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男女、甘さの中に真あり

 翌日。


 いつも通り図書室で勉強していると、


「リーマ、これあげる」と声がして、カイテルさんが入ってきた。私の隣の椅子に腰を下ろす。


 ――あれ?


 不思議に思って外を見ると、窓の向こうにはまだ夕陽が残っている。


 まだ午後だと思っていたのに、もう仕事を終えて屋敷に戻ってきたらしい。


(今日の私、集中力すごくない? 昼ごはんから一度も休まず、ずっと勉強してたわ)


 我ながら感心していると、カイテルさんが何かを手にして差し出してきた。


 その手を見た瞬間、私は体を強張らせ、思わず目を見開く。


「‥‥‥えっ!?こ、これって!?」


 ―――イブニングローズだ!私の、イブニングローズだよ!


「リーマは、これ欲しいんでしょう?お父様にお願いしたんだ」


「だ、だいじょうぶなんですか?証拠なんですよね‥‥‥?」


 めちゃくちゃ嬉しいけどね!


「うーん、ちょっとね‥‥‥」


 微妙にダメって感じか〜。じゃあ、これ以上聞かない〜。


 ありがたくもらっちゃおう。


 カイテルさん、やっぱり素敵~



「ありがとうございます!すごく嬉しいです!これ、お茶にできますから、カイテルさんにも作りますね!」


 私は、差し出されたイブニングローズをそっと受け取った。


 鮮やかな紫色。本当に、きれいだ。


 ――あれ?


 でも、何日も経っているはずなのに、どうしてこんなに瑞々しいんだろう。


 これぐらい新鮮なら、二日ほど部屋に飾ってから乾燥させて、

お父様とお母様、それにカイテルさんのお茶にしようかな。


 ジョアンナお嬢様の分も作りたいけど、一輪だけじゃ足りないか。


 あっ!


 バーナードさんに聞いてみよう!裏庭でイブニングローズ、繁殖できないかな?


 できたら――年中、イブニングローズのお茶が飲み放題!鑑賞し放題!


 珍しくてきれいなお花だし、お母様も、きっと喜んでくれるはず!


「この薔薇、とてもきれいだね。リーマにぴったりだよ」


 カイテルさんはそう言って微笑み、顔を近づけ――私のおでこに、そっと口付けた。



 ドキッ!



 まままままま‥‥‥またこんなことを!心臓がっ!心臓がっ‥‥‥!



 カイテルさんは微笑んだまま、私の頬を優しく撫で続ける。


 まままま、まったく!おおお、王都の男って、どうしてこう‥‥‥!


 私は必死にドキドキを抑えようと俯き、何か言わなきゃ、と頭の中で言葉を探す。



 もうーーーーーーーっ!


 なのに、カイテルさんは知らん顔で、手を止めない。



「ど、どう、どうしてこんなに‥‥‥き、きれいなのですか‥‥‥?えーと、なん、にちも経ったのに‥‥‥」


 顔が、ものすごく熱い。今の私の顔の温度で、蒸し魚を作れちゃうかもしれない。


「ふふっ。元々は枯れていたんだけど、土の魔法使いに前の状態に戻してもらったんだ。気に入ってくれて嬉しいよ。お茶、楽しみにしてるね」


 ‥‥‥まだ、頬を撫でてる。


(これは王都の文化。これは王都の文化だ‥‥‥!)


「ま、魔法‥‥‥羨ましいです。えーと‥‥‥あ、あの麻薬事件は‥‥‥どうなってますか?

ボスの人は‥‥‥逮捕できましたか?」



 その言葉で、ようやくカイテルさんの手が離れた。



 はぁぁぁぁぁぁ‥‥‥。



 心臓が、あと少しで爆発するところだった。顔、絶対真っ赤だわ‥‥‥。


「まったくだ。何の痕跡も残っていなかった。捕まえた十一人も、全員ただの下っ端だ。

手紙で命令を受け取り、その指示通りに薬を作っていただけらしい。

ボスには一度も会ったことがないそうだ」


「謎の人物ですね‥‥‥。その十一人は、どんな人たちだったんですか?


