貴重な動物で、平民が簡単に気楽に見られるような存在じゃないとおじいちゃんから聞いたことがある。


 特に片田舎の平民にとっては、ドラゴンちゃんは、もはや御伽話の中の動物だ。本でしか存在を知ることができない。そもそも片田舎には、本という存在がゼロに近い。


 だから片田舎の平民の私はドラゴンちゃんに会えるなんて夢にも思っていないのだ。街に行けば、案外、会えるのね!?楽しみだよ!ドラゴンちゃん、待っててね!


「いるよ。遠いところに移動する時、ドラゴンがよく使われるよ」


「へぇ〜すごい〜。私はドラゴンちゃんを見たことがないんです!見てみたいです!」


「じゃ、一緒に王都に行こう?俺はリーマが守るから‥‥‥まあ、リーマにはホワイトウルフが付いているから必要ないだろうけど‥‥‥でも、街の案内はできるよ」


「そんなに遠いんですか?うーん‥‥‥私、そこまで遠い街に行く気はないんですから、王都は‥‥いいです」私は少し考えてから、首を横に振った。


「じゃあ、どこへ行く気なんだ?」


 今度は、初めて口を開いたマーティスさんだった。声だけで、ずしりとした威圧感がある人だわ。ついビクッちゃったじゃないの‥‥‥


「トレストで、いいと思っています」


「トレストに行って、何をするんだ?」


「うーん‥‥‥‥‥仕事をしますよ?」私は首を傾げながら答えた。


「どんな仕事?」


「うーん‥‥‥‥‥薬師とかかな?」私はもう一度、首を傾げながら答えた。


「君、全然何も決まっていないじゃないか」ジルさんが、呆れたように言った。


「だったら王都に行ってもいいんじゃないか?王都には仕事がいっぱいあるよ」


 街はどんな場所なのか知らないのに、いきなり王都は、さすがにハードルが高すぎると思わないの、ジルさん?


「そうだよ。リーマも一緒に王都に来てくれたら、俺は安心する。他の街で、リーマを一人にするのが心配なんだ」カイテルさんは、真剣な表情でそう言った。


「さっき会ったばかりの赤の他人なのに、どうしてそんなに心配するんですか?」


 少しも理由が思いつかない。だって私は、赤の他人のこの四人のことを、全く心配していないもん。


「女の子が一人でいたら心配するだろう?」


「うーん、カイテルさんは、女の子が一人でいるのを見かけるたびに、その子全員を保護するんですか?」

 私は首を傾げる。「それ、優しすぎませんか?‥‥‥逆に、怪しいですよ」


「いや、そうじゃないんだが‥‥‥」カイテルさんは言葉に詰まり、それでも必死に続ける。「俺はただリーマを心配しているだけなんだ」


「ふーん、私、村を出る前に村のお兄ちゃんたちに、男を信じるなとか、街の男はケダモノだとか、何度も言われました。こんなことに遭うから、村の人が忠告してくれたんですね。村の外では、こういうことによく遭うからなんですね。勉強になりましたよ」


「ち、違うよ!」カイテルさんは、慌てて声を上げた。「お、俺は本当にリーマを心配しているだけなんだ!お、俺は、絶対にリーマに悪いことをしない!」


 カイテルさんの声は少し震えていて、今にも泣き出しそうだった。


 ‥‥‥もしかして、本当に、この人は私を心配しているだけかもしれない。私、カイテルさんにちょっと失礼なことを言ったかも‥‥‥。


「‥‥‥ひどいことを言って、ごめんなさい」


「うぅん、全然大丈夫だ。気にしないで」カイテルさんは、やわらかく首を振った。「俺が、リーマに絶対に悪いことをしないって、それがわかってくれたなら、嬉しいよ」


「‥‥‥はい」私は本当に、ひどいことを言ったわ。


「さっき、村って言ったよな。どこの村なんだ? この辺に村があるのか?」ファビアンさんが聞いてくる。


「西のほうの村です」


「西の村?‥‥‥そんなところに村があるんだ‥‥‥知らなかった‥‥‥」


「すごく小さな村です」


「そうか。じゃ君はどうして村を出たんだ?」


「うーん‥‥‥簡潔に言えば、追い出されたからですね〜」


「追い出された!?誰に!?」カイテルさんが、驚いた声を上げる。


「おじいちゃんに」


「どう、どうしておじいちゃんがリーマを追い出したのか!?」


「私に、村の外を見て欲しいみたいです」


「あぁ、なるほどね」カイテルさんが表情を緩めた。


「じゃあ、おじいちゃんのおかげで俺はやっとリーマに会えたんだね。よかった。嬉しいよ」


「‥‥‥・・・・・私は、森の中で誰にも会うつもりはなかったけどね」私は小さな声で、独り言のように呟いた。


「ふふっ、でも俺は、リーマに会えてすごく嬉しいよ」カイテルさんは、満面な笑みでそう言った。


「‥‥‥‥‥」あら‥‥‥聞こえてたんだ‥‥‥。


 そんなふうに、まっすぐで嬉しそうな顔で言われてしまうと、私はもう、何も言えなくなった。


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