「あの十一人は全員、不法入国者だったんだ。お互いのこともほとんど知らなかったらしい。

身元がなく、この国には家族も友人もいない連中だ」


 カイテルさんは少し間を置いて、続ける。


「一年前、王都の廃街区域で、見知らぬ男に声をかけられたそうだ。

言われた通りに指定された場所へ行くと、そこに同じ境遇の人間たちが集められていたらしい」



 ―――はいがい‥‥‥くいき?区域‥‥‥?地名?



 聞いたことがないわね。


 でも、カイテルさんの話を聞く限り、絶対に近づきたくない、危険な場所っぽい。



「はい‥‥‥がい、区域?って、何ですか?」


「廃街区域は、中央街の南にある区域のことだ。

難民や犯罪者、元犯罪者、そしてこの国には身元のないゴロツキが大勢棲みついている。

正直、かなり危険な場所だ」


「‥‥‥‥」


「無法地帯と言ってもいい。法律はほとんど機能していない。

俺は仕事で何度も入ったことがあるが‥‥‥かなり悲惨な場所だよ」


「‥‥‥そんな場所が、こんな近くに‥‥‥」


 平和な村で暮らしていた私には、まったく想像できない場所だった。


 無法地帯?法律が通用しないってこと?


 ――あれ?


 それなら、村も無法地帯だったのかな?


 だって、村にいた頃、法律なんて言葉、聞いたことなかったし‥‥‥。


 あっ、でもおじいちゃんが「これやってもいいぞ」とか「それやっちゃダメだぞ」ってちゃんと教えてくれていたわね。


 ‥‥‥うん。村は確かに“無法地帯”だったけど、みんな優しくて、誰も傷つけ合わなかった。


 平和な無法地帯‥‥‥なのかもしれないね。


「王様やお父様たちも、何度も廃街区域を建て直そうと計画してきたんだ。

でも、麻薬依存者も多いし、犯罪者も多い。簡単にはいかないんだ」


 カイテルさんは、優しい眼差しで私を見て、続けた。


「安心して。俺は絶対に、リーマをあんな場所に連れていかない」


 その言葉に、胸の奥がふっと温かくなる。いつも優しくて、頼もしい人だ。


「ありがとうございます。私もできれば、そんな物騒な場所に行きたくないんです‥‥‥」


 少し間を置いて、私は尋ねた。


「その‥‥‥見知らぬ人って、誰だったんですか?」


「それが、全員"覚えていない"と言っている。

男か女かさえ分からないらしい。

おそらく、魔法で幻を見せられていたか、記憶を消されていたんだろう」



 ‥‥‥また魔法か。



 そろそろ、羨ましい気持ちから呆れた気持ちに変わるよ。


 そんな便利な力を持っててズルすぎる。何でもありじゃんか。


「そうだったんですね‥‥‥。あの十一人の体調は、大丈夫なんですか? 一年も前から麻薬を作っていたんですよね」


「それが、かなり深刻だ。十一人全員、重度の中毒者だった。取り調べの最中もずっと症状が出ていてな。

意味の分からないことを叫んだり、急に暴れ出したり、幻覚を見たり‥‥‥突然息ができなくなって倒れる者もいた」


 カイテルさんは、少し表情を曇らせる。


「俺たちの手には負えなくて、今は病院に入っている」


「‥‥‥やはり、麻薬中毒者なんですね。可哀想‥‥‥」


「まあな。一度手を出してしまえば、そう簡単には抜け出せない。

お父様たちも、あの十一人をどう扱うべきか、頭を痛めている。

麻薬を作っていたのは事実だが‥‥‥ある意味では、被害者でもあるからな」


「‥‥‥麻薬をやめさせる方法自体は、なくはないんです‥‥‥」


 私がそう言うと、カイテルさんが目を見開いた。


「‥‥‥え? 本当か?やめさせる方法が、あるのか?」


「はい。ただ‥‥‥すごく辛いです。本人に強い意思がないと、途中で耐えきれなくなってしまいますけど‥‥‥」


「どうやるんだ?」


「ディルという植物を、たっぷりのお湯で煮出して、飲ませ続けるんです。

そうすると、体の中が少しずつ浄化されていきます」


「ディル?‥‥‥庭にある、あの木のことか?」


「はい。あのディルは、汚れた水に入れると水をきれいにしてくれますし、

そのまま植えておくだけでも、空気を浄化してくれるんです。

毒もなくて‥‥‥本当に、すごくすごい植物なんですよ」


「そ、それで‥‥‥体の中の麻薬まで、きれいにできるというのか?

そんなこと‥‥‥聞いたことがない‥‥‥」


 カイテルさんは、半信半疑のまま眉をひそめる。


「これは‥‥‥おじいちゃんが、たまたま見つけた方法なんです」


 私は、少しだけ視線を落として続けた。


「数年前、村で麻薬中毒になっている人を見つけて、

その人をおじいちゃんのところへ連れていったことがあったんです。

でも、おじいちゃんも最初は、どうすればいいのか分からなくて‥‥‥」


 数年前のことを思い出す。


「それで、ディルは水も空気もきれいにするんだから、

もしかしたら体の中の"汚れ"も、同じように浄化できるんじゃないかって、思いついたんです。

それでおじいちゃんがディルの葉を潰して、お湯で煮出して‥‥‥それを、飲ませ続けました。

その人――ルネおばちゃんは、四ヶ月くらい、必死に飲み続けて‥‥‥」


 私は、はっきりと言った。


「中毒症状は、完全になくなりました。今も元気に、村で暮らしています」


「‥‥‥そんなことが‥‥‥」


 カイテルさんは、言葉を失ったように呟く。


「この話‥‥‥すぐに、お父様に伝えなければ‥‥‥」


「ただ‥‥‥本当に、すごく辛いみたいです」


 私は、正直に付け加えた。


「死ぬほど辛い、というか‥‥‥"何度も死にたいと思った"って、ルネおばちゃんは言っていました。

でも、あの地獄みたいな時間を乗り越えたから、二度と麻薬には手を出さないって‥‥‥そう、笑っていました」


「‥‥‥辛い、とは‥‥‥具体的に、どんな症状が出るんだ?」


「症状というか‥‥‥その、ディル薬がとにかくすごく濃くて、ものすごく苦いんです」


 私は少し困ったように笑って続けた。


「苦すぎて、飲み込むたびに吐いてしまうらしくて。私も一度、味見してみたんですけど‥‥‥本当に強烈で。

その日は一日中、何を口に入れても味が全然わからなくなりました」


「それで、その苦いディル薬を―――日に三回、大きなバケツ一杯分、飲み込んでは吐いて、また飲み込んでは吐いて‥‥‥それを、ずっと繰り返したんです。

もう麻薬のことなんて考える余裕もなかったわ、って‥‥‥ルネおばちゃん、笑いながら話していました」


「‥‥‥な、なるほど‥‥‥」


 カイテルさんは、さすがに言葉に詰まった様子だ。


「じゃあ‥‥‥ディルじゃなくてもいいんじゃないか?とにかく、

ものすごく苦い物を飲ませ続ければ‥‥‥」


「うーん‥‥‥どうでしょう」


 私は少し首をかしげる。


「私は味見しかしていないので、断言はできませんけど‥‥‥

でもディルは、本当に汚れた水や空気をきれいにしてくれるんです」


「だから、体の中に入ったディルの成分が、体内を浄化してくれるんじゃないかって――おじいちゃんはそう推測していました‥‥‥。実際、成功例もありますし」


「‥‥‥まあ、確かにな」


「ただ‥‥‥」私は、はっきりと言った。


「本人に、麻薬をやめたいっていう強い意思がないと、無理だと思います。

どれだけ辛くても、また麻薬を摂ってしまえば、意味がありませんから。

ルネおばちゃんは‥‥‥"あの地獄みたいな苦しみから、もう一度人生をやり直したい"って、強く思ったから、耐えられたんだって言っていました」


「‥‥‥なるほど」


 カイテルさんは、小さく息を吐く。


「これは‥‥‥すぐにお父様に話さないとな。どうするかは、お父様の判断に委ねる」


「何か、私にできることがあったら言ってください」


 私は真っすぐに言った。


「カイテルさんの力になりたいです」


「‥‥‥ありがとう」


 そう言って、カイテルさんは少しだけ顔を赤らめた。



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